女性参政権

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財務省舎前で婦人参政権を求めるデモを行うアメリカ人女性(1913年3月3日)

女性参政権(じょせいさんせいけん)とは、女性が直接または間接的に地方自治体の政治に参加するための諸権利のこと。かつて婦人参政権(ふじんさんせいけん)と呼ばれていた用語を現代的に言い換えた表現である。

概説

18世紀末のフランス革命で、普通選挙が実現したが、参政権が付与されたのは男性のみであった。欧米社会にあっても、社会参加は男性が行い、女性は男性を支えていればよいとの意識が強かった。女性参政権は19世紀後半にごく一部で実現したが、欧米において女性参政権が広まったのは20世紀に入ってからであった。世界初の恒常的な女性の参政権は、1869年にアメリカ合衆国ワイオミング州で実現した(但し選挙権のみ)。被選挙権を含む参政権の実現は1894年のオーストラリア南オーストラリア州が世界初である。

女性参政権は20世紀を通してほとんどの国で認められるようになり、21世紀に入った時点で女性参政権を認めていない国はイスラム圏のごく一部等極めて限られていた。21世紀に入ってからはそれらの国々でも女性参政権が徐々に認められてきており、現在でも純粋に女性参政権を認めていない国は、サウジアラビアバチカン市国くらいである。

日本

日本の「婦人参政権運動(婦人運動)」の中では、

  1. 国政参加の権利、衆議院議員の選挙・被選挙権。
  2. 地方政治参加の権利、地方議会議員の選挙・被選挙権(公民権)。
  3. 政党結社加入の権利(結社権)。

の3つを合わせ、「婦選三案」あるいは「婦選三権」と呼ばれてきたテンプレート:誰2

日本における女性参政権獲得までの歴史

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女性参政権を求める行進(1912年、ニューヨーク)
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戦後初の総選挙で誕生した女性代議士(1946年)

日本で普通選挙が実現したのは、1925年(大正14)であった。しかし、フランス革命当時の欧米と同じように、男性のみの参政権が明文化された。

日本の婦人運動は、戦争の激化による中断はあるものの明治末年からの歴史を有し、女性の中には政治的権利を希求する意識が醸成されていた。[1]。 明治の末年から大正デモクラシーの時期にかけて、女性参政権を求める気運が徐々に高まってくる。堺利彦幸徳秋水らの「平民社」による治安警察法改正請願運動を嚆矢として、平塚らいてう青鞜社結成を経て、平塚と市川房枝奥むめおらによる新婦人協会(1919年)や、ガントレット恒子、久布白落実らによる日本婦人参政権協会(1921年、後に日本基督教婦人参政権協会)が婦人参政権運動(婦人運動)を展開。続いて各団体の大同団結が図られ、婦人参政同盟{日本婦人協会}(1923年)<理事山根キク>、婦人参政権獲得期成同盟会(1924年、後に婦選獲得同盟と改称)が結成、さらに運動を推進した。

これらの運動は、戦前の日本において、女性の集会の自由を阻んでいた治安警察法第5条2項の改正(1922年)や、女性が弁護士になる事を可能とする、婦人弁護士制度制定(弁護士法改正、1933年)等、女性の政治的・社会的権利獲得の面でいくつかの重要な成果をあげた。

1931年には婦人参政権を条件付で認める法案が衆議院を通過するが、貴族院の反対で廃案に追い込まれた。

第二次世界大戦後の1945年10月10日幣原内閣で婦人参政権に関する閣議決定がなされた。また、翌10月11日、幣原内閣に対してなされた、マッカーサーによる五大改革の指令には、「参政権賦与による日本婦人の解放」が盛られていた。また、終戦後10日目の1945年(昭和20)8月25日には、市川房枝らによる「戦後対策婦人委員会」が結成され、衆議院議員選挙法の改正や治安警察法廃止等を求めた五項目の決議を、政府及び主要政党に提出する。同年11月3日には、婦人参政権獲得を目的とし、「新日本婦人同盟」(会長市川房枝、後に日本婦人有権者同盟と改称)が創立され、婦人参政権運動を再開している。

1945年11月21日には、まず、勅令により治安警察法が廃止され、女性の結社権が認められる。次に、同年12月17日の改正衆議院議員選挙法公布により、女性の国政参加が認められる(地方参政権は翌年の1946年9月27日の地方制度改正により実現)。1946年(昭和21)4月10日の戦後初の衆議院選挙の結果、日本初の女性議員39名が誕生する。そして、同年5月16日召集の第90特別議会での審議を経て、10月7日憲法改正案成立となる(日本国憲法11月3日公布、1947年(昭和22)5月3日施行)。

日本初の女性参政権

1878年(明治11年)の区会議員選挙で、「戸主として納税しているのに、女だから選挙権がないというのはおかしい。」と楠瀬喜多という一人の婦人が高知県に対して抗議した。しかし、県には受け入れてもらえず、喜多は内務省に訴えた。そして1880年(明治13年)9月20日、3ヶ月にわたる上町町会の運動の末に県令が折れ、日本で初めて(戸主に限定されていたが)女性参政権が認められた。その後、隣の小高坂村でも同様の条項が実現した。

この当時、世界で女性参政権を認められていた地域はアメリカワイオミング準州や英領サウスオーストラリアピトケアン諸島といったごく一部であったので、この動きは女性参政権を実現したものとしては世界で数例目となった。しかし4年後の1884年(明治17年)、日本政府は「区町村会法」を改訂し、規則制定権を区町村会から取り上げたため、町村会議員選挙から女性は排除された。


世界各国の国政選挙における女性参政権の獲得年次

テンプレート:出典の明記

なお、女性の参政権を認めていない、もしくは制限付きでのみ認めている国は以下のとおりである。

  • ブルネイ 1959年に女性参政権が認められたが、1962年以降は男女とも選挙権が認められていない。
  • レバノン 女性のみ初等教育を受けた証明が必要。また、投票は男性には義務化されているが女性は任意である。
  • サウジアラビア 2009年に女性参政権が保証されたらしいが、実際の選挙権・被選挙権は今のところ認められていない。2013年1月11日、諮問評議会の次期議員に30人の女性を任命した。任期は4年[4]
  • アラブ首長国連邦 制限付きでのみ女性参政権が認められている。但し2010年からは完全に認められる予定。
  • バチカン市国 議会を有さない。なお聖職者により国事が運営されるが、女性は聖職者に就任できない。

脚注

  1. 児玉勝子『婦人参政権運動小史』ドメス出版、1981年、13~15頁、303~305ページ
  2. http://es.wikipedia.org/wiki/Plebiscito_de_Cerro_Chato_de_1927
  3. 3.00 3.01 3.02 3.03 3.04 3.05 3.06 3.07 3.08 3.09 3.10 3.11 3.12 3.13 3.14 3.15 3.16 国本伊代「ラテンアメリカの新しい社会と女性 20世紀最後の四半世紀の変化をめぐって」『ラテンアメリカ新しい社会と女性』国本伊代:編、新評論 2000/03
  4. ブリタニカ国際年鑑2014年版、11頁、2014年5月5日閲覧

関連項目

外部リンク

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