蒲蒲線
蒲蒲線(かまかません)は、大田区などが調査・計画中の鉄道路線である。東京急行電鉄(東急)の蒲田駅と京浜急行電鉄(京急)の京急蒲田駅を連絡し大田区東西方向の移動の利便性を向上するとともに、羽田空港へのアクセスを改善する空港連絡鉄道として検討が進められている。
歴史
- 1987年:大田区による調査開始[1] 。
- 1989年:大田区が「大田区東西鉄道網整備調査報告書」を発表[2]。
- 2000年1月:運輸省運輸政策審議会が公表した運輸政策審議会答申第18号「東京圏における高速鉄道を中心とする交通網の整備に関する基本計画について(答申)」の中で、「京浜急行電鉄空港線と東京急行電鉄目蒲線を短絡する路線の新設」として、整備主体の見通し等の鉄道整備に係る熟度、投資能力等の面で解決すべき基本的な課題があり、現時点で開業時期は特定できないが、少なくとも目標年次(2015年(平成27年))までに整備着手することが適当である路線に位置づけられる[3]。
- 2005年10月:整備促進のための区民組織として、区内自治会・町会、商工団体などからなる「大田区蒲蒲線整備促進区民協議会」が発足[4][1]。
- 2006年1月:大田区が「大田区東西鉄道「蒲蒲線」整備計画素案」をまとめる[2]。
- 2007年10月:国、都、区、東急、京急による勉強会が発足。
- 2011年11月:事業主体の一つになることが予想される東急電鉄が投資家へ構想を発表。
計画
大田区は2011年までに以下の形での整備計画を整備調査報告としてまとめている[5]。
東急多摩川線矢口渡駅付近から、東急蒲田駅・京急蒲田駅付近の地下を経由し、京急空港線大鳥居駅に至る。矢口渡駅 - 蒲田駅間に設けられる分岐地点から、大鳥居駅まですべて新規に地下線路を敷設する。
東急線と京急線は軌間(レールの間隔)が異なるため、直通運転は行わないこととしている。東急側は東急多摩川線矢口渡駅 - 蒲田駅間の分岐地点から東急蒲田駅付近の地下まで単線の線路を建設し、その場所に「東急蒲田駅地下駅(仮称)」を新設する。京急側は、東急蒲田地下駅の同じホームの逆側から大鳥居駅まで、同様に単線の線路を地下に建設し、大鳥居駅付近の分岐地点で京急空港線に合流し羽田空港まで直通する。京急蒲田駅付近の地下には交換駅の「南蒲田駅(仮称)」を建設することとしている。 直通運転はしないが、東急蒲田地下駅に東急側と京急側から同じホームに乗り入れることにより、同一ホームでの乗り換えを可能とする計画となっている。
なお、現在大田区役所となっている建物の西端の地下には、トンネルは掘られていないものの鉄道トンネルを建設するための用地が確保されており、そのための用地であることが建物図面にも表記されている[6]。
運行計画
大田区の報告書でも、東急側は蒲田駅から東横線・副都心線を経由して西武・東武方面へ運行することが想定されている[5]。
その他の構想
このほか軌間可変電車(フリーゲージトレイン)方式を採用し直通運転を行う構想もある[6]。
現状
大田区によると、2007年10月に国、都、区、東急、京急による勉強会を立ち上げたところ、都以外は前向きな姿勢を示したとされる[7]。また、東急電鉄は2011年11月15日までに投資家への説明において蒲蒲線建設検討を発表、国などに支援を求める計画を明らかにしている[8]。
本計画の課題
本計画実現には以下に挙げるような課題がある。今後、計画具体化するまでにこれらの課題解消が必要となる。
- 短い路線のため、既存の補助制度では単独線としての事業採算性が期待できないことや、整備事業者と他の事業者との調整が困難[9]。ただし、大田区は都市鉄道等利便増進法の制定でこれらの問題が解決されたとしている[10]。
- 地上が建物密集地のために全線地下線とせざるをえず、建設費が高額になる[9]。
- 行政主導の計画であり、建設や運営の主体がどこになるか予定されていない。
- 予定事業費1,000億円以上のうち、東急、京急は一切費用負担しない。総工費の1/3は大田区が負担するため費用対効果の面から多額の地元負担が問題視されている。当初目的の蒲田駅と京急蒲田駅との連絡ならば現在でも路線バスが頻発しており、運賃が100円と低廉であることから建設意義は薄い。
- 前述の通り、京急と東急では軌間が異なる。そのため本計画が実現しても1回乗り換えが生じてしまう。現在でも、池袋駅や渋谷駅から羽田空港へは1回の乗り換え(浜松町駅ないし品川駅)しか要さない状況で、わざわざ乗り換えを要する新線を建設するだけの需要と必要性があるのかが未知数。
- 空港線の終着駅である羽田空港国内線ターミナル駅のプラットホームおよび線路の配置が1面2線で、現状の列車本数でも一杯であり、駅を改良しない限り蒲蒲線の利用客をカバーするだけの列車が入り込む余地がない。計画案は、羽田空港駅(当時)の改良について何も言及していない。
- 2011年の大田区長選挙では、羽田空港の再国際化が地元活性化に繋がっていない、または蒲田は単なる通過点だとして、蒲蒲線計画中止を公約に掲げた候補者が現れた[11]。
備考
- 第二次世界大戦後に、日本を占領下に置いた連合国軍の1国であるアメリカ軍が接収した羽田空港への物資輸送用として、国鉄蒲田駅から京急空港線(当時は東急穴守線)に乗り入れる通称「蒲蒲連絡線」が存在した。1945年9月、京浜蒲田駅(現在の京急蒲田駅)より先は従来の上り線を撤去し、代わりに1,067mm軌間の線路が敷設され、国鉄の運行によるアメリカ軍の貨物輸送が1952年11月まで行われていた。国鉄蒲田駅と京浜蒲田駅の間には小規模の操車場も設置されていた。いずれも現在は撤去され、連絡線跡地は道路などに転用されている。
- 大東急(現在の小田急電鉄、京王電鉄、京浜急行電鉄、相模鉄道の路線を含んでいた時代の東京急行電鉄)時代にも、戦後復興策の一環として目蒲線蒲田駅と品川線京浜蒲田駅を連絡線を敷設して結合する計画が浮上したが、まもなく大東急が分割されたため、この計画は自然消滅した。
- 同様に環状八号線を導入空間とし、羽田空港から北区赤羽と結ぶ環状鉄道エイトライナー構想がある。
脚注
外部リンク
- ↑ 1.0 1.1 新空港線「蒲蒲線」整備促進事業PRリーフレット
- ↑ 2.0 2.1 大田区東西鉄道「蒲蒲線」整備促進事業 大田区東西鉄道「蒲蒲線」整備計画素案 はじめに ウェブアーカイブ
- ↑ 国土交通省 運輸政策審議会答申第18号 東京圏における高速鉄道を中心とする交通網の整備に関する基本計画について(答申)
- ↑ 大田区新空港線「蒲蒲線」整備促進区民協議会
- ↑ 5.0 5.1 大田区 平成23年度 新空港線「蒲蒲線」整備調査報告
- ↑ 6.0 6.1 川島令三 『<図解>新説 全国未完成鉄道路線 - 謎の施設から読み解く鉄道計画の真実』 講談社、ISBN 978-4-06-214318-9 の記述より。
- ↑ 2007年11月14日付け朝日新聞東京版
- ↑ 2つの蒲田駅結ぶ「蒲蒲線」設置検討へ 東急電鉄 - asahi.com(朝日新聞社)、2011年11月15日。
- ↑ 9.0 9.1 大田区東西鉄道「蒲蒲線」整備促進事業 大田区東西鉄道「蒲蒲線」整備計画素案 2.蒲蒲線整備実現の大きな課題 ウェブアーカイブ
- ↑ 大田区東西鉄道「蒲蒲線」整備促進事業 大田区東西鉄道「蒲蒲線」整備計画素案 6.蒲蒲線の実現に向けて ウェブアーカイブ
- ↑ 東京新聞:区長選 立候補者の横顔(3)=完:2011統一地方選 - 東京新聞、2011年4月21日。