城塞

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ブダペストのゲッレールトの丘に立つ「ツィタデッラ」
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マラガの城塞(アルカサバ)

城塞(じょうさい、citadel)とは町を防御するための要塞。しばしば、王の住むのことも指す。英語におけるシタデル(citadel)の語は、シティ(city)と同じラテン語の語源(civis、「市民」)をもつ。

城郭都市全体を囲んで外敵から守る城壁(市壁)とは異なり、都市の一角に建つ城塞は、都市の住民たちから城塞内の軍隊・政治家・王侯貴族たちを守るために使われる。城塞は都市を守りつつ、都市住民からも王族らを守るために設計されている。

例えば、1714年に建設されたバルセロナの大規模な城塞「シウタデリャ」は、スペイン中央政府に対し17世紀18世紀にかけて繰り返し反乱を起こしたカタロニア人を処罰し統制するために、商業地区の半分を取り壊して建てられた。19世紀、政治的雰囲気が自由になると、バルセロナ市民は城塞を取り壊し、市の中央公園シウタデリャ公園に転用した。

同じような例はハンガリーブダペストゲッレールト(Gellért)の丘に立つ「ツィタデッラ」(Citadella)にも見られ、1848年から1849年ハプスブルク家支配に対し起こった反乱に対して1851年に建設されたが、現在は公園の一部である。

カナダケベックシティケベック城塞(ラ・シタデル)は築かれて以来200年以上経ち、英仏間の戦場となった歴史を有するが、現役で軍用に使われる北米最大の城塞であり、フランス語で行われる衛兵交代も有名である。

古代・中世の城塞

古代ギリシアでは、城塞は軍を指揮する丘(アクロポリス)の上に築かれ、ポリスに住む人々の暮らしの重要な一部であった。武器や食糧を貯え、戦乱の時には避難および篭城の場所となり、平時には神殿や王宮となっていた。中世ヨーロッパでは城塞は、城郭都市の防衛軍が最後に防衛する場所で、都市の陥落後も防衛側は都市の一角の城塞に立てこもり、いざとなれば背後の田園や丘陵に逃げられるようになっていた。

大砲の発達に伴って稜堡式城壁の研究が進み、堡塁が都市を取り囲んで防衛するようになると、城塞もその重要な役割を占めるようになった。城塞は城壁と稜堡群の内部に置かれることもあったが、経済活動の場所確保のために外郭の一部をなすよう配置されることが多かった。敵が城郭の他の部分に攻撃を加えるような場合でも、城塞は最強の拠点として最後の防衛線となることが期待された。

アラビア語では城塞をカスバ(qasbah, قصب)と呼んだ。アルジェリアなどでは城壁に囲まれた迷路のような旧市街がカスバと呼ばれたほか、スペインではイスラム教徒の残した城塞(カスバ)をアルカサバ(Al Cazaba:"Al"はアラビア語の定冠詞)と呼んだ。アルカサバはバダホスに最大のものがあるほか、グラナダアルハンブラ宮殿の一部やマラガメリダにもアルカサバは残っている。

ロシア語では城塞は「クレムリ」(クレムリン)と呼ばれ、中世のロシアの各都市にはクレムリが設置されていた。現存するものでは、ノヴゴロドニジニ・ノヴゴロドアストラハンなどのクレムリンが代表的なものだが、中でもモスクワクレムリンカザンクレムリンはよく知られている。

海事用語

軍艦でも特に戦艦の司令塔や、砲塔、機関部などのような重要な部分だけに集中的に装甲を施す防禦形式は、城塞になぞらえ「シタデル」と呼ばれることがある。これはなるべく排水量を少ないままに艦の生存性をあげるための分厚い甲板防御を施すアイデアであり、主に前弩級戦艦に用いられた。また、商用船舶でも海賊の襲撃時に避難先となる強固な防壁に囲まれた安全な部屋を用意するようになっており、この部屋や区画が「シタデル」と呼ばれることがある。

参考文献

  • Sidney Toy (1985). Castles: Their Construction and History . Courier Dover. ISBN 0-486-24898-4.