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'''大番役'''(おおばんやく)は、[[平安時代]]後期から[[室町時代]]初期にかけて、地方の[[武士]]に[[京都|京]]、[[鎌倉時代]]に入ってからは[[鎌倉市|鎌倉]]の警護を命じたもの。 [[鎌倉時代]]の武家法である[[御成敗式目]]が制定されると、[[大犯三ヶ条]]において[[御家人]]の職務として明文化された。[[鎌倉時代]]以降は、各国に振り分けられ、各守護が責任者となり、国内の[[御家人]]に振り分けして指揮に当たった(大番催促)。その後[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]に廃れた。 ==京都大番役== [[京都]]の[[皇居]]や[[院]]など(のちに[[摂家|摂関家]]も)の警備に当たる職務を京都大番役という。地方の武士にとっては負担が大きく、その期間は[[平安時代]]には3年勤務であったが、[[源頼朝]]が半年勤務に短縮し、[[公家]]に対して[[武家]]の優位が確定する鎌倉時代中期になると3ヶ月勤務と大幅に短縮された。 しかしながら、[[平安時代]]末期においては地方の[[武士]]が中央の[[公家]]と結び付きを持つチャンスであり、大番役を通して[[官位]]を手にする事が出来た。つまり自らが在地している[[令制国|国]]の介・権介・[[掾]]に任命してもらう事で[[在庁官人]]としての地位を手にし、支配権を[[朝廷]]の権威に裏打ちしてもらうと言う利点があった。また、[[和歌|歌]]などの都の文化を吸収し、それを地方に持ち帰ることもあったようである。 逆にデメリットとして、こうした大番役は惣領に限らずその子が請け負う事もあったが、子が京にいる間に惣領がなくなった場合、地元で弟・叔父などが勝手に惣領の地位を収奪してしまう、という事態が起きることもあった(例:[[上総広常]])。また、惣領である父が京にあって子が地元にいる場合、地元で騒乱があっても迅速な対応が出来かねるということもあった(例:[[畠山重忠]])。 ==鎌倉大番役== 鎌倉の幕府(将軍御所や[[侍所]]などの施設を含む)を警備する役目を鎌倉大番役という。[[御恩と奉公]]の奉公に当たる。御恩と奉公によって導き出される[[封建制]]の中にあって、幕府に仕える御家人にとっては当然の職務となる。 ==関連項目== *[[番役]] *[[異国警固番役]] {{DEFAULTSORT:おおはんやく}} [[Category:平安時代]] [[Category:鎌倉幕府法]]
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