安部憲幸

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テンプレート:基礎情報 アナウンサー 安部 憲幸(あべ のりゆき、1945年5月8日 - )は、元朝日放送(ABC)のアナウンサーで、フリーアナウンサーである。兵庫県宝塚市在住。 

愛称は「アベロク」(ラジオの冠番組タイトルにも使用。他に「あべ六[1]アベ六」とも)。愛称の由来(意味)は、6チャンネル(ABCテレビ)の安部から来ているという説[1]、大学に6年通ったからという説がある。ABC時代の後輩アナウンサーで、部下でもあった名字が同じ読みの阿部成寿との区別にもなっている。

来歴・人物

島根県立安来高等学校國學院大學文学部日本文学科卒業後、1970年に朝日放送へアナウンサーとして入社した。同期入社に金木賢一らがいる。以来、プロ野球中継の実況やラジオのワイド番組パーソナリティなどを担当した。2005年に定年を迎え、ラジオ局コメンテーターとしてしばらく在籍したが、2006年3月31日に36年間勤めたABCを退職した。

一時期、ラジオの放送開始のアナウンスも担当していた。

1994年には、テレビゲーム実況パワフルプロ野球'94』(コナミ発売)で、スポーツゲームの実況という初の試みに挑戦。以来、長期に渡り同シリーズ(パワプロシリーズ)の実況を担当した(翌1995年2月に発売された『実況パワフルプロ野球2』の太田元治[2]など一部作品では別の人物が担当)。パワプロシリーズでは、「ビシッ!」「ガツーン!」といった擬音絶叫が収録されている。

大阪近鉄バファローズのファン。近鉄ファンになったきっかけは、「子供の頃に地元島根出身の選手が多く入っており、巨人に所属していた捕手竹下光郎が移籍後急速に伸びてきたから」という旨の発言をしている[1]

1971年9月9日鈴木啓示投手がノーヒットノーラン達成の瞬間を実況した。当初はこの中継がなく実況の練習の予定(当時は若手アナが野球の実況をやる事はなかった)で日生球場に行ったがこの状況になり急遽ラジオで実況を行う事になった[3]1988年には、10.19(1988年10月19日、川崎球場で行われたロッテ近鉄ダブルヘッダー)の第2試合のテレビ中継の実況を担当した。

ABC退職後はしばらくフリーアナウンサー・ラジオパーソナリティとして番組に出演し、講演活動などもしていた。しかし2007年に病に倒れ、それ以降は療養生活を送っている。

過去の出演番組

ABC時代-フリー

  • ABCラジオショッピング 〜早起きはロク文の得〜(ラジオ)

ABC時代

テレビ

ラジオ

主な出演ゲームソフト

関連人物

ABCアナウンサー時代の同僚
ABCアナウンサー時代の主な共演者

脚注

  1. 1.0 1.1 1.2 『実況パワフルプロ野球'94攻略ガイドブック』(1994年、小学館発行。書籍コード:ISBN 4091024726)掲載のインタビュー記事。
  2. ABCでの同僚アナウンサー。
  3. ベースボールマガジン社「さらば大阪近鉄バファローズ」より

外部リンク

※過去にABC公式サイト内で掲載されたプロフィールページの保存キャッシュ一覧(インターネットアーカイブより)

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