姨捨駅

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ホームは2面2線の相対式
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左奥1線がスイッチバック用待避線、手前右2線が駅構内へ向かう線路であるが、当駅に停車しない特急等はスイッチバックは行わずに手前の長野側と奥方向の松本側の間の本線を直接通過する
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善光寺平-姨捨駅から
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姨捨駅ホーム(左)と篠ノ井線本線(右)

姨捨駅(おばすてえき)は、長野県千曲市大字八幡姨捨にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)篠ノ井線である。

概要

標高551mの山の中腹に位置し、全国でも数少ないスイッチバック方式を擁する駅である。駅舎及びホームからは山襞や樹木に隠れて冠着山山頂を望むことは出来ない。

当駅のホームから見下ろす善光寺平は日本三台車窓として知られ、根室本線狩勝峠(現在はルート変更により廃止)、肥薩線矢岳駅と共に日本三大車窓の1つに数えられる。姨捨地区からの景観は上高地天竜峡寝覚の床光前寺庭園と並び長野県下にある国指定の名勝5ヶ所のうちの一つでもあるが厳密には田毎の月(長楽寺持田である四十八枚田に映る月)を言う。徒歩で旅行した明治時代中期の頃までは長楽寺とその持田が観光目的地であったが、さらに標高が高く眺望の良い手近な所に鉄道が敷かれ当駅が置かれたことにより観月と風景を楽しむ周辺の観光エリアが広がった。

日本経済新聞社の2007年アンケート「足を延ばして訪れて見たい駅」の全国第2位にランクされた(1位は北九州市門司港駅、3位が霧島市嘉例川駅東京駅は4位であった)。また2008年には全国に数ある月の名所の中から当駅周辺が第1位の「お月見ポイント」に選ばれた。高知県桂浜や滋賀県石山寺(京都東山との説もある)とともに従来から日本三大名月に数えられていた。

見下ろす善光寺平は、甲越両軍が12年にわたり5たび繰り返したと伝えられる、川中島の戦いの場である。麓の武水別神社では上杉謙信武田信玄の討滅を祈願したと伝えられる。

駅構造

相対式ホーム2面2線を有するスイッチバック方式の地上駅である。駅付近の本線は、稲荷山付近から冠着トンネルまでずっと25 の上り勾配である。また、スイッチバックの引き上げ線内も奥へ向かって25 ‰の上り勾配になっていて、水平になっているのは駅の着発線付近のみである。かつては駅の着発線のさらに奥に66.7 ‰の急勾配が設置されており、ブレーキが効かずにオーバーランした車両を受け止める避難線となっていた。この線路の跡地は、姨捨変電所と駅利用者のための駐車場になっている[1]

本線上にホームは設置されておらず、通過列車は当駅のホームには入線しない。当駅に停車する場合、上り列車は急な上り勾配が続く本線から左側に分岐して水平に行き止まりの引き上げ線に入り、そこで進行方向を後ろ向きに変え本線を横切ってホームに入線する。発車時は再び進行方向を前向きに変え、本線へ進む。下り列車は逆に本線から左側に分岐して水平のホームに入線し、発車時は後進し本線を横切って引き上げ線に入ったのち改めて前進する。

駅舎は大正デモクラシーの時代の設計であり1934年(昭和9年)に完成したものである。木造で約100平方メートルある[2]。古くは貨物や小荷物も取り扱っていたが、1972年(昭和47年)3月に国鉄の駅としては無人駅となった。無人化後も、平成初めごろまでは構内に売店があり、委託として硬券の乗車券が販売されていた。しかし店主の引退に伴い売店が閉店となり、完全に無人駅となった。駅の管理は篠ノ井駅によって行われている。乗車駅証明書発行機が設置されている。

なお、スイッチバック方式の駅として設置された目的に「蒸気機関車への給水」があったが、1970年(昭和45年)2月に蒸気機関車の運行が行われなくなったため、現在では給水設備は撤去されている。ちなみに、この区間の電化は1973年(昭和48年)3月28日であり、蒸気機関車廃止から電化までの間は気動車(ディーゼル車)による運行がされた。

2010年(平成22年)に駅舎のリニューアル工事が行われ、7月24日に記念式典が行われた。このリニューアルでは、1934年当時の様子の復元が行われ、手小荷物扱い窓口が再現され、内壁や天井、建具などの修繕が行われた。[3]さらに9月7日には2番線ホームに半径2.5mの展望台が設置された[4]。 また、4月ごろから11月ごろまでの休日は地元の有志の方々により「くつろぎの駅」として、駅事務室の開放やお茶のおもてなしなどが行われる。[5][6] 「くつろぎの駅」開設期間を通して、硬券の記念入場券を買うことができる[6]が、出札業務は行われていない。

のりば

1 テンプレート:Color篠ノ井線(下り) 篠ノ井長野方面
2 テンプレート:Color篠ノ井線(上り) 松本塩尻方面
  • 一駅一名物:松尾芭蕉句碑
    長楽寺にあやかってのものだが、俳聖・芭蕉が「更科紀行」で詠んだ「おもかげや姨ひとりなく月の友」の句碑がホームにある。
  • ホーム上に俳句投函箱が設置されている。[7][8]

利用状況

1日あたり乗車人員は次の通りである[9]

年度 一日平均
乗車人員
1999年 83
2000年 78
2001年 75
2002年 70
2003年 63
2004年 69
2005年 69
2006年 70
2007年 71
2008年 71
2009年 70
2010年 72
2011年 77

駅周辺

夜景100選に選ばれている長野自動車道姨捨サービスエリアまでは当駅から直線距離約200m(徒歩だと1km)で、ほぼ同じ眺望を共有する。

駅直下には長楽寺があり境内には芭蕉来訪から約80年後に建碑のおもかげ塚など多くの歌碑や句碑、月見堂、伝説の姥岩、天然記念物となっている桂の大木がある。

棚田の周辺には小規模ながら古墳が散在する。駅南側の踏み切りを渡って左側に入った小古墳上からの景観は穴場と言える。眺望のポイントは駅からのほか、下記の地点が標高差や方位、時代背景、環境変化と共に推奨されて来た。

上記のほかに次についても当駅が最寄である。

歴史

その他

  • 休日に限らず駅周辺からの写真を撮る人が多い。列車と雪景色新緑、田植、稲刈、紅葉夜景など季節毎の景観を撮りこんでの題材が得られ人気がある。また元日早朝には初日の出を期待する人が2~30人を数えることがある。
  • 近年は姨捨発着の臨時列車の設定が盛んで、2008年5月には豊田車両センターの201系四季彩号を使用した「姨捨フォトトレイン四季彩号」、2009年5月には高崎車両センターの旧形客車を使用した「快速ナイトビュー更科号」が設定(前年にも更科ロマン号として設定実績あり)された。いずれの列車も客扱い終了後は一旦聖高原まで回送され、定期列車を待避している。
  • 松本 - 篠ノ井間で保安装置変更が行われ、従来のATS-SNからATS-P型に更新されたが姨捨駅構内はATS-SN型のまま残置され、保安装置の「P」→「S」及び「S」→「P」への切り替えを示す標識が駅手前の本線上や折り返し線に取り付けられている。

隣の駅

東日本旅客鉄道
テンプレート:Color篠ノ井線
テンプレート:Color快速「おはようライナー
通過
テンプレート:Color快速(「みすず」含む、一部の松本方面行きのみ停車)・テンプレート:Color普通(「みすず」含む)
冠着駅 - 姨捨駅 - (桑ノ原信号場) - 稲荷山駅
2008年まで冠着駅との間に羽尾信号場があった。

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

テンプレート:Sister

テンプレート:篠ノ井線
  1. 小西純一「篠ノ井線の歴史と技術」『鉄道ピクトリアル』2009年1月(No.813) pp.35 - 40 電気車研究会
  2. テンプレート:Cite web
  3. 交通新聞2010年7月27日
  4. JR姨捨駅に展望台新設 日本三大車窓の一つ 信濃毎日新聞
  5. 長野県鉄道全駅増補改訂版(信濃毎日新聞社)
  6. 6.0 6.1 2013年「姨捨駅」営業日のお知らせ(pdf)2013年8月30日閲覧
  7. 千曲市観光協会 姨捨駅
  8. 名月の里 さらしな・姨捨(千曲市観光協会)
  9. 「千曲市統計書」による