国鉄EF61形電気機関車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:鉄道車両

EF61形電気機関車(EF61がたでんききかんしゃ)は、かつて日本国有鉄道(国鉄)に在籍した直流電気機関車である。1961年昭和36年)から新造された基本番台の1 - 18と、1977年(昭和52年)からEF60形の改造によって編入された200番台(8両)が存在するが、両者はたまたま主電動機・出力が同じであるために同一形式とされたもので実質的には別物である。

基本番台

概要

1960年(昭和35年)に開発されたEF60形は、国鉄の近代的な大型直流電気機関車の第一陣であった。この機関車は一般貨物列車を牽引するためには十分な性能を備えてはいたが、牽引力重視の設計ゆえ高速走行時の特性に難があり、旅客列車高速貨物列車の牽引には不向きだった。また、客車暖房のための蒸気発生装置 (SG) ならびに電気暖房装置 (EG) が搭載されておらず、その点でも当時の一般旅客列車牽引には適さなかった。

そのため、1958年(昭和33年)に製造が終了していた旅客列車用機関車EF58形の後継として設計され、1961年昭和36年)から18両が新製された。

構造

EF60形の1次形をベースにして、以下に示す設計変更を行い旅客列車牽引に対応させた。

  • 冬期の一般客車牽引に対応するSG1B形暖房用蒸気発生装置・重油タンク・水タンクを追加搭載。
    • 当時は直流電化区間の旅客列車の電車への移行が進行し、東海道新幹線の建設工事も始まっていた時期で、将来的にはSGを外し貨物用に改造することを視野に入れての設計である。
  • SG搭載により重量が増加するが、本形式は旅客列車用ということで、旅客列車の牽引に特に必要のないバーニア制御器再粘着装置などの一部の機器を省略して最終的にはEF60形と同一の96.0tに車重を抑えた。
  • 高速化のため主電動機の歯車比を15:82=1:5.47→16:82=1:5.13に変更。
    • EF60形1次形の電動機側小歯車の15枚に対して、本形式では1枚増やした16枚の歯車を取り付けるというメカ的に興味深い手法で変更が行われた。
  • 車体はEF60形1次形に比してSG装置を搭載する必要があるため1.6m延長され、側面の換気ルーバーや小窓は横長に連続した形態とした。連続した小窓は車内への「明かり採り」の効果向上を狙ったもので、以後の国鉄電気機関車の多くにも採り入れられることとなった。

製造当初の車体塗装は、EF60形基本番台と同一のぶどう色2号(茶色)の一色で、1965年(昭和40年)からEF60形と同様に側面全体と前面上半部・下部を青15号、前面窓下部をクリーム1号とした塗装に全機とも変更されている。

製造

車両番号 製造メーカー 新製配置 製造名目 予算
1 - 10 川崎車輛
川崎電機製造
宮原機関区 山陽本線岡山 - 糸崎電化
旅客列車牽引機の電気機関車化
昭和36年度本予算
11 - 18 汽車製造
東洋電機製造

テンプレート:- 旅客用直流電気機関車の需要自体が電車化の進展で減少したこともあって、発注・製造はこの一度のみで製造両数も18両にとどまった。

改造

主電動機の駆動力伝達には、EF60形1次形と同様の日立製作所製QD2C形クイル式駆動装置を搭載した。しかし、これが原因とされる走行中の異常振動現象による駆動系トラブルが多発したため、1974年(昭和49年)から1977年(昭和52年)にかけてリンク式に改造された。

瀬野八用改造機

概要

山陽本線瀬野 - 八本松間(瀬野八補助機関車(補機)として使用されていたEF59形は、戦前製の電気機関車からの改造車であり老朽化が目立っていた。そのため、置き換え用として、EF60形初期車14両とEF61形18両をすべて改造し、EF60形改造車を200番台、EF61形改造車を100番台とする計画が立てられた。

まず200番台8両が落成し使用されたが、補機が重連運転かつ力行中に、本務機が非常ブレーキを使用すると、補機の押し上げ力が過大なため編成中に横圧が発生し、脱線事故の危険性があることが判明した。このため、当形式による補機は単機運用可能な1,000t以下の列車に限定されることとなり、1,200t級列車についてはEF59形重連による補機運用を継続することとなった。これにより100番台を含む残りの改造は中止された。以降、1,200t級列車の単機運用が可能な補機はEF67形登場まで待つこととなる。

100番台

基本番台にSGの撤去・電動機側小歯車の交換・重連総括制御装置・デッキの追加などの改造を施工し本格的な瀬野八用補機とする番台区分。前述のとおり、計画のみに終わり、実際の改造は中止された。

200番台

1977年、クイル式のEF60 1 - 14を、瀬野八用補機に改造し、本形式に編入する計画で設定された区分番台である。

1,000t以下の列車においては単機で、それ以上の重量の列車においては重連で使用することを前提として以下の改造を施工した。

  • 前面に貫通扉総括制御ジャンパ連結器を設置。
  • 東京方連結器を空気管付密着自動連結器に交換し、解放用てこに走行中解放用空気シリンダーを追設。
  • 東京方前面にデッキを設置。
    • デッキは、正面右側のみ階段がある小型タイプ (201) や左右両側に階段がある大型タイプ (204) など改造計画の進展に合わせて使い勝手が試されたため数種類のバリエーションが存在する。しかも計画自体が中止されたため、仕様統一はされていない。

改造後の車両番号は、種車の原番号+200が与えられた。しかし、重連使用時に不具合が見つかり、改造計画が途中で中止になったことから、8両のみの改造にとまり、202・205・208・212・213・214が欠番となった。改番の状況は次のとおりである。

  • EF60 1・3・4・6・7・9 - 11→EF61 201・203・204・206・207・209 - 211

運用

テンプレート:Vertical images list 基本番台は1961年の製造当初は宮原機関区に配置されたが、1962年の山陽本線広島電化により広島機関区に転属した。東京 - 広島間で寝台特急列車ブルートレイン)牽引のほか、間合い運用として瀬野 - 八本松間(通称「瀬野八」)での旅客電車の補助機関車運用などにも投入された。そのため、本形式東京方の自動連結器解放テコに走行開放用空気シリンダーが取り付けられている。

EF60形500番台登場後は寝台特急牽引運用から撤退し、急行列車東海道・山陽本線の急行荷物列車の牽引に使用されたが、1975年3月10日山陽新幹線博多開業により、東海道・山陽本線の定期客車急行列車の牽引運用から外れた後は、荷物列車や臨時列車を中心に、ローカル貨物列車にも使用されるという地味な運用となった。

また後年には、SGによる車体の腐食が問題となった。EF58形と比べて本形式は車体の外板が薄いため、蒸気の排出口を中心に屋根板の腐食と強度低下が早く進行し、一部の車両では錆びた屋根が抜け落ちる事故が発生した。屋根の抜けた車両のうち、1は屋根の約半分を張り替えるなど大規模な修繕に数か月を要した。

その後、老朽化により運用から外れる車両が発生し、1983年3月には、1979年以来休車が続いていた7が最初の廃車となった。その後も状態不良車を中心に廃車が続き、最後まで残った9両についても、荷物列車の電気暖房化により1984年2月1日ダイヤ改正で全機が運用から外れ、1985年(昭和60年)までに廃車された。晩年には、広島機関区所属機の特徴でもある下枠交差型のPS22Bパンタグラフに交換された車両も多く見られた(上掲画像も参照)。

200番台は、重連運転が出来ない問題から単機運用に限定されたために余剰が発生し、201・203の2両は1980年10月改正による単機運用の減少で長期間休車指定となり瀬野機関区に留置された。1982年11月改正でさらに1両が休車となって瀬野機関区に留置されていたが、後に2両は休車から復帰した一方、203は復帰することなく、1986年11月1日のダイヤ改正の直後に廃車された。

1987年国鉄分割民営化時には、203を除く7両が日本貨物鉄道(JR貨物)に承継されたが、老朽化により1990年(平成2年)よりEF67形100番台に置換えが開始され、1991年(平成3年)までに全車廃車となった。

保存車

ファイル:EF61-4 20071028.JPG
EF61 4 カットボディ

201号機が廃棄処分となり現在、全体の形状をとどめるものは無く部分保存の4号機のみを残す。

テンプレート:-

関連項目

テンプレート:国鉄の新性能電気機関車 テンプレート:JR貨物の車両リスト