小谷実可子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:MedalTableTop テンプレート:MedalCountry テンプレート:MedalSport テンプレート:MedalCompetition テンプレート:MedalBronze テンプレート:MedalBronze テンプレート:MedalBottom 小谷 実可子(こたに みかこ、1966年8月30日 - )は東京都出身の女子シンクロナイスドスイミング選手、スポーツコメンテーター日本大学文理学部卒業。本名・杉浦実可子(旧姓・小谷)。スポーツビズ所属。

経歴

  • 小学生の頃からシンクロに親しみ、1978年には日本代表として「カナダ年齢別選手権大会」でソロ、デュエットとも3位に入賞した。
  • 1982年にアメリカのノースゲート・ハイスクールにシンクロ留学する。アメリカのナショナルチームを指導したゲイル・エメリーに師事する。
  • 1985年パンパシフィック水泳選手権でソロでは2位、デュエットでは優勝する。この年から全日本水泳選手権で4連覇を達成する。
  • 1988年ソウルオリンピック開会式で日本選手団の旗手を務める。競技でもソロ、デュエット(田中京とのコンビ)でともに銅メダルを獲得した。日本代表選手団の旗手。都民栄誉賞、ビッグスポーツ賞、総理大臣銀杯受賞。
  • 1989年スイス・オープンでソロ優勝。日本大学文理学部を卒業。
  • 1990年ローマシンクロ大会、マジョルカ・オープン大会でソロ優勝。
1991年パース世界選手権はソロで銅メダル、高山亜樹とのデュエットではカナダのペアを破り、銀メダルを獲得。その後、休養宣言し、長野オリンピックの招致活動などをしていた。
  • 1992年バルセロナオリンピック前に現役復帰。これまでの実績が評価されて、シンクロ日本五輪代表としては日本人として初めて2大会連続で選ばれる。
バルセロナ五輪では試合直前まで奥野史子らと出場を競っていた。ソロは奥野史子が出場し、デュエットでは一時小谷と高山亜樹が出場予定と発表されたが、結局デュエット本番直前で奥野と高山が出場する事となったため、結局小谷の出番は無いままに終わった(ソロ・デュエット共に銅メダル獲得)。そのデュエット試合時の小谷は観客席から二人を見続けており、試合終了後小谷が涙を流すシーンが繰り返し放映された。
バルセロナ五輪後、小谷は現役引退を表明した。
第一線を退いてからはスポーツコメンテーター、日本オリンピック委員会広報員、長野オリンピック広報員、国際オリンピック委員を歴任する。また日本オリンピアンズ協会の理事を務めている。
  • 1997年11月25日には国連総会に民間人として初めて出席。スポーツと平和に関連する議題で講演、長野冬季オリンピック開催期間中の停戦を求める「五輪停戦決議」を提議し、全会一致で採択された。
  • 1999年、元陸上短距離選手で現・明海大学助教授の杉浦雄策と結婚。2001年2月に長女を出産、2006年8月に二女を出産。
  • 2006年10月、政府の教育再生会議委員に就任。
  • 2007年国際水泳殿堂に表彰された[1]
  • 2008年1月、グアム自然大使に任命[2]

出演

テレビ番組

テレビCM

その他

著書

  • 『ドルフィン・ピープル』(1998年8月 近代文芸社)ISBN-10:4773362790
  • 『一筆啓上―スポーツ見て歩記』(2004年7月 中日新聞社)ISBN-10:4806204838

ビデオ

脚注

  1. http://www.ishof.org/honorees/2007/mikako_kotani.htm
  2. http://www.visitguam.jp/news/2008/0108.html

外部リンク

関連項目

  • 田中ウルヴェ京(旧名:田中京) - ソウル五輪・シンクロナイズドスイミング競技(デュエット)の日本代表
  • 伊東恵 - ソウル五輪・シンクロナイズドスイミング競技(デュエット)の日本代表補欠
  • 片山満津芳 - ソウル五輪・シンクロナイズドスイミング競技の韓国代表