大東亜共同宣言
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大東亜共同宣言(だいとうあきょうどうせんげん、大東亜宣言とも。本来の表記は大東亞共同宣言)は1943年(昭和18年)11月6日の大東亜会議にて採択された共同宣言。
宣言全文
作成の経緯
本文の5項目に関しては、1943年(昭和18年)8月初旬には外務省内「戦争目的研究会」で大西洋憲章(1941年)なども大いに参考にするかたちで文案作成がはじまり、同10月には完成したものとみられる。これと別途並行して大東亜省は大川周明や矢部貞治に宣言案を作成させており、それは前文として追加されることになった。大西洋憲章を参考にした本文が普遍的な真理を提唱するのに対し、大東亜省の前文は「米英支配の打破」という時事的な記述に偏っており、論理の接続が悪い所以とされる。
日本を除く大東亜会議参加国は、会議2週間前になりようやく意見聴取の場を得たが、修正意見は日本側にことごとく拒絶され、結局一字一句の変更もなされずこの文面のまま全会一致で採択された。