大法官

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テンプレート:政治の役職 大法官(だいほうかん、Lord Chancellor)は、イングランドイギリスの役職である。かっては、イギリス上院貴族院議長を兼ねていたが、現在は枢密院内閣の一員である。

歴史

その由来はエドワード懺悔王11世紀中頃に遡ると言われている(異説としては7世紀説、ノルマン朝説がある)。始めは国王の書記長として王政庁を指揮するとともに、国璽の管理と国璽を必要とする法令等の作成・発給などの行政事務を行った。中世には識字率が低かった事もあり、歴代大法官の多くは聖職者などから起用される事が多かった(聖職者が兼務する場合には宮廷の礼拝堂を併せて管轄したとされる。また「Lord Chancellor」という呼称は「cancelli」(=「囲い格子」)に由来し、宮廷の礼拝堂の衝立の後方に大法官の執務の間が設置されていたからであるという説がある)。

プランタジネット朝以後、国王の行動範囲が拡大されて国王の滞在地とともに移動してきた王政庁の中で大法官の職務を維持することは次第と困難になり、やがて13世紀には王政庁の文書局部門とともに独立して、ロンドンウェストミンスター大法官府Lord Chancellor's Department)と呼ばれる常設官庁として設置されるに至った。この時代にはその職務柄ゆえに国王の宰相としての職務を行うようになる一方で、大法官府自体は単なる事務官庁と化してしまい、大法官本来の職務の重要性は低下するようになった。

14世紀に入ると、コモン・ローによって救済を得られなかった者から国王に対してなされた直接の請願・訴えを処理する大法官裁判所が併置され、衡平法裁判所としての役割を果たす。更に15世紀イングランド議会が上下両院に分かれると、上院(貴族院)の議長を兼務するようになった。この頃から、コモン・ローに精通した法律家が大法官になるケースが増えていき(その第一号はトマス・モアだといわれている)、1625年以後は聖職者の大法官は姿を消す。

だが、一方で巨大となった大法官の権限削減の動きが現れる。まず、財政部門が切り離されて「財務府」(現在のイギリス財務省)が独立した。「大蔵府」(「財務府」の一部が分離して成立、王室の財政を司る)の長である第一大蔵卿首相として内閣を率いて国政の最高責任者としての地位を大法官から奪った(1721年)。更に1873年の「裁判所法」制定に伴う司法改革によって、大法官府を縮小され、高等法院と上院に権限が分割され、上院が最終上級裁判所(最高裁判所)を形成し、上院議長である大法官がその長官を兼務して、治安判事以下の司法官の人事権者となった。国璽管理事務は閣僚の王璽尚書が扱うことになった。

21世紀初頭の改革

伝統的なイギリス法での考えでは、カンタベリー大主教(第一位)の次である第二位の序列にあり、イギリスの俗人としては最高の地位にある大法官が、より下位の序列にある首相によって任免されると言う矛盾した状態にある。そのうえ、大法官が最高裁判所を率いて裁判官の人事を決定するのは三権分立原則に反しているとも言え、「権力分立の歩く矛盾」と呼ばれた(貴族院では大法官も審理に加わる資格はあるが、通常審理参加を放棄する旨を表明する事となっていた)。この結果、トニー・ブレア内閣によって上院改革と平行して大法官制度の改革が行われた。

まず2003年6月12日に大法官府が廃止され、代わって憲法事項省Department for Constitutional Affairs)が設置され、大法官は「憲法事項大臣」(Secretary of State for Constitutional Affairs)の称号を帯びるようになった。憲法事項省は、大法官府が取り扱っていた登記などの民事事務を引き継ぐと共に、新たな所轄事項として憲法の成文化なども扱っている。なお、憲法事項省・憲法事項大臣は、2007年5月9日より法務省(Ministry of Justice)・法務大臣(Secretary of State for Justice)と改称している。

ついで2005年に「2005年憲法改革法」(Constitutional Reform Act 2005)が成立し、上院議員の選挙で選ぶ貴族院議長Lord Speaker)と連合王国最高裁判所が設置され、大法官は立法権及び司法権における地位と権限を失った。初代上院議長は2006年7月4日にヘレン・ヘイマン男爵(Hélène Hayman、女性)が選出され、連合王国最高裁判所は2010年10月1日に上院の常任上訴貴族(Lords of Appeal in Ordinary)12名を初代裁判官として発足した。

ブレア内閣による改革後も、必ず貴族が就任する閣僚の一つという慣習はしばらくの間守られてきた[1]。しかし2007年6月のゴードン・ブラウン内閣発足に際し、ジャック・ストロー庶民院(下院)議員としては史上初めて大法官に任ぜられた。デーヴィッド・キャメロン内閣で任命されたケネス・クラーク、再組閣によって後を継いだ現職のクリス・グレイリングも下院議員であり、下院議員は上院で発言できない慣習により、上院から大法官が姿を消した状態が続いている。なお、上院議場で開催される王立委員会(Royal Commission) においては発言している。

今日では大法官は枢密院と内閣の閣僚の一員として首相の任免権に服する事になっている。大臣としての大法官は主に民事案件と憲法成文化を司る法務省を統轄し、刑事案件を取り扱う法務長官率いる法務長官府と共に法律事務を行っている。

著名な大法官

脚注

  1. ブレア内閣での大法官はライアグのアーバイン男爵(1997年5月 – 2003年6月)、ついでソーントンのファルコナー男爵(2003年6月 – 2007年6月)であった。

関連項目

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