太地駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:駅情報

ファイル:TaijiSt2.jpg
ホームの壁画(2005年8月)

太地駅(たいじえき)は、和歌山県東牟婁郡太地町大字森浦にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)紀勢本線(きのくに線)の

太地町の中心駅で、2014年(平成26年)3月15日のダイヤ改正から全ての特急列車が停車する。

駅構造

線路東側(新宮方面に向かって右側)に単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームは築堤上の高い位置に置かれ、駅舎へは階段もしくは細い坂を下る。ホームの壁には太地が捕鯨の町であることにちなみ、鯨の絵が書いてある。これは1996年平成8年)に完成した。

新宮駅管理の無人駅。駅舎はコンクリート平屋建てで、隣には太地町が2001年(平成13年)に建てたトイレがある。駅舎の事務室部分には社会福祉法人高瀬会の「高瀬会高齢者居宅介護JR太地駅支援センター」が入っている。日中は同センターの職員が駅事務室にいるが切符類の販売は行わない。切符類は駅舎内に設置された押しボタン式の自動券売機で購入する。この自動券売機では1660円区間までの近距離乗車券と、自由席特急券を購入できる。

2011年(平成23年)にバリアフリー化の一環で改札口からホームへ通じるエレベーターが設置された。

南紀くろしお商工会が駅舎に入居している

駅周辺

駅は線路が那智勝浦町から外れて太地町に入ったところに位置し、前後の駅はいずれも那智勝浦町に属している。

太地町の中心集落太地は海に突き出した小さな半島の先にあり、駅は太地町の中心部とはかなり離れた、東のはずれのような位置に置かれている。

駅前には商店が数軒と民家が少々あるが、これは森浦湾の入り江の奥に発達した森浦集落の端に当たる部分である。森浦は1889年明治22年)に太地村に吸収されるまでは森浦村という独立したひとつの村であった。

太地町中心部へはバスなどでの連絡がある。太地町や太地の観光スポットへは周辺の交通の中心地である紀伊勝浦駅付近から行く者も多い。

利用状況

1日の平均乗車人員は以下の通りである。[1]

乗車人員推移
年度 1日平均人数
1998 205
1999 196
2000 191
2001 183
2002 182
2003 181
2004 175
2005 157
2006 159
2007 154
2008 156
2009 147
2010 131
2011 115
2012 122

バス路線

熊野交通
太地町町営じゅんかんバス
くじら浜、国民宿舎、太地町役場方面

歴史

1935年7月、国鉄紀勢中線の紀伊勝浦駅から下里駅までの開通と共に開業。1940年には紀勢西線の江住駅から串本駅新宮駅から紀伊木本駅(現在の熊野市駅)の開通により紀伊木本駅から和歌山駅(現在の紀和駅)までが紀勢西線とされ、紀勢西線の駅となった。その後当駅は1959年、今の紀勢本線が全通し亀山駅と和歌山駅(現在の紀和駅)の間が紀勢本線となったのを受け国鉄紀勢本線の駅となり、さらに国鉄分割民営化を経て現在に至っている。

  • 1935年昭和10年)7月18日 - 国鉄紀勢中線の駅として開業。
  • 1940年(昭和15年)8月8日 - 路称により紀勢西線の駅となる。
  • 1959年(昭和34年)7月15日 - 再度の路線改称により紀勢本線の駅となる。
  • 1985年(昭和60年)3月14日 - 無人化。一部の特急「くろしお」が停車を開始。
  • 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道に承継。
  • 1996年平成8年) - ホームの鯨の壁画が完成。
  • 2014年(平成26年)3月15日 - ダイヤ改正により、全ての特急列車が停車するようになる。[2]

その他

  • 松竹映画 (DVD) 「喜劇怪談旅行」(主演:フランキー堺)は有人駅時代の当駅(新宮電化以前)が舞台。キハ82系「くろしお」、キハ58系「きのくに」?、DF50牽引の貨物列車が登場する。

隣の駅

※特急「くろしお」の隣の停車駅は列車記事を参照のこと。

西日本旅客鉄道
テンプレート:Colorきのくに線(紀勢本線)
湯川駅 - 太地駅 - 下里駅

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

テンプレート:Navbox
  1. 『和歌山県統計年鑑』及び『和歌山県公共交通機関等資料集』
  2. 今春のダイヤ改正 JR西日本