天橋立鋼索鉄道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:告知

テンプレート:UKrail-header2テンプレート:BS-datenテンプレート:UKrail-header2テンプレート:BS-tableテンプレート:BS2テンプレート:BS2テンプレート:BS2テンプレート:BS2テンプレート:BS2テンプレート:BS2テンプレート:BS2テンプレート:BS2テンプレート:BS2テンプレート:BS2

|}

ファイル:Hashidate-cable-untendai.JPG
かつて使用されていた運転台(府中駅に展示)

天橋立鋼索鉄道(あまのはしだてこうさくてつどう)は、京都府宮津市の府中駅から傘松駅に至る丹後海陸交通ケーブルカー路線。天橋立ケーブルカー傘松ケーブルとも呼ばれている。

北近畿タンゴ鉄道宮津線天橋立駅から日本三景天橋立傘松公園を経て成相山成相寺へ至る参詣ルートの途中にある。リフトが併設してあり乗車券は共通となっている。

路線データ

  • 路線距離(営業キロ):0.4km
  • 軌間:1067mm
  • 駅数:2駅
  • 高低差:130m
  • 最急勾配:461
  • 最緩勾配:78‰

運行形態

15分間隔の運行で所要時間は4分。時期により営業時間が変わる。

  • 1月、2月、12月 : 8:00 - 16:30
  • 3月、11月 : 8:00 - 17:00
  • 4月、5月、6月、9月、10月、7月1日 - 7月19日、8月21 - 8月31日 : 8:00 - 17:30
  • 7月20日 - 8月20日 : 8:00 - 18:00

車両

現用車両の車体は1975年アルナ工機で製造されたもので、車体長が7.95mと日本国内の鉄道事業法によるケーブルカーの旅客車としては最短級である[1]

歴史

  • 1924年(大正13年)6月21日 丹後自動車に対し鉄道免許状下付[2]。 
  • 1926年(大正15年)5月5日 鉄道敷設権を成相電気鉄道に譲渡することを許可[3]
  • 1927年(昭和2年)8月13日 成相電気鉄道が府中 - 傘松間を開業[4]
  • 1927年(昭和2年)12月22日 天橋立鋼索鉄道に社名変更[5]
  • 1929年(昭和4年)8月5日 乗合自動車運行開始(笠松-成相寺間)[6]
  • 1944年(昭和19年)2月11日 不要不急線として廃止[7][8]
  • 1944年(昭和19年)5月31日 天橋立鋼索鉄道会社解散[9]
  • 1950年(昭和25年)5月18日 丹後海陸鉄道に府中 - 傘松間地方鉄道免許[10]
  • 1951年(昭和26年)8月12日 丹後海陸交通により府中 - 傘松間が再開業[10]

駅一覧

府中駅 - 傘松駅

府中駅は構内の勾配が78‰と、粘着式鉄道である箱根登山鉄道鉄道線の最急勾配区間(80‰)よりも緩斜面であるため、ホームは階段状ではなくスロープとなっている。

接続路線

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

テンプレート:Sister
  1. けいてつ協會『知られざる鉄道』JTB、1997年、p.109.
  2. 「鉄道免許状下付」『官報』1924年6月25日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. 「鉄道譲渡」『官報』1926年5月6日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. 「地方鉄道運輸開始」『官報』1927年8月23日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. 『鉄道統計資料. 昭和2年』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
  6. 『全国乗合自動車総覧』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
  7. 「戦局ノ推移ニ伴イ政府ニ於テハ地方鉄道、軌道及索道ノ整備状況計画ヲ樹立シ之ヲ実施スル為当社経営ニ係ル鋼索鉄道ノ施設ヲ回収セラレルコトニ決定シタル旨通牒アリタルニ付国家ノ要請ニ應ヘ戦力増強ニ資センガタメ為営業ヲ廃止セントス」(廃止理由書『天橋立鋼索鉄道・自昭和十一年至昭和二十年総局業務局』70頁)国立公文書館 デジタルアーカイブ で画像閲覧可
  8. 「鉄道運輸営業廃止」『官報』1944年3月31日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  9. 政府の指導斡旋により営業廃止のため(「会社解散に関し証明の件」『天橋立鋼索鉄道・自昭和十一年至昭和二十年総局業務局』107頁)
  10. 10.0 10.1 国土交通省鉄道局監修『鉄道要覧』平成十八年度、電気車研究会・鉄道図書刊行会