埼玉銀行

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旧埼玉銀行本部・本店営業部(現埼玉りそな銀行本部・さいたま営業部)
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埼玉りそな銀行浦和中央支店(旧:武州銀行浦和支店跡・埼玉銀行前本店)

埼玉銀行(さいたまぎんこう Saitama Bank)は、かつて存在した都市銀行(発足当初は地方銀行)。

概要

埼玉県および県内の大半の市町村の指定金融機関であり、通称「サイギン」の名で埼玉県民に親しまれていた。埼玉りそな銀行の源流である。本店は埼玉県浦和市(現さいたま市浦和区)常盤に置かれ、現在では埼玉りそな銀行さいたま営業部とされている。

統一金融機関コードは、発足当初は0132、都市銀行転換後は0032。

地銀時代の本店や前身の武州銀行浦和支店跡地は、埼玉県道65号さいたま幸手線(旧中山道)に面した現在の埼玉りそな銀行浦和中央支店(さいたま市浦和区高砂)であり、現在、同店の正面入口前の広場には時計塔モニュメントが設置されている。

沿革

店舗網

埼玉県内の中小銀行が集合する形で発足したため、店舗網は埼玉県内が中心であったが、南部・西部(川越・秩父)・北部(熊谷・深谷)で当時発展していた町に偏っていた。1944年に安田銀行に吸収合併された日本昼夜銀行の店舗(遡れば、前身の武陽銀行と前々身である青梅銀行・氷川銀行などの拠点)を中心に東京三多摩地域および埼玉県内の大半の店舗を譲り受けた[1]。これによって戦後の多摩地区と埼玉県の発展を受けて規模が拡大することになり、近県の有力地銀である横浜銀行千葉銀行とは異なる道を歩むことになった。

1960年 - 1970年代には京橋支店(旧:武州銀行)を東京営業部に格上げしたことにより、事実上浦和との2本社制となり、東京都下・神奈川県・千葉県・茨城県・栃木県・群馬県など首都圏各地や、自動車産業と関わりのある愛知県(名古屋・豊田など)、大阪札幌などに出店した。なお、北海道拓殖銀行と同様、看板は本拠地である埼玉県内店舗では通称の「サイギン」表記、首都圏外の店舗の看板は殆ど銀行名であった。

その後、埼玉県のベッドタウン化の進展により、1980年代までに県内の殆どの市町村で支店あるいは出張所を出店(京浜東北線東武野田線の沿線などではほぼ1駅につき1店舗存在した)。1980年(昭和55年)に東北新幹線開業を見据えた仙台支店や、バブル経済到来による取引(融資)拡大を狙いに空中店舗の溜池支店・浜松町支店など東京都心部にも多く出店するようになったが、店舗の3分の2は埼玉県内に所在した。協和埼玉銀行発足時は太陽神戸三井銀行とほぼ同数の店舗であり、埼玉県内では銀行店舗数が最も多かった。

海外拠点は欧州ニューヨークサンパウロに支店や駐在員事務所を持つなど、下位ながら都市銀行としての業容を整えたが、あさひ銀時代の2001年(平成13年)に東京三菱銀行へ譲渡されている。

りそな銀行発足に伴いかつての埼玉銀行の店舗は、埼玉県内は埼玉りそな銀行・多摩地区はりそな銀行となっているが、埼玉県と多摩地区以外の店舗はあさひ銀行時代に多くが旧協和店に吸収整理されている。同じ土地建物で存続している埼玉・多摩以外の店舗は、群馬県のりそな銀行前橋支店(協和店は解体)、栃木県のりそな銀行宇都宮支店(建替え済み)など、ごく僅かである。 かつての東京営業部はあさひ銀行東京中央支店(大手町本店ビル内)を経て埼玉りそな銀行大手町中央支店として存続したが、2009年(平成21年)に東京支店に変更のうえ飯田橋へ移転している。また、過剰なほどに展開した埼玉県内の有人出張所・代理店は2002年前半までに殆どが母店・近隣支店に吸収され、クイックロビー(ATMコーナー)のみとして建物を存続するか、廃止となっている。

著名な出身者

関連項目

脚注

  1. その後、高度成長期以降に富士銀行は埼玉銀行へ譲渡した店舗が所在した地域へ多数の自主出店を行い、拠点を復活させた。なお富士銀に限った話でなく県外都銀全体で言えることではあるが、多摩地域及び埼玉県内の店舗の多くは1960年以降に設置された店舗である。

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