売春防止法

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売春防止法(ばいしゅんぼうしほう、1956年(昭和31年)5月24日法律第118号)とは、売春を助長する行為等を処罰するとともに、性行又は環境に照らして売春を行うおそれのある女子に対する補導処分及び保護更生の措置を講ずることによって、売春の防止を図ることを目的とする日本の法律である。施行は1957年(昭和32年)4月1日、完全施行は1958年(昭和33年)4月1日から。この法律の施行に伴い1958年(昭和33年)に赤線が廃止された。

同法は、「売春が人としての尊厳を害し、性道徳に反し、社会の善良の風俗をみだすものである」という基本的視点に立脚している(同条)。

沿革

日本には、江戸時代以来の公娼制度が存在していたが、明治5年に、明治政府が太政官布告第295号の芸娼妓解放令により公娼制度を廃止しようと試みた。しかし、実効性に乏しかったこともあり、1900年(明治33年)に至り公娼制度を認める前提で一定の規制を行っていた(娼妓取締規則)。1908年(明治41年)には非公認の売淫を取り締まることにした。

第二次世界大戦後の占領下において、当時のGHQ司令官から公娼制度廃止の要求がされたことに伴い、1946年(昭和21年)に娼妓取締規則が廃止され、1947年(昭和22年)に、いわゆるポツダム命令として、婦女に売淫をさせた者等の処罰に関する勅令(昭和22年勅令第9号)が出された。公娼制度は名目的には廃止されたが、赤線地帯は取り締まりの対象から除外されたため、事実上の公娼制度は以降も存続した。なお、一部の自治体は勅令とは別に、同時期に売春それ自体を処罰する売春取締条例を成立させている。その後、風紀の紊乱などを防止するため、全国的に売春を禁止する法規の必要性が論じられるようになった。

売春防止法の元祖は、1948年(昭和23年)の第2回国会において、売春等処罰法案として提出されたものである。しかし、処罰の範囲等に関する合意の形成が不十分であったため、厳格すぎるとして審議未了、廃案となった。しばらく間を置いた後の1953年(昭和28年)から1955年(昭和30年)にかけて、第15回、第19回、第21回、第22回国会において、神近市子などの女性議員によって、議員立法として同旨の法案が繰り返し提出された。これらは多数決の結果、いずれも廃案となった。第22回国会では連立与党の日本民主党が反対派から賛成派に回り、一時は法案が可決されるものと思われたが、最終的には否決された。

1956年(昭和31年)、第4回参議院議員通常選挙を控える中で、第24回国会が開催された。自由民主党は選挙に向けて女性票を維持および獲得しようとの狙いから、売春対策審議会の答申を容れて、一転して売春防止法の成立に賛同した。法案は5月2日に国会へ提出され、同月21日に可決した。売春防止法は翌年の1957年(昭和32年)4月1日から施行されることになったが、刑事処分については1年間の猶予期間が設けられ、1958年(昭和33年)4月1日から適用するものとされた。

法律が成立して以降、赤線業者は自由民主党国会議員に接近し、同法を撤回すべしとの説得を試みた。これに応える形で、自由民主党は1957年(昭和32年)5月に風紀衛生対策特別委員会(略称:風対委)を設置し、審議の場とした。赤線業者は、転廃業のための満足な猶予期間および国家補償が必要であるとして、猶予期間の延長を求め、即時の施行に反対する姿勢を示した。また、自由民主党に対しては、全国で63の市町村長、1の県議会議長、37の市町村議会議長、25の自由民主党支部長、151の商工会議所から、法の完全な実施を延期すべきであるとの陳情書が提出された。

この頃、造船疑獄の捜査に失敗したことで汚名を被った東京地検特捜部は、花柳界の業界団体である全国性病予防自治会を糺弾することで、失われた威信を回復しようと計画していた。彼らは新宿二丁目で赤線業者を捜査した際に、貴重な資料となる帳簿を入手した。そして、1957年(昭和32年)10月2日には全国性病予防自治会の事務局長、同月12日には理事長を、風紀衛生対策特別委員会の構成員に対する贈賄罪の容疑で逮捕した(売春汚職事件)。この結果、風紀衛生対策特別委員会は、事実上の解散に追い込まれた。

1958年(昭和33年)4月1日、売春防止法は施行における猶予期間を経過し、以降も売春の業を営む者に対しては刑事処分が課せられることになった。

なお、当時日本の法制下になかった小笠原諸島および米軍占領下の沖縄においては適用されず、小笠原は1968年(昭和43年)6月26日、沖縄では本土復帰に先立つ1970年(昭和45年)に一部施行および周知が行われ、1972年(昭和47年)5月15日より完全施行された。

定義、処罰対象

本法にいう「売春」とは、「対償を受け、又は受ける約束で、不特定の相手方と性交すること」をいう(2条)。

ただし、上記のような売春やその相手方となることは禁止されているものの(3条)、それだけでは処罰されない。これは、売春に陥った者は処罰よりは救済を必要とする者であるとの観点で立法されていること、売買春はいわゆる被害者なき犯罪の一形態とされており刑罰で抑止をすることは過度のパターナリズムとなること、捜査方法いかんによっては証拠収集に微妙な問題をはらむこと等が理由とされる。

このため、本法で処罰の対象となるのは、以下のようなものである。

  1. 公衆の目に触れる方法による売春勧誘(ポン引き)等(5条)
  2. 売春の周旋等(6条)
  3. 困惑等により売春をさせる行為(7条)、それによる対償の収受等(8条)
  4. 売春をさせる目的による利益供与(9条)
  5. 人に売春をさせることを内容とする契約をする行為(10条)
  6. 売春を行う場所の提供等(11条)
  7. いわゆる管理売春(12条)
  8. 売春場所を提供する業や管理売春業に要する資金等を提供する行為等(13条)

補導処分

売春の勧誘等の罪(5条)を犯した20歳以上の女性に対して、執行猶予付き懲役刑又は禁錮刑を科す場合は、その者を補導処分に付することができ(17条)、婦人補導院に収容されることにより、必要な補導がされる。さらに第34条の規定により婦人相談所が設けられ、第36は保護と更生のために婦人保護施設を設けることができると記している。

なお、婦人補導院は収容人員の減少により、2013年現在、東京都にしか存在しない。

関連項目