小西博之

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テンプレート:ActorActress 小西 博之(こにし ひろゆき、1959年9月28日 - )は、和歌山県田辺市上秋津出身[1]日本俳優タレントスタークコーポレーション所属。身長は180cm。体重は78kg。和歌山県立田辺商業高等学校(現和歌山県立神島高等学校)卒業、中京大学商学部卒業。血液型はA型。趣味は料理、パソコン釣りガーデニングサイクリング。特技はボクシングゴルフスキー野球乗馬合気道。愛称は「コニタン」。

来歴・人物

中京大学では演劇部に所属し、ステージ付き大教室での稽古中にジャンプして着地した際にステージを踏み抜いたという逸話が残っている。

デビューは、中京大学在学中に出演した中京テレビのローカルバラエティ番組ジョークドキュメントBBS放送局』で、理科教育番組のパロディコーナーの先生役だった。その人気ぶりは、当地で放送された、紳士服販売「名紳」のCMでそのまたパロディが作られるほどだった。

この活躍でその後、TBS系列で放送されたバラエティ番組『欽ちゃんの週刊欽曜日』のレギュラーとして抜擢され、「欽ちゃんファミリー」の一環として人気を博す。同番組内でレギュラーの清水由貴子と『銀座の雨の物語』をデュエットしヒットする。

2004年の夏ごろから血尿が出るようになり、年末に精密検査を受診したところ、全身に転移する恐れのある腎臓癌が発見された。翌年の2月、リンパを切除するなどの大手術を行い、現在は仕事を行えるまで回復しており、東京サイクリング協会主催の「東京シティサイクリング」にも毎年ゲストとして参加している。がん闘病からの復帰後は、その経験を語る講演活動を各地で行っている[1]

『ウルトラギャラクシー大怪獣バトル』では若くして亡くなった友人の円谷浩に捧げる意味で自分の役名を日向浩に変更してもらった。[2]また8歳のころ『ウルトラマン』を視聴し「僕も地球防衛組織の隊員になりたい」と思っていたため隊員の役柄を演じる事ができたのは嬉しいものであったという。小西は以前『ウルトラマンティガ THE FINAL ODYSSEY』のナグモ役で『ウルトラシリーズ』に出演経験がありナグモも隊員の役柄である。なお、『烈車戦隊トッキュウジャー』に刑事役でゲスト出演した際にボス(日向浩)のパロディが行われた。

1988年に結婚し、2人の男児をもうけるも1998年に別居。2002年ごろから養育費及び慰謝料の支払いを条件として夫人側が離婚調停を申し立てた。上記の手術などの関係もあり手続きが滞ったが、2006年年明けに離婚が成立した。慰謝料の支払いはなかったが、養育費は継続して支払われているという。

2009年4月、小西と同じ「欽ちゃんファミリー」の一員だった清水由貴子が自殺した。清水の突然の訃報に小西は、「自殺で死ぬなんて、僕は一生ユッコを許さない。天国なんかに絶対に行かせない。冥福も祈らない。僕が引き戻してやるから」と激しい口調ながら泣き崩れていた。

スポーツマンNo.1決定戦

スポーツマンNo.1決定戦に第1回芸能人サバイバルバトルから参戦。第2回大会ではLOG相撲でNo.1を獲得し始めて最終種目に進出し、総合5位入賞を果たす。 その後も第6回から第8回大会まで参戦。芸能人大会屈指のパワー系選手といわれていた。

芸能人サバイバルバトル
大会 放送日 総合順位
第1回大会 1996年4月2日 11位
第2回大会 1997年4月2日 5位
第6回大会 2000年3月24日 14位
第7回大会 2000年10月10日・14日 13位
第8回大会 2001年3月23日 12位

主な出演作品

テレビドラマ

その他のテレビ番組

ほか多数

映画

オリジナルビデオ

CM

著書

  • 『コニタンの闘病日記』~すべての人々へ感謝の心を~(太陽エージェンシー、2005年)

音楽作品

  • 淋しがりやさ心はいつも
  • 銀座の雨の物語(清水由貴子とデュエット)

出典・脚注

  1. 1.0 1.1 テンプレート:Cite news - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  2. 特撮ニュータイプ.2008年1月号.インタビューより

外部リンク

テンプレート:ザ・ベストテン司会者