小松飛行場

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小松飛行場(こまつひこうじょう、テンプレート:Lang-en-short)は、石川県小松市にある共用飛行場である。

防衛省が管理しており、航空自衛隊小松基地(JASDF Komatsu Airbase)と民間航空(民航)が滑走路を共用する飛行場で、特に後者においてはターミナルビルなどの施設の通称として小松空港(こまつくうこう、テンプレート:Lang-en-short)と呼ばれている。航空管制は航空自衛隊が行なっている。

概要

テンプレート:複数の問題

ファイル:Komatsu Airport Aerial photograph 1975.jpg
小松飛行場の空中写真。(1975年撮影の6枚より合成作成)。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

小松市・金沢市福井市をはじめ、石川県南部(加賀地方)および福井県北部(嶺北地方)へのアクセス拠点となっている。2001年、公共事業見直しの風潮が広まったことや福井県が「北陸新幹線・小松空港重視」に政策転換したことで福井空港のジェット化が事実上白紙になり、時刻表などには「小松空港(金沢・福井)」とも表記されるようになった。

滑走路の両側に誘導路があり、山側を航空自衛隊が、海側を民航のターミナルが利用している。民航の定期便としてテンプレート:いつ範囲ボーイング747クラスの離着陸があり、本州日本海側の空港では乗降客数が最も多い。計器進入装置であるILSを設置しているため、冬季の悪天候時でも欠航は比較的少ない。

主に貨物便を想定した欧米との直行便を就航可能にするために、2005年から2006年にかけ、本滑走路の舗装をかさ上げ(路盤の厚さを10cm増加)する工事が行われ、2006年12月21日から供用が開始された。本滑走路の重量制限は工事前の320tから396tに増加し、燃料を満載した国際貨物定期便などの大型機材の重量にも耐えられる構造となり、航空自衛隊の空中給油機KC-767の重量にも耐えられるものとされる。この工事に伴い、本滑走路と平行して仮滑走路が建設され、2005年3月17日から2006年12月20日まで供用された。仮滑走路は用地確保の関係上、本滑走路と97.5mしか離れていないため、2本の滑走路を同時に使用することはできない。仮滑走路は解体せず、今後の本滑走路に対する長期的な工事などがあった場合に、再び滑走路として使用される予定であるため、定期的に点検・管理されている。仮滑走路には、誤進入を防止する理由で15箇所に「×」の印(禁止標識)が表記されるとともに中央部に大きく「こまつ」と縦書きで表記されている。

年間利用客数は、国内2,120,767人、国際167,161人(2013年度)[1]テンプレート:独自研究範囲。一方で、金沢市を中心とする加賀地方北部の対東京輸送については、鉄道高速バスとの激しい競争下にあり、航空各社も各種割引運賃の設定で対抗しているテンプレート:要出典。2014年度には北陸新幹線が金沢まで開業し、羽田空港便の需要が低下することが予想されているため対策が急がれているテンプレート:誰2

歴史

小松基地に関する事項は、後述の「航空自衛隊小松基地」の歴史を参照。

  • 1941年昭和16年) - 旧海軍農林省営林財産約140haを中心にした航空基地の整備計画に基づき、周辺民有地約241haを買収。
  • 1943年(昭和18年)4月 - 旧海軍・舞鶴鎮守府の飛行場として建設開始。当時は「むじなが浜」と呼ばれた砂丘地帯であった。面積は241ha。
  • 1944年(昭和19年)11月15日 - 東西1500m×100mと南北1700m×100m、2本の滑走路が完成し、海軍攻撃隊2個中隊を配備。
  • 1945年(昭和20年)11月1日 - 大蔵省管理を経て米軍により接収(補助レーダー基地)。サンフランシスコ講和条約発効後はFAC4017小松補助飛行場として使用。
  • 1953年(昭和28年)4月3日 - 小松飛行場開港。
  • 1955年(昭和30年)7月2日 - 日本ヘリコプター輸送(現・全日本空輸)による小松 - 大阪線の不定期路線を開設。
  • 1956年(昭和31年) - 防衛庁より地元に対しジェット機の離着陸を希望する旨の意向を表明。以後地元では賛否両論に沸く。
  • 1959年(昭和34年)3月6日 - 国有財産北陸地方審議会の答申により北陸財務局が防衛庁が小松飛行場の使用を民間空港の併用を条件として許可。
  • 1960年(昭和35年)4月19日 - 第1次拡張工事着工。東西滑走路を2400m×45mに延長して主滑走路とし、南北滑走路を副滑走路とし1200m×45mで整備した。当時購入用地では開拓事業が進行中だったが、規模を261町歩から129町歩に縮小した[2]
  • 1960年(昭和35年)11月24日 - 防衛、運輸両事務次官による「小松飛行場に関する協定」が締結され、民航との運用協定が成立し、12月の運輸大臣告示により併用飛行場化した。
  • 1962年(昭和37年)4月1日 - 全日本空輸による小松 - 大阪線開設。定期路線運用が開始される。
  • 1962年(昭和37年)9月23日 - 末広運動公園と共に『伸び行く日本 産業と防衛大博覧会』の会場となる(~11月6日)[3]
  • 1964年(昭和39年)9月 - 第2次拡張工事着工。F-104J導入のため滑走路を2700mに延長し、副滑走路を廃止。これにより残存開拓事業は中止となる[2]
  • 1972年(昭和47年)11月9日 - 金沢駅を発着し北陸自動車道を経由する小松空港連絡バス北陸鉄道が開設。
  • 1973年(昭和48年)6月15日 - ジェット化に対応するための滑走路かさ上げ工事により、空港運用を1か月間休止。11月1日ボーイング737が小松 - 東京線に就航。
  • 1979年(昭和54年)12月12日 - 日本航空による国際定期路線(新潟 - 小松 - ソウル線)開設。国際線の運用が開始される。
  • 1981年(昭和56年)9月26日 - 国内線・新旅客ターミナル完成。
  • 1984年(昭和59年)4月2日 - 国際線・新旅客ターミナル完成。
  • 1986年(昭和61年)10月1日 - 日本航空が小松 - 東京線を開設、ダブルトラック化される。
  • 1991年平成3年)4月30日 - 外国の航空会社としては初めてシンガポール航空が乗り入れる。チャーター便チャンギ国際空港へ就航。
  • 1991年(平成3年)6月1日 - 南西航空(現在の日本トランスオーシャン航空)が小松 - 那覇線を本州日本海側で初めて開設。
  • 1992年(平成4年)3月18日 - 防衛庁が外国の航空機の乗り入れ制限緩和を決定。これ以降、外国の航空会社によるチャーター便運用が多く行われる。
  • 1993年(平成5年)4月1日 - 旧日本エアシステムが小松 - 東京線を開設、トリプルトラック化される。
  • 1994年平成6年)1月 - 日本とルクセンブルクの航空当局間の合意により、カーゴルックスの小松移転が決定。
  • 1994年(平成6年)3月 - 石川県、小松市、空港ターミナル会社、運輸関連業界により輸入共同上屋会社として第3セクターHIACTを設立。
  • 1994年(平成6年)6月 - HIACTの暫定貨物上屋完成。国際航空貨物受け入れ態勢が整う。
  • 1994年(平成6年)7月2日 - 小松 - ルクセンブルク間にカーゴルックス航空による国際貨物定期便就航。
  • 1994年(平成6年)12月 - 小松空港地域が輸入促進地域(Foreign Access Zone、FAZ)に指定される[4]
  • 2002年(平成14年)6月27日 - HIACTの新ターミナル完成。
  • 2004年(平成16年)4月1日 - 新管制塔運用開始。
  • 2005年(平成17年)3月17日 - 仮滑走路運用開始(現滑走路閉鎖)。
  • 2006年(平成18年)3月28日 - 日本航空の小松 - ソウル線の運航を大韓航空に移管。同日よりコードシェア便運用を開始。
  • 2006年(平成18年)12月21日 - 滑走路かさ上げ工事完了。エプロン拡張工事も完了し、駐機スポットが大型機5バースから大型機4バース、中型機2バースとなる。カーゴルックスは燃料搭載量を増大し、小松発便の千歳での技術着陸を取り止め。
  • 2009年(平成21年)4月1日 - 全日本空輸が北陸3空港(小松、富山能登)のマルチエアポート制度を導入[5]
  • 2009年(平成21年)11月1日 - 小松 - 札幌線が全日本空輸と旧北海道国際航空(現在のAIRDO)との共同運航を開始。
  • 2012年(平成24年)12月8日 - エバー航空の小松 - 台北線が週7便に増便、国際線としては初めてのデイリー運航が開始される。
  • 2014年(平成26年)3月30日 - IBEX 成田便1日往復へ減便。それに伴い全日本空輸の福岡便1往復をコードシェアにて運航開始。全日本空輸 福岡便1往復減便。(全日本空輸3往復、IBEX1往復)。

 

旅客・貨物施設

ファイル:KomatsuAirportTerminal 02.jpg
ターミナルビル(自衛隊基地側より見る)
ファイル:HIACT no1.jpg
北陸国際航空貨物ターミナル

いずれの施設も、北陸エアターミナルビル株式会社が運営している。

旅客ターミナルビル1階に、各社共同のレンタカー受付がある。

旅客施設
  • 旅客ターミナルビル
貨物施設
  • HIACT(ハイアクト:北陸国際航空貨物ターミナル)
    • 第一国際貨物上屋
    • 第二国際貨物上屋
  • 国内貨物上屋

空港内に施設をもつ行政機関・企業

定期就航路線

航空会社名が2社以上の場合、最前の航空会社の機材・乗務員で運航する共同運航便である。

国内線

テンプレート:Airport-dest-list

(小松飛行場発)就航路線別旅客数/順位[6]
行き先 旅客数 国内線順位
羽田空港 約163万人 上位8位

国際線乗継便

東京国際空港および福岡空港の各便には、コードシェア便として海外航空会社便名が付与される便がある。海外航空会社便名での利用は国際線乗継旅客に限られ、国内区間のみの利用は国内航空会社便名となる。

目的地 主たる航空会社 コードシェアする航空会社
東京国際空港 テンプレート:Flagicon 日本航空 (JL) テンプレート:Flagicon キャセイパシフィック航空 (CX)
テンプレート:Flagicon 全日本空輸 (NH) テンプレート:Flagicon エバー航空 (BR) テンプレート:Flagicon シンガポール航空 (SQ)
福岡空港 テンプレート:Flagicon 全日本空輸 (NH) テンプレート:Flagicon タイ国際航空 (TG)

国際線

旅客便

テンプレート:Airport-dest-list なお、国際線ターミナルビルには日本航空(取扱:KE/MU)のカウンターとエバー航空のカウンターがある。

貨物便

国際貨物定期便として、新千歳・香港・台北・仁川・フェアバンクスドバイアブダビを経由してルクセンブルクと往復するカーゴルックス航空の定期便(ボーイング747-400Fもしくはボーイング747-8F型)が運航される。なお、便によって北回りか南回りかがあり、各便がこれらすべての空港を経由するわけではない。

休廃止路線

小松空港に就航していた路線は以下の通り[7]テンプレート:Airport-dest-list ANAの路線には、旧日本ヘリコプター輸送および中日本航空が運行していた時期も含む。エアーニッポンおよびジェイエアはそれぞれANAならびにJAL便で運行する以前の路線である。

航空自衛隊 小松基地

ファイル:Japan air self defense force Mitsubishi UH-60J RJNK.JPG
救難展示を行なう小松救難隊のUH-60J
ファイル:Bi at rjnk.jpg
ブルーインパルス展示飛行(2005年 航空祭)

小松基地(こまつきち、JASDF Komatsu Airbase)は、1961年2月に開庁された、航空自衛隊基地である。対領空侵犯措置の任務を担っており、国籍不明機に対するスクランブル発進も行っている。基地司令第6航空団司令が兼務。基地北方の日本海上空に広大な訓練空域(G空域)がある。 よって航空総隊戦技競技会の開催が多い基地でもある。

歴史

  • 1958年昭和33年)2月19日 - 米軍による飛行場の大部分の接収が解除されると同時に、航空自衛隊小松分遣隊が配置。この年、折から活発化した自衛隊基地反対運動に対し小松市長和田伝四郎が併用飛行場化の立場を表明する[8]
  • 1959年(昭和34年)6月1日 - 航空自衛隊小松分屯基地が設置。
  • 1959年(昭和34年)12月4日 - 小松基地に関する33カ条約定締結。
  • 1960年(昭和35年)4月19日 - 小松基地としての整備工事着工。
  • 1961年(昭和36年)2月1日 - 航空自衛隊小松基地開庁。臨時小松派遣隊編成。
  • 1961年(昭和36年)3月1日 - 小松救難分遣隊配備。4月から5月にかけて第4飛行隊(F-86F、25機編成)が千歳基地から、第8飛行隊(F-86F)が松島基地からそれぞれ移駐し第6航空団編成。当時の航空団要員は約1200人。
  • 1961年(昭和36年)6月11日 - 小松基地開庁祭。
  • 1962年(昭和37年) - 5月15日、警戒待機(アラート)運用を開始。7月15日、第6航空団編成完結。
  • 1963年(昭和38年)1月24日 - 三八豪雪災害派遣
  • 1964年(昭和39年)4月30日 - 小松基地拡張に伴い、小松市からの要望事項に対して協定を締結。
  • 1964年(昭和39年)11月 - 第8飛行隊、岩国基地へ移動。
  • 1965年(昭和40年)3月31日 - 第205飛行隊新編(F-104J配備、20機編成)。基地拡張用地42.3haを取得。同地の開拓団は解散。
  • 1969年(昭和44年)2月8日 - 金沢市の市街地に落雷を受けたF-104Jが墜落、4人が死亡する事故が発生。
  • 1974年(昭和49年)8月 - 当時の新機種であるF-4EJの配備を小松市へ申し入れ。
  • 1975年(昭和50年)6月 - 第4飛行隊解散。
  • 1975年(昭和50年)10月4日 - F-4EJ配備に関し防衛施設庁と地元自治体の間で「小松基地周辺の騒音対策に関する基本協定書」(いわゆる「10・4協定」)を締結[9]
  • 1976年(昭和51年)10月26日 - 第303飛行隊新編(F-4EJ配備、18機編成)。
  • 1981年(昭和56年)6月30日 - 第205飛行隊解散。7月1日、第306飛行隊新編(F-4EJ配備、18機編成)。
  • 1982年(昭和57年)11月 - 在日米軍への提供が決まり、以降自衛隊との共同使用(訓練)が実施される[10]。11月30日初の共同訓練を実施。
  • 1986年(昭和61年)11月1日 - 第303飛行隊がF-15Jに改編(18機編成)。
  • 1988年(昭和63年)3月31日 - 第301基地防空隊新編。
  • 1995年平成7年)11月22日 - 能登半島沖で訓練中のF-15Jが誤って僚機を撃墜する事故が発生(F-15僚機撃墜事故)。
  • 1997年(平成9年)3月 - 第306飛行隊がF-15Jに改編。
  • 2002年(平成14年)4月26日 - 配備機種がF-15Jに更新されたことと航空便増便で過密化が進行したため、防衛庁が「10・4」協定に基づく「昼休み時間帯の離着陸制限」および「東側編隊離陸制限」の緩和を小松、加賀両市に申し入れ。同時に石川県に通知。
  • 2002年(平成14年)12月24日 - 小松市および加賀市と「協定書の一部を改正する協定書」を締結し、自主的騒音規制の一部を緩和。
  • 2006年(平成18年)7月 - 小松市、加賀市、川北町など周辺自治体が米軍機の訓練受け入れを容認表明。
  • 2011年(平成23年)10月7日 - F-15の燃料タンク落下事故が発生。同年12月16日に飛行を再開。なお、この年の航空祭は落下した部品捜索と飛行訓練中止により開催されなかった。

配置部隊

中部航空方面隊隷下

航空総隊隷下

航空支援集団隷下

防衛大臣直轄部隊

小松基地航空祭

例年秋頃に開催される航空祭では、小松基地所属の戦闘機や救難機の展示飛行、アクロバット飛行を行う第11飛行隊(ブルーインパルス)の展示飛行が実施される。1990年代半ばまでは、毎年6月の開催だったが、梅雨の時期と重なっており雨天が多く、展示飛行もキャンセルになることがしばしばあったため、北陸で好天の多い9月に開催されるようになった。なお1990年代後半から2000年までは航空自衛隊では珍しく8月の最終土・日曜日に2日間開催されていたが、2001年以降は9月に1日のみの開催となっている。ただし、2001年は9・11テロにより実際には中止となり開催されていない。2009年は11月の開催となった。2011年はF-15の機外燃料タンク落下事故の発生に伴い中止になった。

周辺対策

本飛行場に関係する周辺対策事業は他の自衛隊・在日米軍施設同様「防衛施設周辺の生活環境の整備等に関する法律」を根拠法とし(以下本節で同法と呼ぶ)、旧防衛施設庁の主導により下記が実施されてきた[11]

一般的に、周辺対策事業は下記のように区分され、その他にも名目をつけて予算措置がなされることがある。

  • 障害防止工事の助成
  • 住宅防音工事の助成
  • 移転措置による土地の買い入れ
  • 民生安定施設の助成
  • 調整交付金の交付

こうした周辺対策事業を住民側から支援するため小松基地民防連合会、小松基地北部民防協会、小松民防施工協会等が組織されている。

飛行場南側は1968年に完成した片山津ゴルフ場が3km余りに渡って続いており、西岸は安宅海岸として林が整備され、工業団地などが中心で人家は少ない[12]。北側の飛行ルート上は小松市中心地に近く、防音対策は専らこの地域で実施される。

障害防止工事

障害防止対策事業(同法3条に基づく)の内一般障害防止については、本飛行場の拡張などに伴い裸地化・荒廃化が進み場外排水路周辺にて洪水被害が生じた[13]ため、排水路改修工事への助成があり、1977年度から1985年度まで助成を実施し、経年及び事業場所の状況変化により2003年に排水路の一部更新事業を実施した[14]

また、同飛行場を離着陸する航空機の頻繁な飛行により、周辺地域のテレビにフラッターが生じていることから、防止策として共同受信施設を1976年度から1994年度まで助成を実施した。

その他、1965年度から1977年度にかけて騒音用電話機設置事業に助成を実施した。

これら障害防止工事の補助実績は2003年度までで約9億3000万円となっている。

騒音防止工事

学校等の公共施設の騒音防止対策事業としては、航空機騒音の防止・軽減対策として1960年度に飛行場に隣接する小松市立日末小学校の防音工事を実施したのを皮切りに、2003年度までに石川県、小松市、加賀市、及び法人関係の教育施設や医療施設など158施設に対して、総計約287億3000万円の助成を実施した。近隣の学校には校舎にクーラーを設置している。

住宅防音工事

住宅防音工事については小松市、加賀市等の同法4条に基づいて指定した第一種区域(75WECPNL以上[15])に所在する住宅を対象として、1975年度より実施し、1996年度からは特定住宅防音工事(ドーナツ現象[16]、1999年からは建替防音工事、2002年度からは外郭防音工事、2003年度からは太陽光発電システム設置工事(モニタリング)を実施している。2003年度時点で約29000世帯に対して635億円が投じられている。また、当該工事により設置した空気調和設備の機能復旧工事(経年劣化による設備更新など)は1989年度かから、建具復旧工事は1999年度から実施し2003年度までに延べ1万世帯、約30億円を助成した。

こうした防音工事は民間防音工事、略して民防工事と呼ばれるが、地元企業でもこの工事を目標とした売込みが行われている[17]

2010年には事業仕分けの影響により、第1四半期(4~7月)の工事受注が無くなり、地元建築業者が困惑していると報じられている[18]

移転措置

同法第5条に基づく第二種区域(WECPNL90以上)からの移転補償については1964年度から実施しており、1996年度までの総計で建物444戸、土地約70ha、133億7900万円となっている[19]。2003年度までの実績で見ると建物537戸、土地買い入れ約80ha、総計約196億円の補償、購入を行っており、7年余りの間に100戸余りの積み増しがあったことが分かる。移転先地の公共施設整備事業は1969年度から実施され、2003年度までに5件、約13億円を助成している。小松市内の波佐美、鹿小屋、安宅新の各地区は集団移転を実施した。

第二種区域内の移転措置で購入した土地は「周辺財産」として防衛施設庁が管理していた。その面積は2003年度時点で約77haとなっており、植栽を実施した面積は内54haである。この他小松飛行場周辺には元々自然林が2.8haある。また、周辺財産の一部5.8haを小松市に広場、駐車場として使用を許可しているという。

民生安定施設の助成

民生安定施設の助成は同法8条に基づく。一般助成事業として、屋外運動場体育館、有線ラジオ放送施設、コミュニティ供用施設、農業用施設等について、1967年度より助成を開始し、2003年度時点で総計は約48億円となっている。

防音助成事業として、学習等供用施設、公民館、保険相談センター、庁舎等について、1966年度から助成を開始し、2003年度時点までで小松市、加賀市等の163施設に対して総計71億4000万円となっている。

道路改修事業については1961年度より開始し2003年度までで改良、舗装、消雪装置の設備、補修等に50件以上、約55億円を助成している[20]

特定防衛施設周辺整備調整交付金

更に、同法9条に基づき、特定防衛施設周辺整備調整交付金を特定防衛施設関連市町村に指定されている小松、加賀両市に対して交付している。用途としては道路などの交通施設が主体であり、2000年代には社会のIT化を反映したものとしてパソコンの整備等公共用施設の整備に充当されている。総計学としては1974年度の開始から2003年度までで総計約85億円となっている。

まちづくり計画事業の助成

周辺地域との調和を図るため、飛行場を前提としたまちづくりのための総合的な計画の策定事業として2002年度に小松市に約1400万円を助成している。これにより、小松市立空とこども絵本館(資料館および体験館)を建設した。

防音堤の建設

「10・4」協定の際に防音堤[21]の建設が小松市から要望され、1976年度予算に盛り込まれた[22]。当時の予測では地上の航空機の発生する音を6~9ホン[23]軽減する効果が見込まれた。他の騒音防止策を含めて実効を挙げ始めたと判断した1976年8月13日、防衛庁は小松へのF-4EJの配備を小松市など周辺自治体に申し入れた[24]

その後、空港前を横切っているアクセス道で県道である、空港軽海線の4車線化に伴い、防音堤の一部が2000年12月に撤去されている[25][16]

機材の更新

これは周辺対策ではなく、発生源対策である[16]。発着する民間航空機は高バイパス比の機種に徐々に転換されていったため、他の空港同様個々の離着陸音は小さくなっている(便数増加の影響はある)。

「主たる騒音発生源」である自衛隊機については戦闘機は高バイパス比で低騒音の機材に更新することが困難であるため、協定や自主規制を通じて運用方法により騒音軽減が図られていった。過去、最も大きな騒音発生源であったのは協定を結ぶきっかけとなったF-4シリーズである。しかし、配置されている2個飛行隊が段階的にF-15に更新されていったため、部分的な機材改善の効果が観測されていることが『騒音制御』誌で指摘されている。具体的には滑走路端での測定では離陸音の影響が大であるためF-4時代との差は見られないが、滑走路端から12kmの地点では着陸音の影響が大となるため、2個飛行隊ともF-15に転換した後の測定ではWECPNLで8dB程の低下が観測された[26]

訴訟等

一部周辺住民により離着陸の差し止めを求める「小松基地戦闘機離着陸差止等請求訴訟」が大分して2度にわたり提訴されていた。第1次、第2次訴訟については1994年12月、第3次、第4次訴訟については2007年4月に名古屋高等裁判所金沢支部にて棄却され、双方が上訴しなかった為判決が確定した。

ただし、どちらの訴訟でもWECPNL75以上の区域に居住する住民は受忍限度を超えているとして国に損害賠償の義務を認めている[27][16]

事故等

2011年10月7日8時45分頃、小松基地所属のF-15Jが小松飛行場へ着陸する直前に、機体から左翼側機外燃料タンク及び一部部品が落下した[28]。この事故により2011年の航空祭は中止となった。

交通

本数・所要時間・運賃等の詳細は、該当項目や公式サイトを参照。

路線バス

テンプレート:Main 2013年3月31日現在、金沢駅西口小松駅[29]福井駅東口、加賀方面をそれぞれ発着する4路線がある。

タクシー

タクシー乗降場と待機所があり、原則としてタクシーが待機している。小松駅からはタクシーで10分程度である。

2011年(平成23年)11月6日より「加賀越前観光ガイドタクシー」が運行されている。

道路

駐車場

空港環境整備協会が運営する駐車場が、第1から第3まである。24時間利用可能で、普通自動車のみ入場から30分まで無料である。

航空プラザ臨時駐車場は2011年(平成23年)12月1日から小松空港国際線駐車場となり、小松発着の国際線利用者および小松 - 羽田・成田便を利用して羽田・成田空港で国際線に乗り継ぐ旅客に限定して無料開放している。なお、24時間を超える駐車は可能であるが車両の入出場が可能な時間帯は限られている。

周辺

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

参考文献

歴史・年表
  • 『設立50周年記念誌 翼広げて50年』 - 北陸エアターミナル(2010年10月)
  • 『基地と空港に関する資料 基地と小松 平成25年度』 - 小松市行政管理部飛行場課(2013年)
  • 「小松飛行場 - その運用と周辺対策 - 」『調和 基地と住民』1989年3月15日
  • 「小松飛行場 その運用と周辺対策等」『調和 基地と住民』2005年3月
  • 第8章6 航空自衛隊小松基地の沿革『安宅新町史』
  • 『Cargo』(海事プレス社)2004年4月号、2008年6月号(いずれも小松空港特集)

関連項目

外部リンク

テンプレート:Commons cat

テンプレート:Airport-info

テンプレート:日本の空港
  1. テンプレート:Cite press release
  2. 2.0 2.1 大阪防衛施設局長「小松飛行場-その運用と周辺対策-」『調和 基地と住民』No.33 1989年9月15日
  3. 『日本工業新聞』1962年1月5日、他9月の記事等
    この博覧会は産経新聞その他の協賛によって日本国内で向ヶ丘遊園など順次持ち回り開催されており、航空機や車両などの展示が実施された。
  4. 2006年5月FAZ制度廃止
  5. https://www.ana.co.jp/pr/09-0103/09-011.html
  6. テンプレート:Cite press release上位50位までを記載
  7. 『設立50周年記念誌 翼広げて50年』154および155ページ - 北陸エアターミナルビル(2010年10月発行)
  8. 大阪防衛施設局長「小松飛行場-その運用と周辺対策-」『調和 基地と住民』No.33 1989年9月15日
    発言要旨「米軍から返還後、民間航空機が使用しているが、施設が不十分、自衛隊の航空基地として整備し、併せて民間航空施設も完備すべきである」
  9. 防衛施設庁長官、石川県知事、周辺8市町村長(小松市長、加賀市長、松任市長、根上町長、寺井町長、辰口町長、川北村長、美川村長)による締結。自治体名はいずれも当時のもの。
    テンプレート:PDFlink 防衛施設庁史第3章第9節 2007年
  10. 日米安全保障条約第6条に基づく施設及び区域、日米地位協定第2条第4項(b)の適用による
  11. 周辺対策の主な出典は
    大阪防衛施設局「小松飛行場 その運用と周辺対策等」『調和 基地と住民』2005年3月
  12. 日末工業団地、小松鉄工団地、石川県土地開発公社による用地造成等
  13. 一般に飛行場は広大な敷地を舗装するためその土地の保水力は著しく低下し、大量の降雨の際は周辺地域に雨水が流出する。
  14. 一例としては安宅新排水路、長崎地区排水路
  15. 防衛施設庁算出法によるWECPNL
  16. 16.0 16.1 16.2 16.3 テンプレート:Cite web第一種区域はWECPNLの指定基準値により決定されるが、基準値は段階的に改正(1978年:85W→1980年:80W→1982年:75W)されていった。これは住宅防音工事の進捗状況を踏まえた措置であったが、建設時期が同一、ないしそれ以前のものであっても区域によっては対象とならない住宅が発生するという現象のこと。)
  17. 例:住宅防音工事(民防工事) テンプレート:リンク切れ 『アイホーム』ウェブサイト内
    防音工事はどういう工事? 小松市の工務店 (有)宮田建設 ~現場便り~ 2009年4月4日
    民間防音工事 伊藤建築
  18. テンプレート:Cite news
  19. 大阪防衛施設局「小松飛行場 その運用と周辺対策」『調和 基地と住民』1997年9月15日
  20. 例:下牧迂回路、城南松崎線等
  21. 防音を目的とした築堤。
  22. 「防衛施設庁、小松市に防音堤計画を説明」『日経新聞』北陸面 1976年1月31日
  23. 当時は「ホン」での測定が一般的であった。
  24. 「防衛庁、小松基地へのファントム来週配置を石川県など関係市町村に通告」『日経新聞』1976年8月14日朝刊
  25. テンプレート:Cite conference
  26. 月岡秀文「航空機騒音はどう変わったか? 防衛施設周辺の事例」『騒音制御』Vol31,No.2 2007年
    本節で述べた機材更新の影響はほぼこの記事を参考とした。
  27. テンプレート:Cite web
  28. 小松基地所属F-15の機外タンク落下について
  29. 一部の便はホテルサンルート前で終着、一部の便は粟津A線と直通運転する。