安生洋二

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安生 洋二(あんじょう ようじ、男性、1967年3月28日 - )は、日本プロレスラー・プロ格闘家、現GLORYスポークスマン。東京都杉並区出身。ニックネームは、Mr.200%

来歴

少年期〜UWF時代

少年時代をニュージーランドで過ごす。第1次UWFでの高田延彦の試合を見て興味を覚え、埼玉県立和光高等学校卒業後、UWFに入門。スパーリングで高田と対戦し、その強さに尊敬の念を覚えた。

1985年7月8日、広島県立体育館での星名治戦でデビュー。

1987年新日本プロレスヤングライオン杯に出場。

同年末、第1次UWFが興行活動を停止後、UWF軍として新日本プロレスに参戦。1988年の第2次UWFの設立に参加。

Uインター時代

1991年の第2次UWF解散後はUWFインターナショナルに加わり、選手として戦う傍ら、取締役として団体経営にも携わるようになる。特に、堪能な英会話力を生かして、外国人レスラーとの折衝にあたった。また、道場での強さを評して「ラッパ先生」と呼ばれた[1]

グレイシー道場破り事件

UWFインターに所属していた1994年12月7日、ロサンゼルスのヒクソン・グレイシー柔術アカデミーへ道場破りに行き、ヒクソン・グレイシーに挑戦。非公式試合ながら多くのヒクソンの弟子たちが見守る中、なすすべなく倒されパウンドを浴び、チョークスリーパーで失神させられた。その1か月ほど前「ヒクソンには200%勝てる」と公言し、前夜も朝方まで忘年会で浴びるほどに酒を飲むなどの余裕を見せていた挙句の敗北であった。この行動は、ヒクソンと対戦交渉を進めていたUWFインター側が、なかなか結論を出さないヒクソンを挑発するために行った外交交渉の意味合いがあった。その使者(刺客)として送り込んだのが、当時道場でも一番の実力者とされた安生であったという。良くも悪くも、結果的にこの事件によりUWFインターは業界で大きな注目を集め、3年後にPRIDE(ヒクソンvs高田延彦戦)が企画されるきっかけにもなった[2]

グレイシー道場破り失敗の余波

テンプレート:スポーツ選手の出典明記 グレイシー道場破りの失敗は安生本人にとって格闘家人生のトラウマとなり、後に「面と向かって高田さんの前に立てなくなった。自殺も考えた」と語っている[2]

ゴールデン・カップス

1995年からは、新日本プロレスとの対抗戦に出場。高田延彦に次ぐUWFインターNo.2として長州力蝶野正洋佐々木健介といった大物と対戦した。長州、佐々木には完敗したが(特に長州戦に関しては、この試合が決まるや「210%勝てる」と発言したが、試合はバックドロップリキラリアットサソリ固めの連携でわずか4分05秒で敗れ、実況の辻義就アナから「問題になりません!」などと言われるほどの負けっぷりであった)、伝説の「10・9」から数日後のUインター主催の蝶野戦ではメインイベントで変形足4の字固め(通称:グランドクロス200)で大金星といえる勝利を飾る。試合後、控室で「(頭を指差しながら)ここの差だね。“天才は天才を知る”と言いますが…」と発言した。約2ヵ月後に行われた再戦(新日本主催)では蝶野にバタフライロックで敗れている。また、「UWFは垣原とかに任せて、プロレス界は僕が背負って立ちます」と宣言するなど、そのビッグマウスぶりが話題になる。その後はMr.200%を名乗り高山善廣、山本健一(現・山本喧一)と「ゴールデン・カップス」を結成する。ちなみに1995年10月9日の東京ドームにおける安生戦での長州の試合後のコメントが、かの「キレてないですよ」(正確には「キレちゃいないよ」)である。一方の安生は長州戦後、「今日はあんまり無理はしなかった」「次回できるもんなら無理してみますよ」「これで僕も心を入れ替えて、謙虚な男に生まれ変わりますよ!」「謙虚イズベスト!」などとふざけたコメントを残し、記者達を爆笑させた。

1996年1月4日、新日本の東京ドーム大会で実現した冬木弘道との試合では、冬木のわきがが臭いとの公言どおり、デオドラントスプレーを持参しリングインし、ボディーチェックの際に「にスプレーしろ」と強要するものの逆に口にガムテープをぐるぐる巻きにされた上、ラリアートを浴び敗戦。また、同年夏まで続いた冬木軍対ゴールデン・カップスの抗争は、ガムテープ以外にも、パンティー、生卵、生きたタコ等が凶器として使用されるハチャメチャなものだった。後に冬木とはタッグを結成。

1996年7月20日、声優の富沢美智恵とゴールデン・カップスの共同名義で、CDアルバム『OHTACO』をリリース。記者会見では「今年の紅白歌合戦に出る」と宣言するも、出場はできなかった。

1996年6月30日には力道山メモリアル(横浜アリーナ)にも参戦し藤原喜明と対戦(両者リングアウト)。また、同年8月17日には神宮球場で高田延彦と「Uインター頂上対決」を行うも、キックの連打の前にTKO負け。

Uインター解散からハッスル始動まで

1996年末にUWFインター解散。翌1997年キングダムを設立するもののまもなく活動停止に追い込まれた(1998年3月)。その後は全日本プロレスなどに参戦する傍ら、総合格闘技K-1にも出場。K-1では佐竹雅昭と対戦するもTKO負け。全日本プロレスでは2001年天龍源一郎とのタッグで第44代世界タッグ王座を獲得した他、チャンピオン・カーニバル最強タッグリーグにも出場した。

2003年には長州力が設立したWJプロレスに参戦。

2004年からはプロレスイベント「ハッスル」で、高田モンスター軍のアン・ジョー司令長官として参戦していた。この年は道場破りから10年となる節目の年でもあり、同年12月31日の『PRIDE 男祭り 2004』ではグレイシー一族ハイアン・グレイシーと対戦。敗れはしたものの一区切りをつけた。

ハッスルでの立場

ここでは安生洋二との違いを主に記載する。主にハッスルでは高田モンスター軍に属しており、高田総統の側近として活躍する。アン・ジョー司令長官と安生洋二の関係は、高田総統と高田延彦、島田工作員と島田裕二のそれに近い。

アン・ジョー司令長官

ハッスルでは鬼教官の異名を持つ。ニックネームは、Mr.300%。高田総統の「ビターン」により、様々な姿に変身する。主な言語は英語である。日本語も話すが、一部の単語は英単語を用いる場合が多く、基本的に日本語文を読むことはできない。

ファイトスタイルは安生洋二とほとんど同じであるが、対戦相手に応じて攻撃パターンが異なり、新人や若手レスラーに対しては拷問刑に近い技を繰り出し、怪我が完治していない相手に対しては怪我の部位を徹底的に攻略するなど、頭脳プレーも時折見せている。

2004年の「ハッスル・ハウス クリスマスSP」ではモンスター軍全敗の責任を負い、降格こそ免れたが(インリン様がNo.2に昇格したため、実質的には降格となった)、インリン様に腕を折られるという制裁を味わった。

アン・ジョー之助

アン・ジョー司令長官に高田総統が「ビターン」を注入した姿であるが、アン・ジョー司令長官自身はアン・ジョー之助とは別人と主張している。タイガー・ジェット・シンとタッグを組むことが多い。主に竹刀を持って登場し、相手に対して攻撃する姿は上田馬之助に酷似している。

前田日明との確執

テンプレート:スポーツ選手の出典明記 1994年リングスとUWFインターナショナルとの対抗戦の交渉が不調に終わったことに不満を募らせ「前田なんて前の(第2次)UWFで終わった人間。高田さんを出すまでもない。僕でも200%勝てますよ」と挑発。一方、前田の側もプロレス誌で「安生と道で会ったらタダでは済まさん。家族の前で制裁を加える」と発言した。これについて、安生の自宅の襲撃を前田が示唆したとして、UWFインターは前田を名誉毀損と脅迫で告訴した。この問題は前田が記者会見を開いて謝罪することで告訴取り下げとなり、いったんは収まった[3]

1996年6月10日、ホテルオークラでのFIGHTING TV サムライ開局のパーティーでは前田が安生を「なめんなよ」と小突く[4][5]

1999年11月14日には、UFC-J会場において、「前にやられた時のお返し」として背後から不意打ちで前田を殴打して前田は失神。安生は傷害罪により略式起訴され、2000年1月5日に罰金20万円の略式命令を受けた[6]。結果的に前田は失神してしまったが、本来は殴った後に「文句があったらリング上でやろう」という話にするつもりだったという[7]

人物

  • 実兄は国際資格取得の専門学校と人材派遣業運営を主とする会社「ANJOインターナショナル」(2006年倒産)創業者だった安生浩太郎(現在は株式会社SPACEサーチ社長)、家族や本人も帰国子女の為、英会話は堪能である[8]
  • 芸能事務所「株式会社アネット」の社長を務めている。アネットにはエスパー伊東らが所属している(エスパー伊東とは同じ高校出身である)。
  • 阪神タイガースファンであり、「優勝したら千本ノックを受ける」と発言した。その後、2003年に優勝したが、実際に千本ノックを受けたかどうかは不明である。

入場テーマ曲

  • 「OVERHEAD KICK」(通常)
  • 「JAMES BROWN IS DEAD」(廃盤)
  • 「PROMENADE; TABLEAUX D'UNE EXPOSITION(『展覧会の絵』より)」/MODEST MUSSORGSKY(アン・ジョー司令長官として)

戦績

総合格闘技

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キックボクシング

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タイトル歴

得意技

グランドクロス200(変形足4の字固め)
この技でヒール転向後の蝶野正洋からギブアップを奪ったこともある。永田が同型のナガタ・ロックを使用している。永田は敬礼ポーズをしてから入る事もあり、一時期安生もそれをマネして敬礼ポーズをしてから入る事もあった。
スパイン・バスター
膝十字固め

脚注

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関連項目

外部リンク

  • スパーリング中に相手の鼻・口の上に乗ることにより息をさせなくする安生の得意技があり、練習生が必死に息をしようとするとその音がラッパを吹いているように聞こえることに由来する。
  • 2.0 2.1 安生、道場破りから10年 グレイシーと大みそか雪辱戦 スポーツナビ 2004年12月18日
  • 鈴木健『最強のプロレス団体 UWFインターの真実』エンターブレイン、2002年、pp.20-22
  • 谷川貞治「疑惑の男FILE1 前田日明」『別冊宝島274 プロレス謎読本 リングのタブーを解き明かせ!』宝島社、1996年、p.97
  • 大谷泰顕監修『トリプルクロス 電撃プロレス=格闘技読本』メディアワークス、2000年、p.182
  • 「<略式命令>元プロレスラーー殴り負傷させたプロレスラーに罰金」『毎日新聞』2000年1月5日
  • 大谷泰顕監修『トリプルクロス 電撃プロレス=格闘技読本』メディアワークス、2000年、p.182
  • UWFやハッスルでは通訳も兼ねていた。