山崎智也

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テンプレート:競艇選手 山崎 智也(やまざき ともや、1974年3月11日 - )は、日本競艇選手である。群馬県邑楽郡邑楽町出身。登録番号は3622、71期生。群馬県立館林高等学校中退。

来歴・人物

ルックスの良さから「艇界の貴公子」の異名を持つ。このため特に女性ファンが多く、優勝戦出場選手や開会式における選手紹介インタビューのときにはたくさんのファンがサインを求め、声援を送っている。

ルックスだけでなく競艇選手としての実力も評価されているため、関東の選手の中では濱野谷憲吾と並び賞金王決定戦を優勝できる可能性のある選手として期待されていたが、2001年第16回賞金王決定戦の優勝戦では痛恨のフライングをしてしまい、規定により長期間SG戦線からの離脱を余儀なくされた。コース取りは基本的には枠なりであるが、ピット離れがよいときには積極的に内に入ってくる。最近は競艇選手の職業病ともいえる腰痛に苦しむ事があるものの、常にSG競走で安定した成績を残しており、現在の競艇界を代表する選手である。地元の桐生競艇場での人気は絶大で、当地での成績はずば抜けている。

なお、漫画アニメの『モンキーターン』に登場する潮崎選手は山崎がモデルとされている。そのキャラが登場する以前に、作者の河合は取材中に山崎と面会しており、山崎が「帯をギュッとね!」のファンであり、「モンキーターン」も愛読していることを知って、作者自身も彼のファンになったと公言している。

同期の川北浩貴(滋賀支部)や76期の原田幸哉(愛知支部)とは大の仲良し。現在のキャッチフレーズは「ライジングスター」である。

結婚

2010年12月1日に、女子競艇選手の横西奏恵と結婚。2011年5月の笹川賞では夫婦揃って初日ドリーム戦のメンバーに選ばれた。夫婦揃ってSGドリーム戦に参戦するのは史上初[1]、SGでの夫婦対決に枠を広げても1988年の笹川賞で鈴木幸夫・弓子夫婦が対決して以来となる[2]

妻の引退、そして悲願の賞金王へ

2012年12月19日、妻・横西が2012年に新設された賞金女王決定戦を最後に、夫である山崎をサポートするため現役を引退した事が発表された。その山崎はアンダーカードである賞金王シリーズ戦は過去2度制したものの賞金王決定戦の出場は2006年を最後に長く遠ざかっていた。しかしこの年は同年の賞金ランク12位という当落線上ギリギリのラインで6年ぶりに決定戦に駒を進めた。このレースは前述にあるように2001年の優勝戦ではチャンスと言われた中5号艇で出走し、まさかのFという憂き目があっただけに、人一倍このレースにかける思いがあったという(優勝は田中信一郎。またこのレースはトラブルによりナイター状態のレースであった。なお、当時の住之江競艇場はナイター照明がなかった)。

トライアル3戦での成績は4着・1着・4着で、全体では4番目の成績で優勝戦は4号艇で出走することとなった。

そして12月24日のクリスマスイブに開催された賞金王決定戦優勝戦、1号艇はトライアルでも圧倒的な実力を見せつけトライアルの得点トップでファイナルに進出・賞金王では史上最多のV4を狙う絶対王者の松井繁であった。枠なりの進入で2番手のスタートを決めるがトップから最下位までの差は僅か0.04秒差の団子状態であった。しかし、その僅かな差を活かし1マークで捲りを敢行、松井に対しても差しを試みるもわずかに遅れを取る。しかし僅かに機力に勝っていた点が功を奏し、次の1周目・第2ターンマークで巧みなターンにより再度捲り差しを試み今度は逆転に成功、その後は一度も先頭を譲ることなくゴール、悲願の賞金王決定戦初優勝を果たした。なお、ゴール直前のレース実況においては、「引退した妻に捧げるクリスマスプレゼントとなりました賞金王初Vです。」と実況が読み上げられた。ピットに帰って来ると妻で賞金王大会前に現役引退を発表した永世女王の横西奏恵が待っていて妻・横西との熱い抱擁を行った。また、関東地区選手の賞金王決定戦優勝は、千葉所属の元祖艇王・彦坂郁雄(登録番号1515)が第1回大会を制して以来、26年ぶり2人目の快挙となった。

経歴

関連項目

脚注

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外部リンク

  • 史上初!SGのドリーム戦で山崎智也選手と横西奏恵選手が夫婦対決 - BOAT RACE振興会・2011年5月18日
  • 東京スポーツ・2011年5月24日付 7面