定山渓

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テンプレート:Pathnav テンプレート:Infobox Settlement 定山渓(じょうざんけい)は、北海道札幌市南区の地名。「定山渓温泉東」と「定山渓温泉西」とを含め、「定山渓」として取り上げられる場合がほとんどである。なお、定山渓出張所の担当地域には、小金湯も含まれる[1]

概要

2012年現在、1382人、927世帯が、定山渓地域に暮らしている[1]

地区内に定山渓温泉があり温泉街を形成している。

区域

定山渓

「定山渓」より、定山渓温泉の地域を除いた部分である。

定山渓ダム豊平峡ダムがある。豊平峡温泉薄別温泉も、ここの領域にある。札幌国際スキー場も、ある。

定山渓温泉東

定山渓温泉のある場所である。

定山渓鉄道定山渓駅が、1969年10月31日まで、存在していた。

定山渓温泉西

定山渓温泉のある場所である。定山渓ホテルホテル鹿の湯などのホテルが営業している。

地名の由来

1866年(慶応4年)頃、定山渓温泉の存在を確認し、湯治場をつくり、定山渓地区の開拓に貢献した美泉定山の「定山」より由来する。美泉定山は、岡山県出身の曹洞宗の僧侶であり、1853年(嘉永6年)より、江差や瀬棚そして小樽の張碓と布教活動を繰り広げた。

今も、美泉定山の像が、定山渓に存在する。また、美泉定山の立てた定山寺も、存続している。

施設

学校

北海道札幌市南区定山渓温泉東4丁目308
北海道札幌市南区定山渓温泉西1丁目31番地

行政機関

  • 定山渓まちづくりセンター・定山渓出張所
札幌市南区定山渓温泉東4丁目315番地4

道路

札幌市街地と定山渓温泉そして中山峠・留寿都・洞爺湖を結ぶ道路
定山渓温泉と小樽市朝里を結ぶ道路

歴史

江戸時代

  • 1858年(安政5年)、松浦武四郎が、この地に泊まり、温泉の存在を確認している[2]
  • 1866年(慶応4年)、美泉定山が、温泉の存在を確認し、湯治場を作る。

明治

  • 1871年(明治4年)、現在の札幌市平岸と定山渓そして洞爺湖岸と伊達を結ぶ「本願寺道路」が完成する[3]
  • 1872年(明治5年)、平岸村の領域となる。
  • 1902年(明治34年)、定山渓が含まれた平岸村が月寒村や豊平村と合併し、豊平村となる。
  • 1906年(明治38年)、「公立定山渓簡易教育所」という名称で、小学校が建てられる[4]
  • 1908年(明治40年)、豊平村が豊平町となる。

大正

  • 1918年(大正7年)、定山渓鉄道が開通し、定山渓駅も営業を始める。定山渓ホテルも開業する[5]
  • 1924年(大正13年)、小樽新聞社で募集した北海道三景に、利尻や洞爺と共に、定山渓が選ばれる[6]

昭和

  • 1929年(昭和4年)、定山渓鉄道線の電化が完成し、電車運転の営業が始められる[6]
  • 1932年(昭和7年)、札幌駅前と定山渓および豊平峡を結ぶバス路線の営業が始まる[6]
  • 1934年(昭和9年)、後の章月グランドホテルである章月旅館が開業する。
  • 1940年(昭和15年)頃、定山渓森林鉄道が開業する
  • 1949年(昭和24年)、定山渓を含む領域が、支笏洞爺国立公園に指定される。
  • 1952年(昭和28年)、定山渓中学校の独立校舎が完成する[4]
  • 1953年(昭和28年)、国道230号二級国道として実現する。
  • 1961年(昭和36年)5月1日、豊平町が札幌市と合併し、定山渓も札幌市の地域となる。
  • 1965年(昭和40年)、豊平峡ダムが着工する。
  • 1968年(昭和43年)、定山渓森林鉄道が廃止となる。
  • 1969年(昭和44年)、国道230号の定山渓から中山峠まで、舗装工事が完成する[7]
  • 同年11月1日、定山渓鉄道線が廃止される。
  • 1978年(昭和53年)、定山渓にて札幌国際スキー場がオープンする

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

テンプレート:札幌市南区の地名
  1. 1.0 1.1 定山渓まちづくりセンター(定山渓出張所) - 札幌市南区役所
  2. 松浦武四郎の碑など3
  3. 本願寺道路跡 - 北海道記念碑
  4. 4.0 4.1 定山渓小学校の歴史
  5. 定山渓ホテル公式サイト
  6. 6.0 6.1 6.2 じょうてつの歩み第3回
  7. 道路建設の歴史・年表 - 札幌市