宮崎公立大学

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テンプレート:Infobox 宮崎公立大学(みやざきこうりつだいがく、テンプレート:Lang-en)は、宮崎県宮崎市船塚1丁目1-2に本部を置く日本公立大学である。1993年に設置された。大学の略称はMMU。

概要

1993年4月に、宮崎県内7市町(当時)が設立した宮崎公立大学事務組合によって、宮崎大学教育学部(現・教育文化学部)の跡地に開学した。2013年現在では、宮崎市が単独で運営する公立大学法人によって設置されている。日本では数少ないリベラル・アーツ教育を行っている大学のひとつである。

沿革

  • 1991年7月 宮崎市宮崎郡[1]東諸県郡[2]一部事務組合として宮崎公立大学事務組合を設立。
  • 1993年4月 - 宮崎公立大学が開学。
  • 1997年3月 - 同窓会「なな会」が発足。
  • 2005年11月 - 凌雲会館完成。
  • 2007年4月 - 公立大学法人宮崎公立大学を設立。
  • 2007年10月 - 同窓会が「なな会」から「凌雲なな会」へと改称。
  • 2011年4月 - 宮崎公立大学事務組合を解散、宮崎市による単独運営となる。2010年度には運営費のほぼ全額(99.95%)を宮崎市が負担していた[3]

学部・大学院等

大学関係者

  • 学長  林 弘子(2013年4月- 専門 労働法

教授によるセクハラ問題

2004年、2008年に教授によるセクハラ裁判が発生し宮崎地裁がセクハラを認めている。2012年には4件目の事例が発覚し、中別府学長が引責辞任に追い込まれた[4]。2008年の事件に関しては、その後、男性教授が「セクハラ虚偽公表で苦痛」訴訟を起こし、2012年11月2日に和解している。内容は、「裁判所から(男性教授への)処分は正当と認められ、セクハラも認定された」と公表したことについて、裁判所がセクハラと認定した事実はなく、公表内容は同大学の論評であったということを双方が確認。また、来年度から男性教授が7講義を開講し、同大学が受講生を募集することなども決めた、というもの(『宮崎日日新聞』2012年11月17日)。『朝日新聞』宮崎版(2012年11月20日)では、「セクハラ認定ない 教授と公立大が和解 損害賠償訴訟」の見出しで掲載されている。 2009年7月、50代後半の教授が1年生の女子学生にメールアドレスを教え「毎日顔を見せてほしい」とメールを送りつけたり、「弁当を作ってほしい」と話しかけられたりし、研究室で2人きりになると教授が手や太ももを触るといったセクハラが発生し同年10月に女子学生が学校側に通報。この学生以外にもセクハラによる被害者が1人いたが、学校側は同年12月に対策として男性教授に口頭で厳重注意したのみだった。ただし、学生は「処分は望まない」としている[5]

学生は防止対策が不十分だとして調査会設置を求めたが、「学生は当初、行為の停止を求め、外部に公表しないでほしいと言っていた」と大学側が述べ、理事長の判断で調査会を開かなかった[6][7]が、報道後の2010年3月15日に調査委員会の設置、へと方針転換[8]、同年8月に調査が終了し、12月に教授から准教授への降格処分がなされた[9][10]

脚注

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外部リンク

テンプレート:日本の公立大学

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  1. 清武町佐土原町田野町。いずれも宮崎市に編入。
  2. 綾町国富町高岡町。高岡町は宮崎市に編入。
  3. 宮崎市が宮崎公立大単独運営へ 事務組合来春に解散」『宮崎日日新聞』2010年8月24日。テンプレート:リンク切れ
  4. セクハラ相次ぎ引責辞任 公立大・中別府学長テンプレート:リンク切れ「当然」「改革が必要」 公立大学長辞任テンプレート:リンク切れ『宮崎日日新聞』2012年1月11日。
  5. 宮崎公立大でセクハラ 教授に口頭注意テンプレート:リンク切れ 宮崎日日新聞、2010年3月8日配信。
  6. 再発防止策怠る 宮崎公立大セクハラテンプレート:リンク切れ 宮崎日日新聞、2010年3月9日。
  7. セクハラ教授に口頭厳重注意のみ…宮崎公立大 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)(2010年3月11日時点のアーカイブ
  8. 内部調査会設置へ 宮崎公立大セクハラ テンプレート:リンク切れ宮崎日日新聞、2010年3月16日社会面。
  9. 50代教授、准教授降任 宮崎公立大セクハラテンプレート:リンク切れ『宮崎日日新聞』2010年12月23日。
  10. 相談から処分に14カ月 宮崎公立大セクハラ問題テンプレート:リンク切れ『宮崎日日新聞』2010年12月24日。