宝塚音楽学校

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宝塚音楽学校旧校舎(現宝塚文化創造館)

宝塚音楽学校(たからづかおんがくがっこう)は、予科・本科合わせて2年制の、宝塚歌劇団団員養成所である。学校教育法上は兵庫県認可の各種学校となっている。

概要

阪急電鉄の出資で設立した。設立者は学校法人宝塚音楽学校(兵庫県知事所轄、各種学校)。

理事長は角和夫、校長は岩崎文夫能勢電鉄取締役)。名誉校長は小林公平[1]。副校長は2010年9月現在、今西正子[2]

  • 修業年限:予科1ヵ年 本科1ヵ年 女子単学
    • 前期(4月1日より9月末日)
    • 後期(10月1日より3月末日)
  • 休業日:日曜日・祝日・春季休暇(約30日間)・夏季休暇(約30日間)・正月休暇(約10日間)
  • 授業時間:午前9時より午後5時(予科生は、授業開始前の掃除が日課)
通常、昼間は実技中心の授業、夜は個人レッスンに励む。
  • 制服:洋服制服制帽コート類その他)、和服(緑の袴・黒紋付…色物着用の時もある)
  • 校舎:延床面積3,170平方メートル
    • 専門教室(洋舞・日舞・和楽器演奏・ピアノ声楽・演劇)、ホームルーム、校長室、副校長室、職員室、応接室、保健室、会議室、講堂
  • モットー:「清く 正しく 美しく」(小林一三の遺訓は「朗らかに」が前置される)

沿革

  • 1913年大正2年)
    • 7月 - 小林一三宝塚唱歌隊を設立。
    • 12月 - 宝塚少女歌劇養成会と改めた。
  • 1914年(大正3年) - 宝塚少女歌劇団として宝塚新温泉で初演した。演目は「ドンブラコ」「浮かれ達磨」「胡蝶」の三本立て。
  • 1919年(大正8年)1月 - 養成会を解散し宝塚音楽歌劇学校を設立(音楽学校と歌劇団は一体である)。
  • 1922年(大正11年)6月 - 初の運動会を開催する。
  • 1923年(大正12年) - 入学年齢を数え年13 - 19歳とする。
  • 1939年昭和14年) - 宝塚音楽舞踊学校と改称し、宝塚歌劇団と分離。
  • 1946年(昭和21年) - 宝塚音楽学校に改称。予科一年制。
  • 1947年(昭和22年) - 入学年齢を数え年16 - 18歳とする。
  • 1949年(昭和24年) - 学則改定により、入学年齢は数え年17 - 18歳、卒業後の進路は自由となる。
  • 1951年(昭和26年) - 準学校法人となる。
  • 1953年(昭和28年) - 入学年齢は満15 - 18歳となる
  • 1957年(昭和32年) - 予科・本科の二年制となる。
  • 1987年(昭和62年)10月 - 小林公平が理事長就任
  • 1996年平成8年)8月 - 小林公平が校長就任。
  • 1998年(平成10年)12月 - 新校舎落成、現在の校舎に移転。
  • 2009年(平成21年)4月 - 音校旧校舎が宝塚市立宝塚文化創造館としてオープン。
  • 2010年(平成22年)4月1日 - 角和夫が理事長に就任、岩崎文夫が校長に就任、小林公平が名誉校長に就任。
  • 2013年(平成25年)7月17日 - 創立100周年記念式典が宝塚大劇場で開催される。

特色

  • 毎日、声楽バレエ日舞三味線など、劇団で必要な事柄について、みっちりレッスンが組まれている。その他の授業には、モダンダンスタップダンス演劇ピアノなどがある。授業の後もすみれ寮でのレッスンがあり、忙しい毎日を送っている。
  • 小林一三による「朗らかに、清く、正しく、美しく」の教えに基づき、礼儀作法やマナーも厳しく、早朝から予科生が稽古場を丁寧に掃除していることは有名である。
  • 1989年より毎年全生徒が陸上自衛隊伊丹駐屯地基本教練の研修を受けている[2]
  • かつては「士官学校」と呼ばれるほどに厳しさは有名であった。昭和中期には現在に比べると大量の生徒を入学させていたが、同時に多数の落第者を出していた。当時は、夏長期休暇の際にはすべての生徒が家に帰宅させられ、後日通知のあった生徒のみ後期に進めるという厳しいものだった。現在も中退者が出ることがあるが、その中には自主退学した後、復学した者もいる[3]

教育課程編成アドバイザー

入学試験

入学試験は、毎年3月末~4月上旬に行われる。現在の定員(上限数)は50人である[4]

競争倍率
近年の平均的な倍率は20倍前後である(2012年1月現在[5])。
1960年代までは平均3倍程度だったが、『ベルサイユのばら』上演による宝塚歌劇ブーム以後急速に上昇し「東の東大・西の宝塚」と称されるほどの難関に変化した[5]。史上最高倍率は1994年度(宝塚歌劇団82期生)入学試験の48.2倍である[6]
ジンクス
前述の宝塚歌劇ブームから「『ベルサイユのばら』を上演した翌年の倍率は跳ね上がる」というジンクスが存在していた[7]
応募資格[8]
  • 容姿端麗で、宝塚歌劇団の舞台人に適する者
  • 義務教育終了~高卒までの年齢(15歳 - 18歳)の女子
試験内容[9]
面接
宝塚歌劇に適した容姿、言語、動作、態度等であるか否かについて審査する。
歌唱
課題曲(願書と共に配布、数曲中より1曲を選ぶ)の歌唱。
舞踊
体の柔軟性、リズム感、運動神経、洋舞の適性が審査対象になる。課題は、試験会場で本科生が模範演技を見せる。

試験方法の変更

宝塚音楽学校の入学試験は、創立以来内容をほぼ変更せず続けられていた[10]が、少子化に伴う受験者数の減少[11]と、「スクール[※ 1]で稽古を積まなければ合格できない」というイメージから、受験生がスクールのある都市部に偏り、地方出身者や未経験者が受験し辛い状況になっていたことを受け[12]、2009年度入学試験より試験内容を大幅に変更。

一次試験を面接のみとし、「新曲視唱」や「コールユーブンゲン」(合唱練習)を廃止するなど、実技試験を軽減[13]。受験時の完成度ではなく、素質と将来性を重視した試験へ転換した[11]

服装・校風

服装

  • グレーの制服に、赤いリボンタイで、デザインは森英恵による。
  • 入学生(予科生)は、男役:リーゼント、娘役:毛先まで堅く編み込まれた三つ編みのおさげ髪。
  • 胸もとの校章にある「TMS」は、「タカラヅカ・ミュージック・スクール」の頭文字。
  • 白の三つ折りソックスを着用すること。
  • なお、靴は、予科生は黒のローファー、本科生は黒のパンプスである。
  • 腕時計は黒皮ベルトのもの。

予科生の心得

  • 登下校の際は、嬌声や喘ぎ声をたてないよう、姿勢を正してまっすぐ前を見つめて、早足で登下校する。2列縦隊で行進しながら、道行く上級生一人一人に挨拶をする。
  • 私服でも、赤い物を着てはいけない。ブランド品を持ってはいけない。
  • 阪急電鉄宝塚線今津線にそれぞれ乗車する際は、一番後ろの車両に乗らなければいけない[14]。両親と同伴のときも守る必要がある。講師・本科生が、予科生を指導しやすいようにするためというのが、その理由と思われる。また、阪急電鉄関係者であることから[※ 2]、他の乗客に対する礼として為す、という意味もあるようである。加えて、電車内で座ることも厳禁とされており、下車駅で阪急電車に必ずお辞儀をするといったことも規則で決められている[15]
  • 校内では、来客が通りやすいように、廊下の端を歩く。
  • 公私すべてにおいて、本科生が予科生を指導し、その面倒をみるシステムになっている。
  • 本科生になると、上述の規則はゆるやかになる。

※以上のことは決して校則ではない。あくまで生徒間での指導の下で行われる予科生の心得である。
※2008年度からは本科生が予科生を厳しく指導することが禁じられたため、上記の予科生の心得も緩くなっている。

学校生活

入学後
1年目は「予科」、2年目は「本科」と呼ばれ、ほとんどの生徒は寮で集団生活する。
2年生(本科)の文化祭が、芸名でのお披露目であり、この時に「男役でいくか、娘役でいくか」を決める。テンプレート:誰範囲2ただし本人の個性(顔立ち・声など)が顕著な場合は例外もある。以前は身長を基準に高い方を男役、低い方を娘役の時代もあったが、現在は本人の自己選択[16]
進級・卒業は無条件ではなく、留年措置も存在する[17]
卒業後
音楽学校卒業後、基本的には全員入団するが、歌劇団から入団を拒否されたり、個人的な事情で入団を辞退する者もいる。
宝塚歌劇団に入団する場合、学校の席次は入団時にも付いて回る。新入団者の序列は、卒業時の席次であり、これが様々なリストなどで公開されている。
宝塚歌劇団入団後については宝塚歌劇団#歌劇団員と宝塚音楽学校を参照。

イベント

年間の主なイベントは下記の通り。

  • 4月
  • 5月
    • すみれ募金活動 (予科生と本科生に分かれて募金活動が行われる)
  • 7月
  • 11月
    • 秋の音楽会 (学校講堂にて披露される発表会)
  • 1月
    • 舞台化粧講習(本科生、宝塚歌劇団団員が直接指導にあたる)
  • 2月
  • 3月
    • 卒業式

その他

  • 毎週日曜日には、小学4年~中学2年まで(継続なら中学3年まで)の少女の健全育成を目的とした日曜教室「宝塚コドモアテネ」も開設され、宝塚音楽学校の講師陣と設備を利用し、バレエ・日舞・声楽の指導を実施している。
  • 受験合格者の中に宝塚コドモアテネほか、予備校と呼ばれるスクールの出身者が多い。ほとんどのスクールで元タカラジェンヌが直接指導をしており、受験にはとても有利になるという。
  • 宝塚ファミリーランドがあった当時は、宝塚音楽学校生徒で制服着用ならば園内の遊具の利用料が無償でありフリーパスだった。卒業生である大地真央未来創造堂出演の際、学生時代に、ジェットコースターが好きで休みの時、よく遊んだと述べている。
  • 2003年度よりのカリキュラム改革
    • 高校未卒業者のために向陽台高校と連携した高校修学(高卒資格取得)サポート制度(希望者のみ)がスタートした。初年度は24人、制度導入後4年間で101名(歌劇団生徒を含む)が利用。
    • 2004年度から2008年度まで千里国際学園から派遣されたネイティブスピーカーによる英会話の授業を週1回行っていた。
    • 2009年度より「ピラティス」「ボイストレーニング」の科目を新設。「音楽史」「狂言」「茶道」「英会話」の科目が廃止、選択授業の「器楽」も種目から三味線を廃止しピアノのみに変更。従来からある「演劇」「日舞」の授業内容も見直しが行われた。

96期生生徒の退学処分問題

2008年、96期生のある生徒に対して、コンビニでの万引きが疑われるとする目撃情報が同校に寄せられた。生徒は、自らの部屋から他人の私物が見つかる、共用の備品を自分の鞄に入れるなどの行為で、かねてより窃盗癖が周囲に疑われていたため、同校が生徒の部屋を調査した。結果、万引きしたとされる商品は見つからなかったものの、生徒が9日前に宝塚大劇場で拾ったとする他人の財布が発見された。 同年11月[18]同校は、生徒に対し、万引と窃盗(取得した財布を9日間隠匿していたこと)などを理由に退学処分を行った[19]

しかし、生徒は「他の生徒からいじめを受けており、身に覚えの無い万引をでっち上げられて告げ口で退学処分になった」、「虚偽の事実を元にした処分は無効」と主張し、宝塚音楽学校に地位確認を求める仮処分を求めて、宝塚市を管轄下に置く神戸地方裁判所に申し立てた。

2009年1月、神戸地裁は「万引きを裏付ける客観的な証拠はなく、拾った財布を届けなかったことで退学処分は酷」[19]と、元生徒の地位を認める仮処分命令を下す。これに対して17日、学校は二度目の退学処分を行う。生徒側は二度目の仮処分申請を地裁に申し立て、同年3月、裁判所は前回と同様にこの退学処分も無効とし[18]、学校が仮処分命令に従わない場合は、服するまでの1日につき1万円の間接制裁を課す命令が下された。

学校側はこれを不服として大阪高等裁判所抗告をするが、2009年8月、大阪高裁は神戸地裁の判断を認めて不許可の決定を下し、元生徒の復学を認める仮処分が確定した。だが、学校側は大阪高裁による仮処分確定後も司法命令に遵わずに、裁判所が下した決定を無視するという社会規範からの逸脱行為を続行している。裁判所はそれに対し「宝塚音楽学校に教育的配慮が欠けている。」(大阪高裁)「宝塚音楽学校は退学処分を正当化するために責任転嫁を行っている。」(神戸地裁)とした。

2009年11月1日[18]に元生徒側は、宝塚音楽学校に対し改めて退学処分の取り消しと、慰謝料1000万円の支払いなどを求め、神戸地裁に訴訟を起こした[19][20]

提訴に対し宝塚音楽学校は、「事実に基づき、校訓に従い処分をした。一部で報道されているような捏造の事実はない」「本件は原告が主張するようないじめの問題ではない」との声明を音楽学校のホームページにて発表した。(ただし和解成立後その声明を削除)

しかし、その後の2009年末、1人の96期生のブログが発覚。テンプレート:要出典この生徒は、その後の12月24日にブログ作成を理由に退学処分が決定。翌12月25日に自主退学し、後に復学したが、入団は辞退している[3]

裁判の過程で、2010年3月18日、4月1日両日、計13名の96期生が証人として出廷した。4月2日には、原告の中学時代の教師、原告の母親が原告側証人として、宝塚音楽学校副校長、同校事務長が被告側証人として出廷。その後原告本人が出廷し証言して、裁判は結審した。判決は6月18日の予定だったが、7月20日に延期された。結審後も和解協議が続行されて、7月14日裁判所の調停を原告、被告が受け入れ裁判は終結した。公表された調停内容は、被告・宝塚音楽学校は二度の退学処分を取り消す、原告に2010年3月1日付けで卒業資格を付与して、卒業証明に必要な書類を送付する、原告は宝塚歌劇団に入団しない、というもので、原告の主張がほぼ認定されて受理された。事実上、被告・宝塚音楽学校の敗訴が確定された。なお、被告・宝塚音楽学校から原告への謝罪の有無や慰謝料の金額は非公表[21]

2010年11月に山下教介がこの訴訟の経過をルポルタージュとしてまとめ、『ドキュメント タカラヅカいじめ裁判―乙女の花園の今』と題して鹿砦社から出版した。宝塚音楽学校でいじめが行われている実態が内容に記載されている。


週刊誌による報道テンプレート:信頼性要検証
週刊誌においては、原告の主張する同期生によるいじめは、寮生活において、同期生が「存在を消して」「死ねばいいのに」「私の視界に入るな」といった罵詈雑言を原告に浴びせ[22]、さらに、私物をゴミ箱に捨てられた[23]他、「洗濯物が汚い」という理由で洗濯機の使用を早朝5時に制限する[22]、ライターやナイフを鞄に入れていると言う[24]、共用スプレーを誤って鞄に入れてしまったことを「盗難」と騒ぎ立てる[24]、メーリングリストから一人だけ外して情報を与えない[23]などのものであったとされている。また、宝塚音楽学校の職員も、原告が万引きの疑惑をかけられた際に防犯カメラを見ればわかると訴えても無視し[24]、副校長が「本当にやっていないなら(弁明を)言えるんじゃないの?」と発言[24]、他の職員も「見ていたらイライラする」と発言した[22]、と報道された。

周辺情報

脚注

注釈

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

出典

テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

テンプレート:Sister

テンプレート:宝塚歌劇団
  1. 宝塚音楽学校・小林理事長が退任へ(神戸新聞)
  2. 2.0 2.1 「地域に密着した民生支援活動を紹介 自衛隊はいつも私達の隣にいる」 『MAMOR』、2010年9月、Vol.43、扶桑社、8-12頁
  3. 3.0 3.1 薮下哲司、「宝塚音楽学校第98期生の文化祭」スポニチ、2012年2月19日
  4. 学校の歴史」 宝塚音楽学校
  5. 5.0 5.1 平松澄子【ベテラン記者のデイリーコラム・平松澄子の麗しの歌劇】“東の東大、西の宝塚”宝塚音楽学校100期生に」 MSN産経west、2012年1月21日16時30付、2頁
  6. 宝塚の入学試験は“東の東大、西の宝塚”というほど狭き門」 NEWS ポスト セブン(女性セブン2011年10月13日号掲載記事)
  7. 桜木星子宝塚音楽学校合格発表!All About宝塚ファン、2002年4月1日
  8. 募集要項について 宝塚音楽学校
  9. 入学試験について 宝塚音楽学校
  10. 宝塚音楽学校、2009年度から入試方法変更へ」 スポニチ Sponichi Annex、2008年4月26日
  11. 11.0 11.1 タカラジェンヌ「入試」大改革MSN産経ニュース、2008年6月3日20時27分
  12. 質問なるほドリ:宝塚音楽学校の改革って?=回答・出水奈美 毎日jp、2009年10月24日
  13. 「宝塚」1次試験 実技廃止…音楽学校読売新聞、2008年04月26日
  14. 高汐巴著『清く正しく美しく』(1989年7月発行・ISBN 978-4891980771)より。
  15. 近藤正高著『私鉄探検』(2008年6月17日発行・ISBN 978-4797346602)より。
  16. NHKBSプレミアム「宝塚歌劇 華麗なる100年~スターが語る夢の世界~」
  17. 薮下哲司、「宝塚音楽学校第97期文化祭「風の中へ グラン・ジュッテ!」」スポニチ、2011年2月21日
  18. 18.0 18.1 18.2 退学処分の取り消し求め「宝塚音楽学校」を提訴 兵庫」 MSN産経ニュース、2009年11月4日20時33分 MSN産経ニュース、2009年11月4日20時33分 テンプレート:Wayback
  19. 19.0 19.1 19.2 宝塚音楽学校の退学無効、万引き認めず地裁が仮処分2度も 読売新聞2009年11月4日
  20. 神戸地方裁判所第六民事部 地位確認等請求事件 事件番号:平成21年(ワ)第3485番
  21. 退学処分撤回、女性と調停成立 宝塚音楽学校訴訟神戸新聞2010年7月15日 テンプレート:Wayback
  22. 22.0 22.1 22.2 山藤章一郎と本誌取材班、「ニュースを見に行く!現場の磁力:第174回宝塚<すみれ寮>でなにが起きたか「宝塚生徒 いじめ裁判」と「有馬稲子、天海祐希」の話」、『週刊ポスト』2010年4月9日号、小学館、141頁~143頁。
  23. 23.0 23.1 「陰惨法廷一部始終:宝塚音楽学校「女の園いじめ裁判」は凄い!」、『女性セブン』2010年4月22日号、小学館、44頁~45頁
  24. 24.0 24.1 24.2 24.3 「宝塚音楽学校:清く正しく美しい「イジメ退学」大騒動」、『週刊新潮』2009年11月9日号、株式会社新潮社、122頁~123頁。


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