天城越え (曲)

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天城越え』(あまぎごえ)は、石川さゆり1986年に発売した

概要

曲は1985年、吉岡と弦、桜庭の3人が天城湯ヶ島町(現・伊豆市)の温泉旅館・白壁荘で製作した。3人は旅館に2泊し、現在の大女将の話によると、吉岡は旅館周辺を散策する事で詞の原案を練っていたという[1]

当時のカラオケブームの最中に、「石川にしか歌えない、難易度の高い作品を」ということで制作された楽曲である[2]

NHK紅白歌合戦』で、1986年第37回)、1997年第48回)、1999年第50回)、2002年第53回)、2005年第56回)、2008年第59回)、2010年第61回)、2012年第63回)と計8回も歌唱しており、第37回と第53回は紅組トリで歌唱した。同一曲8回歌唱というのは、中村美律子の『河内おとこ節』に並んで紅白歌合戦の歴史上最多記録である。

2005年に実施された「スキウタ〜紅白みんなでアンケート〜」では、紅組の16位に選ばれた。

歌手の中森明菜が、2007年6月に演歌を歌ったカバーアルバム艶華 -Enka-』をリリースし、インターネット投票でもっともリクエストの多かった「天城越え」をアルバムに収録した。また、マーティ・フリードマンがエレキギターでロック調にアレンジしたことがある。2010年には、misonoによってもカバーされた。また、アレンジされた天城越えはテレビ朝日系列で放送されている『シルシルミシル』内でBGMとして使用されている。

2008年シーズンのイチローの打席曲にもなった。これはシーズンオフに帰国して紅白を見ていたイチローが石川の歌う「天城越え」を聴いて、「記録など、いろいろな物を越えたい」と思ったからだという。その後石川はマリナーズのホームゲームに招待されたが、石川自身は野球音痴だという。

脚注

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  1. 静岡新聞・2010年5月18日朝刊 31面掲載の記事より
  2. 読売新聞社文化部『この歌この歌手―運命のドラマ120〈下〉』現代教養文庫、1997年、240-241頁。ISBN 4390116029