小岩井農場

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テンプレート:Infobox テンプレート:基礎情報 テーマパーク 小岩井農場(こいわいのうじょう)は岩手県岩手郡雫石町にある日本最大の民間総合農場である。東京都小岩井農牧株式会社(こいわいのうぼく)が運営している。

概要

岩手県盛岡市から西北約12kmに位置し岩手山南麓に約3,000ヘクタール(900万坪)の広大な敷地面積を誇り、その敷地の3分の2は雫石町、残り3分の1は滝沢市に属する。

同場は岩手県の代表的観光地として知られ、「小岩井農場まきば園」等の施設が一般に開放されている。毎年2月上旬には、このまきば園を会場として40年の歴史を誇る「いわて雪まつり」が開催される。園内では観光向けにトロ馬車馬車鉄道が運行されている。かつて、この馬車鉄道は1904年(明治37年)から1958年(昭和33年)までの間小岩井駅から農場内の各事業所を結び、現在テンプレート:いつのまきば園近くの「上丸牛舎」まで運行されていた。このほか、まきば園内には冬季を除いて宿泊可能なSLホテルもあったが2008年(平成20年)11月3日で休館となった。日本では最も長く営業を行ったSLホテルである。

また同場の乳牛(ホルスタイン)飼育数は約2,000頭であり、生産される生乳はすべて小岩井農場内にある小岩井乳業工場にて牛乳等に商品化されている。

乳業事業を行っている小岩井乳業株式会社は1976年(昭和51年)に分離・独立しキリングループの一員となっているが、現在テンプレート:いつも小岩井農牧と小岩井乳業の連携の下で乳製品の生産活動が行われている。なお、前述のまきば園近くにある同社の小岩井工場は冬期間以外は無料で見学することができ、小岩井製品が購入できる売店も併設されている。

歴史

1890年(明治23年)11月1日日本鉄道東北本線盛岡駅まで延伸開業した翌年の1891年(明治24年)、日本鉄道会社副社長の小野義眞(おのぎしん)、三菱社社長の岩崎彌之助、鉄道庁長官の井上勝の三名が共同創始者となり3名の姓の頭文字を採り「小岩井」農場と名付けられた。

当時のこの地域一帯は、岩手山からの火山灰が堆積し冷たい吹き降ろしの西風が吹く不毛の原野で、極度に痩せた酸性土壌であったという。そのために、土壌改良防風防雪林の植林などの基盤整備に数十年を要した。

1899年(明治32年)に三菱のオーナー一族・岩崎家の所有となる。戦前は育馬事業も行われており三冠馬セントライトなど数々の名競走馬を輩出したが、GHQの勧告により1949年(昭和24年)に競走馬の生産から撤退を余儀なくされた。この後、後述の種鶏事業が1962年(昭和37年)より始められている。

1938年(昭和13年)より小岩井農牧株式会社として事業活動を行っており、現在テンプレート:いつは酪農・種鶏・たまご・山林・環境緑化・技術研究・観光・農場商品販売等の事業を行っている。

その他

  • 宮沢賢治は農場とその周辺の景観を愛好し、しばしば散策した。中でも1922年(大正11年)5月の散策は、詩集『春と修羅』に収録された長詩「小岩井農場」のもとになった。この詩の中には当時の農場の様子(飼育されていたハクニー馬や倉庫など)も描写されている。
  • タレント田中義剛は、自身の農場(花畑牧場)を持つに当たって「小岩井農場のような大きな農場にしたい」と語っていた。
  • 2009年(平成21年)の農地法改正以前は、農業生産法人以外の株式会社が農地を所有して農業を営むことを禁止していた。小岩井農場は農業生産法人ではないが前述の規定のある農地法が制定された1952年(昭和27年)より前から農業経営を行っていたことから、農地所有が特例として許可されていた。
  • まきば園は通年営業しており、季節によりグリーンシーズン(4月下旬頃から11月初旬頃まで)とホワイトシーズン(11月中旬頃から翌年4月中旬頃まで)とに分けられる。ホワイトシーズン期間中は入場無料となり、園内施設の開業時間短縮や休止などがある。なお、いわて雪まつりはホワイトシーズン期間のため入場無料となっている。
  • 売店・山麓館、牧場館の一部レジはSuicaでの支払いに対応している。ただし、同レジでのチャージは現在テンプレート:いつ取り扱っていない。
  • 2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災の影響で、閉鎖されたままの施設がある。
  • 農場内にある一本桜は、岩手山をバックにきれいな花を咲かせる。しばしばドラマのロケ地となっている。

ギャラリー

アクセス

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小岩井農場まきば園

関連項目

外部リンク