大家友和

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テンプレート:Infobox baseball player 大家 友和(おおか ともかず、1976年3月18日 - )は、京都府京都市出身のプロ野球選手投手)。米独立リーグ・アトランティックリーグブリッジポート・ブルーフィッシュ所属。

経歴

プロ入り前

京都成章高等学校3年生のとき、夏の京都府大会で準優勝し、プロのスカウトの注目を浴びた。高校時代の同級生に現広島東洋カープの捕手の倉義和がいる。高校2年生のとき、本屋でノーラン・ライアンの本「ピッチャーズ・バイブル」を購入し、それから徹底的にトレーニングに取り組んだテンプレート:要出典

1993年のドラフト横浜ベイスターズから3位指名を受けて入団。背番号は56

横浜時代

テンプレート:By、高卒ルーキーながら一軍入りを果たす。同年4月29日のヤクルト戦で中継ぎとして登板し、わずか3球で初勝利を挙げる。

テンプレート:Byオフ、フロリダ教育リーグに参加してメジャー挑戦を意識し始め、球団にその希望を伝える[1]

テンプレート:By、イースタンリーグで最優秀防御率のタイトルを獲得。そのオフ、球団がメジャーリーグ挑戦を了承したため自由契約となり、ジム・マスターアレクシスを代理人として12月にボストン・レッドソックスとマイナー契約を結ぶ。

レッドソックス時代

テンプレート:Byは傘下のAA級トレントン・サンダーで開幕を迎え、8連勝を記録して6月にAAA級ポータケット・レッドソックスに昇格。フューチャーズゲームに選出され世界選抜の先発を務める。7月17日にメジャーに昇格し、19日のフロリダ・マーリンズ戦でメジャー初登板初先発するも以降2連敗を喫し25日にマイナーに降格。8月23日にメジャーに再昇格し、25日に再降格したものの、9月4日に再昇格しリリーフとして起用される。10月1日のボルチモア・オリオールズ戦で3回を無失点に抑えメジャー初勝利を挙げる。

テンプレート:Byはポータケットで開幕を迎え、6月1日のシャーロット・ナイツ戦でインターナショナルリーグ史上48年ぶり3人目となる完全試合を達成。15日には2年連続でのフューチャーズゲーム選出を果たすが、17日には金善宇と喧嘩して5試合の出場停止を受けた。7月21日にメジャーに昇格。28日にはマイナーに降格したが、8月6日に再昇格し3連勝を記録。その後6連敗を喫したものの、防御率3.12を記録した。

テンプレート:Byは開幕メジャー入りを果たし先発ローテーション入りし2連勝。4月はリーグ4位の防御率2.28を記録。5月10日のシアトル・マリナーズ戦ではイチローと初対決し、最速93mph(約150km/h)を記録したが左前安打を浴び、デビッド・コーンの復帰に伴い13日にマイナーに降格。6月7日に再昇格するが登板はなく10日に再降格し、29日に再昇格。7月31日にウーゲット・ウービナとのトレードでリッチ・ランドルズと共にモントリオール・エクスポズに移籍。

エクスポズ時代

移籍後は7連敗を喫したが、8月30日のアトランタ・ブレーブス戦で5回2/3を2失点に抑え移籍後初勝利。最後の3試合は17回2/3で防御率2.55、WHIP1.07と安定した投球を見せた。

テンプレート:By3月5日にはエクスポズと再契約。4月28日のセントルイス・カージナルス戦ではマット・モリスに投げ勝ち、以降4連勝を記録。前半戦を含む8勝4敗、防御率3.19、WHIP1.27の成績で折り返す。9月7日のブレーブス戦ではアンドリュー・ジョーンズへの死球が危険球とみなされ退場処分と6試合の出場停止を受けたが、後半戦も5勝4敗、防御率3.16、WHIP1.20と安定した投球を続け、チーム最多の13勝をマーク。オフには日米野球に出場。「まっすぐにこだわった」という投球を見せたが、中村紀洋に3点本塁打を浴びるなど3回1/3を7失点に終わった。

テンプレート:By7月9日のフィラデルフィア・フィリーズ戦では7回までノーヒットノーランの好投を続けるも、7回にプラシド・ポランコが空振りした際にバットが内野スタンドにすっぽ抜ける。観客がバットを返さなかったため、ポランコは替えたバットで打ち、三塁線へ弱いゴロになったが、三塁手のエドワーズ・グスマンが取り損ねて初安打となった。後半戦は15試合の登板で3勝3敗、防御率3.76、WHIP1.41の投球を見せ、シーズンを通して2年連続10勝をマークし、クオリティ・スタートはリーグ4位の22を記録した。オフには1年233万7500ドルで再契約。

テンプレート:By3月23日に滋賀県草津市でNPO法人Field of Dreams」を発足させた。レギュラーシーズンでは4月は5度の先発で全て敗戦という幸先の悪いスタートを切る。防御率3.01、WHIP1.35と安定した投球を続けていたが、6月10日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦でカルロス・ベルトランのピッチャーライナーを腕に受けて骨折し故障者リスト入り。9月15日のフロリダ・マーリンズ戦で復帰したが、得点援護率が2.87と低いこともあり15先発で3勝に終わった。オフには1年275万ドルで再契約。

テンプレート:Byはチームが本拠地移転によりワシントン・ナショナルズと名称を変更。開幕から先発で起用されたが、前年までの通算で2.31だった与四球率が5月上旬までで5.70と制球が乱れ先発を外される。6月4日のフロリダ・マーリンズ戦では降板を要求する監督のフランク・ロビンソンに背を向けたため罰金1000ドルを科せられる。10日にトレードによりミルウォーキー・ブルワーズに移籍。

ブルワーズ時代

6月14日のタンパベイ・デビルレイズ戦で移籍後初先発し、自身初の完封勝利を挙げる。前半戦を5勝4敗、防御率3.62、WHIP1.32で折り返し、9月5日のシンシナティ・レッズ戦で10勝に到達。与四球率も移籍後は1.99と復調した。

テンプレート:By2月の前半二週間、毎日放送のラジオ番組『月極ラジオ』で、メインパーソナリティを担当。15日に日米合わせてこの年の日本人投手最高年俸となる1年453万ドルでブルワーズと再契約。4月15日のニューヨーク・メッツ戦では7回5安打2失点に抑え、打撃でも4回にバスター打法で勝ち越し2点適時打を放ち勝利投手となる。25日のブレーブス戦で長谷川滋利を抜いて日本人メジャーリーガー史上2位となる通算46勝を挙げた。2勝1敗、防御率3.18、WHIP1.356と好投を続けていたが、5月1日のヒューストン・アストロズ戦で右肩の張りを訴え途中降板。回旋筋裂傷が判明し故障者リスト入りし、7月18日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦で復帰。8月24日のコロラド・ロッキーズ戦では6失点を喫するも、初めて左打席に立ち自ら4打点をマークし勝利。しかし9月15日の走塁中に左太腿を痛めシーズンを終了した。

ブルワーズ退団後

テンプレート:By1月にトロント・ブルージェイズと1年150万ドル+最高150万ドルの出来高で契約。 4月29日に野茂英雄に次いで日本人メジャーリーガー史上2人目となるメジャー通算50勝を達成。6月18日に解雇され、19日にセントルイス・カージナルスとマイナー契約を結ぶが、7月4日に契約解除される。13日にシアトル・マリナーズとマイナー契約を結ぶものの8月5日に解雇される。

テンプレート:By2月22日にシカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約。傘下のAAA級シャーロット・ナイツでプレーし8試合のリリーフ登板を含む28試合の登板で5勝11敗、防御率4.18、WHIP1.33の成績に終わり、メジャー昇格はなかった。12月6日、クリーブランド・インディアンスとマイナー契約。

テンプレート:By5月28日にメジャーに昇格。5月30日のニューヨーク・ヤンキース戦に登板しメジャー通算1000投球回を達成した。

テンプレート:Byは3月にメキシカンリーグキンタナロー・タイガースに入団したが、1週間で解雇された。

横浜復帰

4月7日に横浜ベイスターズと2年契約を交わし、12年ぶりに日本球界に復帰。背番号は44。5月2日の東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)に先発で復帰登板し、6回1/3を投げ1失点の好投で勝利投手となった。日本では前述の初勝利である1994年4月29日のヤクルト戦以来16年(5847日)ぶりの勝利であり、これは遠山奬志の10年ぶりの勝利を抜く日本プロ野球最長ブランク記録である。

テンプレート:Byは開幕から不調が続き、7試合に先発して6敗と1勝もあげることが出来なかった。9月27日に右肩のクリーニング手術を受けた。10月9日に球団から戦力外通告を受けた[2]。12月2日、自由契約公示された。

横浜退団後

テンプレート:By1月、韓国の独立球団高陽ワンダーズの春季キャンプに臨時インストラクターとして参加。4月8日、野球の独立リーグ、BCリーグ富山サンダーバーズに入団することで合意したことが発表された[3]。オフの12月16日に古巣・ブルージェイズとマイナー契約を結んだことが発表された[4]

テンプレート:By、ブルージェイズのスプリングトレーニングに招待選手として参加するが、3月3日にマイナーに降格し[5]、22日に自由契約となった[6]。その後は独立リーグ・アトランティックリーグブリッジポート・ブルーフィッシュのスプリング・トレーニングに参加。2014年4月23日にブリッジポートと契約したことが発表される[7]。5月6日のヨーク・レボリューション戦で9回を3安打5奪三振と好投し、移籍後初完封勝利を挙げた[8]

プレースタイル

人物

メジャーやマイナーを転々としてきたが、メジャーでの成功・失敗について「よく成功とか失敗とか言われるが、じゃあ何が成功で、何が失敗なのか。僕はアメリカに来て野球が楽しいと思えるだけで、成功だと思うんです。僕らは見せてナンボの世界にいますから、成績を残せなければ失敗と言われるのも仕方がないと思うが、やりたいことをやるのが一番だと思います。先発でもリリーフでも、マイナーでもメジャーでも、野球をやれるだけで僕は十分、幸せなんです」と語っている[10]

詳細情報

年度別投手成績

テンプレート:By2 横浜 15 2 0 0 0 1 1 0 -- .500 126 28.0 29 1 18 1 0 18 0 0 13 13 4.18 1.68
テンプレート:By2 3 1 0 0 0 0 0 0 -- ---- 44 9.1 3 0 13 0 0 6 0 0 2 2 1.93 1.71
テンプレート:By2 14 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 95 18.0 27 3 14 0 1 11 3 0 19 19 9.50 2.28
テンプレート:By2 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 10 2.0 2 0 2 0 0 1 0 0 2 2 9.00 2.00
テンプレート:By2 BOS 8 2 0 0 0 1 2 0 0 .333 65 13.0 21 2 6 0 0 8 0 0 12 9 6.23 2.08
テンプレート:By2 13 12 0 0 0 3 6 0 0 .333 297 69.1 70 7 26 0 2 40 3 0 25 24 3.12 1.38
テンプレート:By2 12 11 0 0 0 2 5 0 0 .286 241 52.1 69 7 19 0 2 37 1 1 40 36 6.19 1.68
MON
WSH
10 10 0 0 0 1 4 0 0 .200 228 54.2 65 8 10 0 1 31 1 0 30 29 4.77 1.37
'01計 22 21 0 0 0 3 9 0 0 .250 469 107.0 134 15 29 0 3 68 2 1 70 65 5.47 1.52
テンプレート:By2 32 31 2 0 1 13 8 0 0 .619 806 192.2 194 19 45 7 7 118 2 1 83 68 3.18 1.24
テンプレート:By2 34 34 2 0 1 10 12 0 0 .455 864 199.0 233 24 45 11 9 118 8 0 106 92 4.16 1.40
テンプレート:By2 15 15 0 0 0 3 7 0 0 .300 367 84.2 98 11 20 1 1 38 3 0 40 32 3.40 1.39
テンプレート:By2 10 9 0 0 0 4 3 0 0 .571 231 54.0 44 6 27 1 1 17 3 0 23 20 3.33 1.31
MIL 22 20 1 1 0 7 6 0 1 .538 543 126.1 145 16 28 4 2 81 5 0 65 61 4.35 1.37
'05計 32 29 1 1 0 11 9 0 1 .550 774 180.1 189 22 55 5 3 98 8 0 88 81 4.04 1.35
テンプレート:By2 18 18 0 0 0 4 5 0 0 .444 421 97.0 98 12 35 1 5 50 4 0 58 52 4.82 1.37
テンプレート:By2 TOR 10 10 0 0 0 2 5 0 0 .286 251 56.0 68 10 22 1 0 21 2 0 39 36 5.79 1.61
テンプレート:By2 CLE 18 6 0 0 0 1 5 0 0 .167 306 71.0 77 18 19 1 4 31 0 3 47 47 5.96 1.35
テンプレート:By2 横浜 22 22 1 0 0 7 9 0 0 .438 525 121.2 145 16 22 1 3 62 2 0 72 62 4.59 1.37
テンプレート:By2 7 7 0 0 0 0 6 0 0 .000 145 32.2 41 6 10 2 0 14 1 0 26 25 6.89 1.56
NPB:6年 63 33 1 0 0 8 17 0 0 .320 945 311.2 247 26 79 4 4 112 6 0 134 123 5.23 1.54
MLB:10年 202 178 5 1 2 51 68 0 1 .429 4620 1070.0 1182 140 302 26 30 559 32 2 521 459 4.14 1.39
  • 2011年度シーズン終了時
  • MON(モントリオール・エクスポズ)は、2005年にWSH(ワシントン・ナショナルズ)に球団名を変更

独立リーグでの成績











































W
H
I
P
テンプレート:By2 富山 21 7 7 0 2 .500 111.0 478 108 6 25 59 5 48 46 5 1 0 3.73 1.50
通算:1年 21 7 7 0 2 .500 111.0 478 108 6 25 59 5 48 46 5 1 0 3.73 1.50
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

NPB投手記録
NPB打撃記録

背番号

  • 56 (1994年 - 1998年)
  • 53 (1999年 - 2000年)
  • 18 (2001年 - 同年途中、2007年)
  • 24 (2001年途中 - 2003年)
  • 34 (2004年 - 2005年途中、2013年 - )
  • 55 (2005年途中 - 2006年)
  • 16 (2009年)
  • 44 (2010年 - 2011年)

関連情報

書籍

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

テンプレート:Sister

テンプレート:横浜ベイスターズ1993年ドラフト指名選手
  1. http://www.kyoto-np.co.jp/kp/sport/ohka/02.html
  2. テンプレート:Cite web
  3. テンプレート:Cite web
  4. Blue Jays sign two MLB.com
  5. 大家はマイナーへ「ナックル発展途上」日刊スポーツ、2014年3月3日。
  6. 大家が自由契約「驚いていない」日刊スポーツ、2014年3月23日。
  7. テンプレート:Cite web
  8. テンプレート:Cite web
  9. 9.0 9.1 テンプレート:Cite news
  10. 週間ベースボール 2009年29号、54頁、2009年、雑誌20441-7/6