国鉄457系電車

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テンプレート:鉄道車両 国鉄457系電車(こくてつ457けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した交直両用急行形電車

本項では、同じ用途で設計・製造された451系453系455系471系473系475系の各形式についても解説する。

概説

国鉄急行形交直流電車の分類
50Hz 60Hz 電動機出力 抑速ブレーキ
451系 471系 100kW (MT46) なし
453系 473系 120kW (MT54)
455系 475系 あり
457系

テンプレート:Sound テンプレート:Vertical images list 1958年に運用開始された153系電車は、車体の両端に出入台を設け全席をボックスシートとしたことで客車を上回る居住性を実現し、利用者からは好評であった。また、1950年代半ば以降は変電所など地上設備の数が少なく済み、初期コストが少なくなる交流電化を地方線区中心に推進した結果、直流電化区間との直通車両が要求され、交直流いずれの電化区間も走行できる急行形電車が必要となった。このため153系をベースとした交直両用電車として開発されたのが、本グループの第1弾となる451・471系である。本グループは、増備過程での主電動機出力の変更や勾配抑速ブレーキの有無、さらに対応する交流電源周波数により細かいグループに分類されている(右表を参照)。

分割民営化時には、JR東日本・JR西日本・JR九州に継承され普通列車として運用されていたが、2000年代以降は車両老朽化ならびにドア数や座席配置などサービス水準を向上させた新型車両が投入された結果、運用に適さなくなったこと。さらに断熱材アスベストが使われていることなどから急速に廃車が進められ、2014年現在ではJR西日本所属車両の一部のみが定期運用に充当される。

共通項目

車体は軽量鋼(外板は1.0mm厚、屋根板は1.2mm厚)と鋼板形押材を使用し、高運転台構造が採用された点はクハ153形500番台と同じである[1][2]が、正面貫通扉付近のデザインは幌枠が突き出ているなど若干異なっており、翌1963年に登場する165系先頭車も本系列に準じたほか、客用扉にはステップを設置した。

走行機器は、2両8基の主電動機を制御する1C8M構成のMM'ユニット方式を採用し、Mc車にノッチ戻し制御可能なCS15形電動カム軸多段主制御器・抵抗器・補助電源用電動発電機(MG)・電動空気圧縮機(CP)などの直流機器を、M'車に主変圧器・整流装置・搭載部分を絶縁確保のために低屋根構造としたPS16B形集電装置1基などの交流機器を分散搭載する[2]

台車は、以後の国鉄特急・急行形電車の標準となるダイアフラム空気バネDT32・TR69系列が初採用された。 テンプレート:-

系列別概要

451系・471系

401系・421系と同時に設計され1962年に竣工した系列である。451系が仙台地区の、471系が金沢地区の急行・準急行客車列車置換え・増発用として製造された[1]。当初は特急形電車として検討されていたが、当時は交直流電車が誕生間もない頃で技術上の課題が若干残されていたため、急行形電車として計画が進められた。

451系・471系の搭載機器相違
系列 主制御器 主変圧器 主整流器
451系[3] CS15形 TM2B形 RS5形
471系[4] TM3B形 RS7形

商用電源周波数の相違により電動車に搭載される送油風冷式主変圧器・主整流器が異なることから、50Hz用車両が451系、60Hz用車両が471系の系列番号とされた。ただし、商用周波数の影響を受けない制御車付随車は共用できるため451形とした。

  • 主変圧器の大きな相違点として、TM2B形は補助回路主変圧器を一体化しているが、TM3B形は補助回路変圧器を独立させた1次側出力を降圧する構造を採用する[4]

制御器は電動カム軸式CS15。MGはMH97-DM61(容量20kVA)、CPはMH80A-C1000、電動送風機はMH2019-FK42を搭載する点は両形式共通である[5]

Mc+M'ユニットは奇数東海道本線基準で東京方)・偶数(同神戸方)のどちらを向けても運用可能な両渡り構造とし、落成当初は中間のサロ・サハシ451形を境にユニットを背中合せに連結することで編成を組成した。その後、冷房化により三相交流電源を引き通すためにKE5形ジャンパ連結器を追加したため片渡り構造となり奇数向きで統一され、偶数方をクハ451形とした。

運用線区の関係でホーム高さの低い線区が多いためにレール面上970mmの高さにステップが取付けられたが、クモハ451-1 - 9・クモハ471-1 - 11・13の1次車は戸袋部分で枕ばりと側はりの結合が実施できなくなることと車体強度の問題から乗務員室側客用扉については外吊方式とされた。しかし、の付着やトンネル入出時にかかる圧力からドアが開くなどのトラブルが生じたことにより、2次車以降は通常の戸袋方式が採用され1次車についても同様の改造が施工され、重量が約900kg増加した。

形式

テンプレート:Vertical images list

クモハ451形(1 - 12)
交流50Hz対応の2等(現・普通)制御電動車で定員76名。主制御器・MG・CPを搭載。乗務員室助士席側後部に機器室が設置されたため、その部分に側窓がなく、機器室用冷却風取入口が設置されている点が外観上の特徴である。床下艤装の関係上トイレ・洗面所用の水タンクは横手方向に取付けられた[* 1]
モハ450形(1 - 12)
クモハ451形とユニットを組む451系の2等中間電動車で定員84名。主変圧器・主整流器・集電装置を搭載する。屋上機器配置の都合でパンタグラフ取付位置が車体中央に寄ったため、台車心皿間距離が他形式に比べて短い。また取付部が低屋根構造であることから、該当部室内天井部分は通風器に代えてファンデリア(換気扇)を搭載し、外気取入口が低屋根部に設置された。本形式とモハ470形の車体側面(2・4位側-東海道本線基準で山側)に主整流器冷却風取入口が2か所設けられているのが外観上の特徴となっていたが、後述の主整流器交換工事により埋め込まれた。
クモハ471形(1 - 11・13・15)
クモハ451形に相当する交流60Hz対応の形式。クモハ451形との差異は特にない。車両需給上の点から偶数向き車が2組少なく、本形式とユニットを組むモハ470形は12・14が欠番である。
モハ470形(1 - 11・13・15)
モハ450形に相当する交流60Hz対応の形式。モハ450形とは、主変圧器および主整流器の形式が違う以外は同様の装備である。
  • 2010年に1・9が4月1日付で廃車されたが、2はその後も改修を受けながら北陸本線で運用された。当時はJRグループで営業運転に投入される最古の国鉄新性能電車でもあったが、2011年4月に廃車となった。
クハ451形(1 - 40)
本系列の2等制御車で定員76名。クハ153・165形が新製時より両渡り構造を採用したのに対し、本系列の当初計画では編成両端を制御電動車としたことから偶数向き片渡り構造で設計・製造された。クモハ451・471形と異なり、乗務員室助士席側後部の機器室がないため出入台用の側窓に変更された。2010年9月に金沢総合車両所所属の30がサハ451形に改造され形式消滅。
サロ451形(1 - 26・101 - 105)
1等車(現・グリーン車)付随車で定員48名。回送運転台を装備し、該当部分には妻面小窓・標識灯・屋根部前照灯が設置された。1978年 - 1986年廃車となり形式消滅。26はAU12S形分散式冷房装置搭載準備車のため、屋根上の通風器配列が異なる。1963年登場の増備車はCPを床下に搭載したため100番台に区分された。
サハ451形(1・2・101)
2等付随車で定員84名。0番台2両とCPを搭載した100番台1両の計3両が製造された。1986年に一旦形式消滅となったが、2010年にクハ451-30の改造により形式消復活。しかし前述の471系電動車ユニットと同じく2011年4月に廃車となり、これをもって両系列は廃系列となった。
サハシ451形(1 - 16)
2等・ビュフェ合造付随車。客室部定員は36名。床下に自車給電用40kVA MGとCPを搭載する。1977年 - 1978年に廃車となり形式消滅。
サハシ153形の運用経験に基づいてビュフェ部の構造が改良されており、サハシ153形での「寿司コーナー」に対し本形式では「蕎麦コーナー」が設置された[* 2]
本形式から調理器として電子レンジ[* 3]が本格的に採用されるようになった。これらのアコモデーションや形態は後のサハシ165形0番台に踏襲された。

453系・473系

基本的に451・471系の主電動機を100kWのMT46形から120kWのMT54形へ変更したための形式区分である。このためMcM'電動車ユニットのみの系列で制御車・付随車については引き続き451形とした。

50Hz用453系は東北本線急行電車および常磐線準急列車増発のために1963年から21ユニット42両が製造された。

60Hz用473系は、程なくして475系の製造に移行することが決定していたため、1965年に予備車補充目的で1ユニット2両のみが製造されたが、1986年に413系への改造により形式消滅した。

主電動機以外には以下の搭載機器と床下機器配置に若干の変更を実施した。

主変圧器
  • 内鉄形のTM9(453系)・TM10(473系)に、主整流器はRS5A(453系)・RS22(473系)に変更[6]
主制御器
  • カム接触器の容量増大と回路変更[6]
抵抗器
  • 103系で実績のある波型抵抗体のMR61。
電動送風機
  • 主抵抗器の容量増大に伴い強化型であるMH2019-FK42D[6]

形式

クモハ453形(1 - 21)
上述以外の変更点は、当初より奇数向き片渡り構造・雨樋先端の延長・FRP製水タンクなどがある。
後に5両が717系100番台、2両が455系200番台へ改造され、それ以外はユニットを組むモハ452形と共に1992年までに廃車となり形式消滅した。
モハ452形(1 - 21)
クモハ453形とユニットを組む453系の中間電動車。21および後述のモハ472形は主整流器がRS22形に変更されたため、2・4位側の主整流器冷却風取入口は廃止された。
クモハ473形(1)
クモハ453形に相当する交流60Hz対応形式。
モハ472形(1)
中間電動車でモハ452形に相当する形式。

455系・475系

テンプレート:Vertical images list テンプレート:Sound 東北本線盛岡・鹿児島本線熊本電化開業用[7]・北陸地区増発用として1965年から製造された基本的に165系の交直両用タイプに相当する形式グループで、453・473系からは以下の変更を実施した。

  • 比較的勾配の多い地域で運用されることから、主制御器を勾配発電抑速ブレーキを搭載するCS15Bとした。
  • 主抵抗器は容量増大形のMR52Aとした[7]
  • 主抵抗器の容量増大による床下儀装スペースの都合からCPをM'車に移設。耐雪型のMH113A-C2000Mとし容量を増加[7]
  • 引き続き電動車ユニットは商用周波数の違いから50Hz用は455系、60Hz用は475系の系が付与された。制御車・付随車は471系同様の理由で475系用も455形とされた。

製造開始時に優等列車冷房化計画が発動されていたこともあり、サロ455形は全車が新造冷房車。普通車はサハシ455形ビュフェ部を除き後期製造分から冷房装置搭載準備工事施工で落成もしくは新造時から搭載となった。

また451・453・471・473系の増備車という一面もあったことから、抑速ブレーキを使用停止してそれらの系列との併結を可能にすることも考慮され、抑速ブレーキ回路は引き通しを別途新設する方法が採用された[8]

  • 451・453・471・473系グループのKE58形ジャンパ連結器2基に対し、455・457・475系ではKE76形[* 4]3基とした。

形式

テンプレート:Vertical images list

クモハ455形(1 - 51)
交流50Hz対応の制御電動車。床下艤装は抑速ブレーキ追加に伴う主抵抗器の大型化や空気圧縮機の移設などでクモハ451・453形とは大幅に変更された。
冷房装置はAU13E形5基が標準だが、37 - 42はAU12S形対応冷房準備工事車のためAU12S形6基を搭載する。
モハ454形(1 - 51)
クモハ455形とユニットを構成する中間電動車。9以降はパンタグラフ搭載による低屋根部のファンデリアが2基に増強された結果、外気取入口は3組から6組にする設計変更が行われた。
37 - 42はAU12S形4基での冷房準備工事車であったが、冷房能力の点からAU72形集中式冷房装置搭載に変更されたため屋根と天井が大改造された。
クモハ455形と共に全車が仙台運転所に集中配置されたが、1980年 - 1985年に30 - 32のみが勝田区に転属した。
クモハ475形(1 - 53)
交流60Hz対応の制御電動車。49 - 51はクモハ455-37 - 42と同様で冷房装置がAU12S形6基搭載。後に7両がクモハ717形200番台への改造種車となった。
モハ474形(1 - 53)
クモハ475形とユニットを構成する中間電動車。35以降はモハ454-9以降同様のファンデリア強化仕様。49 - 51はモハ454-37 - 42同様の冷房化改造が施工された。7両がクモハ716形200番台への改造種車となった。
九州地区と北陸地区に配置されたが、両地区に所属した車両はユニット40のみで1968年に南福岡電車区→金沢運転所の転属記録がある。
クハ455形(1 - 75)
制御車。1 - 61はAU13E形5基で、冷房準備工事車の62 - 64はAU12S形6基で冷房化された。65- 75は新製時からAU13E形冷房装置5基を搭載し、出入台部通風器が未設置などの差異がある。
全車冷房電源用に自車を含めて4両まで給電可能な110kVA MGを搭載する。
サハ455形(1 - 8)
1971年に製造された付随車。全車が新造時からAU13E形分散式冷房装置6基と冷房電源用110kVA MGを搭載する。
全車金沢運転所に集中配置されたが、1・2は1983年から1984年にかけて、7は1975年から1985年にかけて勝田電車区に転属の記録がある。
2010年に8の廃車により廃形式となった。
サロ455形(1 - 45)
グリーン車。普通車の冷房化以降は三相交流引通線が新設された。
1 - 41は、AU12S形分散式冷房装置6基と自車冷房電源用に20kVA MG搭載。後に普通車も冷房化されたために北陸地区配置車を除いて4両まで給電可能の110kVAに換装を施工した。
42 - 45は1970年製の最終グループ。AU13E形分散式冷房装置5基と冷房電源用110kVA MG搭載への設計変更を実施。
サハシ455形(1 - 26)
普通ビュフェ合造付随車。モハのCP容量が倍増したので、サハシ451形とは異なりCPを装備しない。ビュフェ部分は新製時からAU12形4基で冷房化されていたが、普通席部分もAU13E形2基で全車冷房改造された。
近畿車輛が製造した1 - 20と日本車輌が製造した21ならびに日立製作所が製造した22 - 26では一部仕様が異なり、後者はビュフェ部窓側テーブル前にFRP製椅子が設置されたほか、デッキに通風器を増設。南福岡配置車両は麺類コーナー部分の暖簾を「うどん」とした。
本形式は仙台運転所・南福岡電車区に新製配置とされたが、南福岡配置車両は1968年に14・16が仙台運転所に、18[* 5]・22・24が金沢運転所に転出しており、主要3地区で運用された。さらに南福岡残存車も1970年10月1日ダイヤ改正で鹿児島運転所に、1975年3月10日ダイヤ改正で大分電車区に転出したほか、編成組成上冷房電源確保の理由からMGを40kVAから110kVAに換装された。

457系

テンプレート:Vertical images list 主変圧器を50・60Hz対応のTM14形に変更し3電源対応とした形式で制御車・付随車は引き続き455形とされた。全車新製時から冷房装置を搭載する。1969年から1971年にかけてMc+M'ユニット19組38両が製造され、東北・北陸・九州地区に配置された。

クモハ457形(1 - 19)
制御電動車。新造冷房車のため後位トイレ・洗面所側出入台部の通風器は装備しない。
モハ456形(1 - 19)
クモハ457形とユニットを組む中間電動車。新造冷房車のため低屋根部のファンデリアおよび外気取入口は省略された。
当初搭載されたTM14形主変圧器は、絶縁油に毒性の強いPCB(ポリ塩化ビフェニル)を使用していたため、1978年 - 1985年にシリコン油を使用するTM20形への交換が施工された。
クモハ457+モハ456製造分類
車両</br>番号 製造</br>年次 製造</br>メーカー 新製</br>配置 最終</br>配置 廃車</br>年次 備考
1 1969 東急 仙台 仙台 2002  
2 1970 川重 鹿児島 鹿児島 2007
3 大分 2004
4
5 2005
6 近車 2006
7
8
9 東急 鹿児島 2009
10 大分 2006
11 仙台 仙台 2008
12
13 2007
14 川重 鹿児島 大分 2011 1995年</br>クモハ717・716-901に改造
15 鹿児島 2010   
16 1971 金沢 金沢 現役
17 2011 2010年</br>クモハ457-17→モハ457-17に改造
18 近車 現役  
19

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改造

冷房化改造をのぞいた大きな改造工事について解説を行う。

系列内改造車・他系列からの改造車

系列内での形式改造車ならびに他系列から編入改造が施工された車両について解説を行う。

サロ451-107 - 119

サロ451形のうちCP装備車は100番台に区分されるが、新製時から装備していた101 - 105とは別に1965年から1979年にかけて大井工場(現・東京総合車両センター)で0番台13両にCP搭載改造を施工した。なお106は欠番である。

  • サロ451-1 - 9・21・22・13・26→サロ451-107 - 119

クハ455-201

1973年に仙山線での踏切事故により廃車となったクハ455-45の補充として、1975年3月26日に余剰車となっていた金沢運転所所属のサハシ455-18に郡山工場(現・郡山総合車両センター)で先頭車化改造を施工。クハ455形最終増備車同様の車体であり、車体長も新製車とまったく同一である[9]。AU13E形5基および冷房電源用110kVAのMGが搭載された。1993年に廃車。

  • サハシ455-18→クハ455-201

455系200番台(クハ455-201をのぞく)

451・453系の455系化改造グループ。当初は1969年にサロ451形3両をサロ455形に改造する工事が施工された。

  • サロ451-23 - 25→サロ455-201 - 203

1978年10月ダイヤ改正を機に仙台運転所(現・仙台車両センター)の急行形車両形式統一が図られ、453系の455系編入改造工事が郡山工場で施工された。改造対象はクモハ453形・モハ452形・クハ・サロ451形(0番台)でMc車の主制御器・主抵抗器の交換(これに伴い床下水タンクが撤去されたためトイレ・洗面所も同時に撤去)、Mc・Tc車の主幹制御器の交換、各車両に抑速ブレーキ引通線増設などの改造が1978年 - 1979年に施工された。このグループはオリジナルの455系と異なり、CPの大容量化とM'車への移設は施工されておらず、CPの配置は元車両のままとなった。

  • クモハ453・モハ452-19 - 21→クモハ455・モハ454-201 - 203
  • クハ451-25・26→クハ455-202・203
  • サロ451-14 - 20→サロ455-204 - 210

以上15両の改造が計画されたが、

  • クモハ453・モハ452-19→クモハ455・モハ454-201
  • サロ451-14・18→サロ455-204・208

この4両は車両需給上計画番号にとどまり、実際には改造工事が行われず欠番となった。クハ455-201とともに仙台運転所に配置され、主に東北本線などで運用されていたが、719系701系の投入に伴い、クヤ455-1に再改造されたクハ455-203以外は1994年に廃車された。

クハ455形300番台

普通列車への転用・短編成化では制御車が不足することとなった。本区分番台は1984年 - 1985年にクハ165・169形900番台24両へ本系列編入やドアステップ設置などの改造施工をしたグループである。

特徴として架線電圧検知アンテナの台座がオリジナル車では角錐形状でホイッスルが埋め込まれているのに対し、改造車は台座が円錐形状でホイッスルが独立して取付られた。

  • クハ165-139・140・143・145 - 147・156・157・159 - 161・169・171・179 - 181・185・186・188・189・クハ169-901 - 904→クハ455-301 - 324

テンプレート:-

クハ455形400番台

300番台と同じくクモハ165・169形900番台を電装解除の上編入したもので、1984年 - 1985年に5両が改造された。300番台と同じくドアステップや架線電圧検知アンテナの設置、台車のTR69系への振替が行われたが、種車の関係で前部デッキ屋根上の通風器の形状が異なり、種車の主電動機冷却風取入用通風器が存置されるなど僅かな差異が見られるが、後に401と405ではこれを撤去した。

  • クモハ165-107・クモハ169-901 - 904→クハ455-401 - 405

テンプレート:-

クハ455形500番台

普通列車転用で不足する制御車化改造の皮切りとしてサハ165形を先頭車化し455系に編入したもので、1983年に5両が改造された。300・400番台と異なり、新設された運転台はクハ411形500番台に準じたものであるため、外観および運転台の交直切替スイッチ周りにわずかな差異がある。501のみ種車同様AU13E形6基が搭載されたが、それ以外は前位寄の1基が新設した前位デッキと競合するために撤去された[* 6]

  • サハ165-1 - 4・6→クハ455-501 - 505

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クハ455形600番台

サロ455・165形を制御車化と同時に普通車格下げした改造で、1984年 - 1985年に11両が施工された。

外観・車内設備を含めて種車のものがそのまま活かされているが、前位デッキと競合する冷房装置は撤去された。

サロ455形を種車とする601 - 605はグリーン車特有の2連窓であるが、サロ165形を種車とする606 - 611はサロ時代に2段式ユニット窓改造施工。また冷房装置は602 - 605・611はAU13E形。その他がAU12S形であるなどの差異がある。

シートは近郊形改造した車両のロングシート部分を除き種車のグリーン車用リクライニングシートがそのまま残されたが、後に更新工事の際に一般のボックス式クロスシートに交換された車両では、窓と座席間隔は合わない。

  • サロ455-36・42 - 45・サロ165-101・122 - 124・129・133→クハ455-601 - 611

クハ455形700番台

サハ455形を松任工場で先頭車化改造した車両で701が1986年に、702が1987年に改造された。他の455系改造車と異なり、471・473系の更新改造車である413系と編成を組むために改造されたが、種車が経年30年未満であったため車体更新は未施工である[10]。413系に合わせて引き通し線が回路変更されており、ジャンパ連結器も413系用のKE96形を装備するため、475系の制御車としては使用できない[* 7]。側面窓の一部が固定化され、その上部に電動行先表示器を装備しており、運転台なども413系に準拠している。

  • サハ455-1・6→クハ455-701・702

クロハ455-1

テンプレート:Vertical images list 1990年磐越西線快速ばんだい」へグリーン車組成が要求されたことからクハ455-44を種車に郡山工場が施工したグリーン・普通合造車への改造である。

  • 前位側の側窓3区画を固定窓に交換しグリーン室に変更。
  • 座席は座面幅の広い横4列オーディオ・ビデオ付きリクライニングシートに交換。
  • 床面には絨毯を敷設。
  • 荷棚取替え(普通室も含む)。
  • 横引きカーテンに交換(普通室も含む)。
  • 普通室も指定席として運用されることから座席を簡易リクライニングシートに交換。
  • 仙台配置の本系列はJR化後にクハ455形を除いてトイレ・洗面所を撤去・閉鎖したが、本形式では撤去し荷物置場・電話室としたため編成を組むモハ454-40のトイレ・洗面所を残存させた。
  • 組込み編成(S-40編成)は1997年に当時運行していた特急「ビバあいづ」のグリーン車の向きに合わせて方向転換を実施。他編成との連結を考慮しジャンパ連結器など引通しの逆向き改造も同時施工。

当初は仙台色で緑色帯を二重の塗装にされたが、その後は磐越西線専用塗装に変更。1999年の磐越西線専従運用終了後は、グリーン客室をそのまま普通車扱いとして運用。車体は2005年6月まで「BAN-ETSU LINE 455」のロゴを消していたが、同年7月以降は再度「あいづデスティネーションキャンペーン」により磐越西線運用に復帰。ただしキャンペーンキャラクター「あかべぇ」のステッカー貼付は未実施とされた。

  • クハ455-44→クロハ455-1

クヤ455-1

JR東日本では、1991年から乗務員を対象に定期的に行う異常時の取扱いや応急処置等の教育訓練に保留車を活用することになった。455系ではクハ455形をベースとし、室内は座席を一部撤去、テーブルとパイプ椅子を持込みミーティングルームとし、備品収納用ロッカーや視聴覚教育用モニタ、ビデオを搭載したクヤ455形に改造。クモハ455・モハ454-1と編成を組み、塗装は交直流急行色に白帯と「訓練車」の表記が入れられていた。2006年11月14日、編成に組まれていたクモハ455-1が鉄道博物館に収蔵されるため、郡山総合車両センターへ廃車回送されて形式消滅した。

  • (クハ451-26→)クハ455-203→クヤ455-1

モハ457・モハ471・モハ475・サハ451・サハ455形

2010年に金沢総合車両所所属の3両編成x8本を6両固定編成x4本へ組成変更する際に、中間封じ込みとなるクモハ457・クモハ471・クモハ475・クハ451・クハ455各形式の運転台機器使用停止措置を松任本所で実施。その際に形式変更を行い以下の編成が組成された。

金沢総合車両所475系6両固定編成
テンプレート:TrainDirection
クハ
455
モハ
474
モハ
475
サハ
455
モハ
474
クモハ
475
  組込車  
  • 斜字は形式変更車

外観に変化はなく表記上ATS-SWも整備状態とされた[11][12][13]

521系の導入進行により系列消滅となった[14]

  • クモハ457-17→モハ457-17
  • クモハ471-2→モハ471-2
  • クモハ475-47・50→モハ475-47・50
  • クハ451-30→サハ451-30
  • クハ455-20・62・64→サハ455-20・62・64

他系列への改造

717系化改造

1995年に鹿児島所属のクモハ457・モハ456-14の2両に施工された近郊形化改造。車体中央部に両開きドアの増設・電気機器の変更・モハ456に運転室を設置して2両編成に短縮するなどの工事を行い717系に編入された(前述)。2009年9月限りで運用を離脱。

  • クモハ457・モハ456-14→クモハ717・クモハ716-901

改番を伴わない改造

機器類・車体の更新を除いた改造について解説を行う。

モハ450・470形主整流器交換工事

1969年から普通車の冷房化改造が開始されたが、主整流器がモハ450形のRS5 (A) 形、モハ470形のRS7 (A) 形のままでは整流能力が不足するため、モハ402・422形に使用されていたRS22・RS22A形と振替る改造工事が冷房化改造と同時に施工された。

クモハ471・モハ470形主電動機交換工事

運転時省力化ならびに保守時合理化を目的にクモハ473・モハ472形とほぼ同一動力性能とするため、クモハ471・モハ470形の主電動機をMT46形から他系列車廃車発生品のMT54形に交換する改造工事。1991年3月から12月にかけて松任工場で1・2・9の3ユニット6両へ施工した[15]

近郊化改造

1982年11月15日国鉄ダイヤ改正では九州地方の、1985年3月14日国鉄ダイヤ改正では東北北陸地方の電車急行が全廃となった。捻出された本系列は普通列車に転用されることになり、1984年から一部車両に以下の近郊形対応改造を施工した。

なお、走行性能には手が加えられていないため、近郊形対応改造後も営業最高速度110km/hは変わっていない。このため、それまで100km/hであった近郊形普通列車の最高速度が引き上げられるという効果もあった。

他系列からのクハ455形改造車では近郊化改造と同時施工したケースのほか、地方都市圏の輸送改善を目的に車体更新によって近郊形電車に改造した例もある。詳細は国鉄413系・717系電車を参照。

前面強化改造

ファイル:455系仙台シティラビット.JPG
クハ455-316</br>前面強化工事施工車

JR東日本では1992年に発生した成田線大菅踏切事故後、踏切事故で乗務員保護のために前面を補強する工事を積極的に進め、本系列も対象となった。

時期によってステンレス板での補強のところ鉄板で施工した例やアンチクライマーを装備・未装備などの差異がある。 テンプレート:-

急行・快速列車としての運用

本系列は東北や北陸・九州といった交流電化地域を中心に配備され、主に東京大阪とを結ぶ急行列車の運用に就いていた。しかし、その後特急格上げや快速格下げなどで急行列車自体が減少していったことから、ローカル運用を担うようになった。本節では、急行列車として運用された時期について解説する。

東北・常磐方面

1962年の451系落成当初は勝田電車区(現・勝田車両センター)に配置され、翌1963年からは仙台運転所(現・仙台車両センター)にも配置された。定期列車では東北本線上野(一時期は東京) - 青森を中心に常磐線奥羽本線山形磐越西線喜多方まで、臨時列車では万座・鹿沢口のほか私鉄である伊豆急行伊豆急行線伊豆急下田伊豆箱根鉄道駿豆線修善寺までの乗入れ実績がある。

主として東北本線系統は仙台車が、常磐線系統は勝田車が運用を担当。仙台車には、郡山福島などで編成の分割・併合夜行の運用も存在した。詳細は東北本線優等列車沿革常磐線昼行優等列車沿革奥羽本線昼行優等列車沿革磐越西線喜多方以東優等列車沿革も参照。

勝田電車区

投入直後は準急「ときわ」と急行「みやぎの」に以下の2種類の編成が充当された。

テンプレート:TrainDirection
クモハ
451
モハ
450
サロ
451
サロ
451
サハシ
451
サハ
451
モハ
450
クモハ
451
モハ
450
クモハ
451
クモハ
451
モハ
450
サハシ
451
サロ
451
サロ
451
サハシ
451
モハ
450
クモハ
451
モハ
450
クモハ
451

翌1963年にはクハ451形が配置され10月1日から「みやぎの」を仙台運転所に移管。同時にサハ451形・サハシ451形も全車仙台に転出。以後は次の編成で常磐線中心の運用に投入された。

テンプレート:TrainDirection
クハ
451
モハ
450
クモハ
451
サロ
451
サロ
451
クハ
451
モハ
450
クモハ
451
+ クハ
451
モハ
450
クモハ
451
基本編成 付属編成

1968年10月のダイヤ改正ではグリーン車1両を減車され、一部基本編成では中間閉じ込みのクハ451形がサハ451形に置換えられた。

さらに1972年3月15日のダイヤ改正で編成が変更となり、1985年の運用終了まで以下の編成で運用。

テンプレート:TrainDirection
クハ
451
モハ
450
クモハ
451
サロ
451
クハ
451
モハ
450
クモハ
451
+ クハ
451
サロ
451
モハ
450
クモハ
451
基本編成 付属編成
準急→急行
急行
  • 「みやぎの」:上野 - (東北本線) - 仙台間(- 1963年)
  • 「そうま」:上野・水戸 - 仙台間 (- 1972年)
    • 「ときわ」に統廃合
  • 「もりおか」:上野 - (常磐線) - 盛岡間(1972年 - 1982年)
  • 「あぶくま」:白河 - 盛岡間(1972年 - 1982年)
    • 1972年3月の改正で白河 - 仙台間から盛岡発着に運転区間が延長され「もりおか」と共通運用となり仙台から移管。
  • 「つくばね」:上野 - (東北本線・水戸線) - 勝田間(1978年- )
臨時急行
特殊運用
  • 特急「ひたち:上野 - 平間代走運用
  • 1969年10月のダイヤ改正からキハ80系による「いなほ」と間合い運用の「ひたち」が設定されたが、冬期は「いなほ」が豪雪地域を運転することからたびたび遅延を発生させた。そのため「いなほ」折り返しとなる「ひたち」の正常運転を確保する目的から上野口で1編成を停泊待機させ、遅延発生時には代走投入する運用が組まれた[16]。1972年10月ダイヤ改正で「いなほ」「ひたち」の485系電車化と運用分離により終了[17]

仙台運転所

1963年10月に「みやぎの」運用を勝田電車区から移管[18]されたのと同時に「松島」「青葉」の電車化のために新たな配置区となり以下の編成が組成された。

テンプレート:TrainDirection
クハ
451
モハ
450
クモハ
451
サロ
451
サロ
451
サハシ
451
モハ
450
クモハ
451
+ クハ
451
サハ
451
モハ
450
クモハ
451

しかし、東北本線に介在する勾配区間や1968年以降に乗り入れる奥羽本線に対応するために455系が集中配置[* 8]されるようになり、1967年7月の磐越西線喜多方電化により以下の編成に変更された。

テンプレート:TrainDirection
クハ
455
モハ
454
クモハ
455
サロ
455
モハ
454
クモハ
455
+ クハ
455
サハシ
455
モハ
454
クモハ
455
サロ
455
モハ
454
クモハ
455
付属編成 基本編成
備考
  • 付属編成は磐越西線の需要・ホーム有効長の問題ならびに奥羽本線板谷峠に存在する最大33の急勾配区間対策によるM:T比2:1以上と抑速ブレーキ装備の制約から、455・457系限定で組成。
  • 基本編成は451系・453系が組成される場合がある。
  • 1969年以降はクモハ457形・モハ456形の場合がある。

また「ざおう」・「ばんだい」の多層建て列車では付属編成2本連結による運用も存在した。

テンプレート:TrainDirection
クハ
455
モハ
454
クモハ
455
サロ
455
モハ
454
クモハ
455
+ クハ
455
モハ
454
クモハ
455
サロ
455
モハ
454
クモハ
455

付属編成単独で運転されていた「あぶくま」「くりこま」「つくばね」や上記の編成とは別に増結用ならびに「仙山」をはじめとするローカル運用や臨時運用に投入されるTc-M'-Mcのみの編成も存在した。1973年10月のダイヤ改正で特急増発に伴い食堂要員を特急に転用させるためビュフェが営業休止。1977年にはTbが編成から外され基本・付属共に共通の6両編成となった。さらに1984年2月からは基本編成と付属編成の位置が逆転した以下の形態となった。

テンプレート:TrainDirection
クハ
455
モハ
454
クモハ
455
サロ
455
モハ
454
クモハ
455
+ クハ
455
モハ
454
クモハ
455
基本編成 付属編成

1985年に東北本線系統の電車急行が全廃となり、以後はローカル運用に転用された。

仙台車で運転された主な列車を以下に示す。

準急→急行
  • 「あぶくま」:白河 - 仙台間(- 1972年)
急行
  • 「いわて」「きたかみ」:上野 - (東北本線) - 盛岡間
  • 「みやぎの」「青葉」「松島」→「まつしま」:上野 - (東北本線) - 仙台間
  • 「あづま」:上野 - 福島間
  • ざおう:上野 - 山形駅間
  • ばんだい:上野 - 会津若松・喜多方間
  • なすの白河→上野(- 1985年[* 9]
  • 「つくばね」:上野 - 水戸線 - 勝田間(- 1978年)
急行→特別快速・快速
急行→快速
  • 「くりこま」:仙台 - 青森間
    • 格下げ後は仙台 - 盛岡間
    • 1972年3月15日国鉄ダイヤ改正での仙台 - 青森間「くりこま」2往復電車化の際に「エコーもりおか」(詳細は後述)の速達性が好評だったことから1往復を全車座席指定席で停車駅を大幅に減らし、485系特急列車が4時間30分程のところを4時間45分で結ぶダイヤ設定を行った[* 10]。本来なら特急として運転しても遜色のない急行列車であったが、こちらは1往復だけ特急化することに当時の社会情勢も踏まえて仙台鉄道管理局が難色を示した上に、対上野口エル特急を大増発したために485系の運用に余裕がなく、急行列車として運転されることになった。この列車は途中で定期の気動車急行「たざわ」を追い抜くというダイヤが組まれており、表定速度81.6km/hは歴代急行列車第2位[19]であった。1982年東北新幹線開業で「くりこま」は快速列車に格下げ。さらに盛岡 - 青森間は「はつかり」に発展的解消を遂げている。
臨時急行
  • 「もりおか」→「エコーもりおか」:上野 - (東北本線) - 盛岡間
    • 1971年春期に特急「やまびこ」の臨時列車が計画されたが、485系の予備車捻出ができずに急行「もりおか」として運転された。停車駅を大幅に減らした結果、約6時間30分という、定期「やまびこ」と比較しても20分程度しか差がないダイヤ設定がされた。同年夏期からは翌1972年3月15日のダイヤ改正で常磐線経由の定期「もりおか」が運転開始されることから「エコーもりおか」に改称。引き続き1972年夏期まで運転されたが、同年秋に485系が大量増備されたために臨時「やまびこ」に格上げされ発展的解消となった。
  • 「エコーあおもり」:白河 - 青森間/定期「あぶくま」の仙台 - 青森間を延長運転。下りのみ設定
    • 「エコーもりおか」が好評だったために1971年秋期・冬期に運転された臨時列車。翌1972年3月15日改正で「あぶくま」の勝田移管と定期「くりこま」への本系列投入で発展的解消となるが、本系列が東北本線盛岡以北で営業運転を行った最初の事例である。

北陸地区

1962年7月から敦賀第二機関区(現・敦賀地域鉄道部敦賀運転センター車両管理室)に配置され、同年年末年始輸送の臨時急行「越前」と名古屋 - 大阪間の準急「比叡」に投入[* 11]。翌1963年4月から定期急行列車での運用が開始され、1964年の北陸本線富山電化以降は金沢運転所(現・金沢総合車両所)への転属・集中配置となった。

北陸本線糸魚川と東海道本線・名古屋大阪までの運用[20]を担当。1970年7月15日から富山地方鉄道本線宇奈月温泉立山線立山まで交直流急行形電車の私鉄乗入れという珍しい運用も1982年まで行われた。

投入当初は以下の編成を組成した。

テンプレート:TrainDirection
クモハ
471
モハ
470
サハシ
451
サロ
451
サロ
451
サハシ
451
モハ
470
クモハ
471
モハ
470
クモハ
471

臨時列車などに投入される場合はサハシ451形2両減車の8両編成が組成されるケースもあったが、1964年1月にクハ451形が新造され4月以降は以下の編成に順次変更。

テンプレート:TrainDirection
クハ
451
モハ
470
クモハ
471
サハシ
451
サロ
451
サロ
451
サハシ
451
モハ
470
クモハ
471
+ クハ
451
モハ
470
クモハ
471
基本編成 付属編成

1967年にはサハシ451形1両減車の上で次の編成に変更。

テンプレート:TrainDirection
クハ
455
モハ
474
クモハ
475
クハ
455
サロ
455
サロ
455
サハシ
455
モハ
474
クモハ
475
+ クハ
455
モハ
474
クモハ
475
基本編成 付属編成
備考
  • サハシ455形(18・22・24)はサハシ451-7 - 12・16の場合がある。
  • 基本編成は471系・473系が組成される場合がある。
  • 付属編成は富山地方鉄道線内で抑速発電ブレーキを使用する関係から475系・457系に限定。
  • 付属編成は単独もしくは2編成連結で「くずりゅう」運用や臨時列車にも投入。
  • 1971年以降は一部編成で大阪方4両目クハ455形をサハ455形に、電動車ユニットでクモハ457形・モハ456形に差し換え。

1973年11月30日をもって利用者の減少と食堂要員を特急列車へ集中させるためにビュフェ営業休止。1975年より、冬期のみ基本編成からサロ1両とサハシを抜いた減車編成で運用された。

テンプレート:TrainDirection
クハ
455
モハ
474
クモハ
475
サロ
455
サハ
455
モハ
474
クモハ
475
+ クハ
455
モハ
474
クモハ
475
基本編成 付属編成

テンプレート:Vertical images list 1978年4月より12両編成に復帰せずに同年10月改正で冬期減車編成が基本となり、ヘッドマークも小型化された。1982年11月の改正で「くずりゅう」を除き特急列車に格上げもしくは廃止。「くずりゅう」も1985年3月の改正で廃止となり、北陸地区での本系列の急行運用が終了した。

投入された主な列車を以下に示す。

準急→急行
急行→準急→急行
急行
  • ゆのくに」「加賀」:大阪 - 金沢間
  • 「立山」「越山」:大阪 - 富山・糸魚川・宇奈月温泉・立山間
  • 兼六名古屋 - 金沢間
快速
  • 「こしじ」:福井 - 富山間

山陽・九州方面

1965年に南福岡電車区(現・南福岡車両区)に配置開始。同年10月のダイヤ改正から東海道本線山陽本線鹿児島本線日豊本線系統の急行列車として運用が開始。東は名古屋[* 15]、南は西鹿児島までの運用を担当。名古屋 - 博多間のロングランや小倉で列車編成の分割・併合が行われる運用も組まれた。

鹿児島電化が完成した1970年10月1日に鹿児島運転所(現・鹿児島車両センター)に一部車両が転属したのを皮切りに、1973年10月1日には鹿児島の他に大分電車区(現・大分車両センター)にも転属となり南福岡の配置がなくなった。山陽新幹線博多開業によるダイヤ改正で本州内での急行運用がなくなり全車大分電車区集中配置となった。その後の運用見直しで1980年から一部車両が鹿児島に再転出しているが、1982年11月のダイヤ改正をもって九州地区での急行運用が消滅した。

1965年投入当初は以下の編成が組成された。

テンプレート:TrainDirection
クハ
455
モハ
474
クモハ
475
サハシ
455
サロ
455
サロ
455
モハ
474
クモハ
475
+ クハ
455
サハシ
455
モハ
474
クモハ
475
基本編成 付属編成

1968年10月1日改正以降は、編成数増加のために基本編成のサロ455形1両と付属編成のサハシ455形を減車した以下の編成に変更となった。

テンプレート:TrainDirection
クハ
455
モハ
474
クモハ
475
サハシ
455
サロ
455
モハ
474
クモハ
475
+ クハ
455
モハ
474
クモハ
475
基本編成 付属編成

1970年以降増備された電動車ユニットはクモハ457形+モハ456形に変更されたが、1973年11月30日をもってビュフェ営業休止。1978年10月改正でサハシ455形が外され基本編成が6両となった。

テンプレート:TrainDirection
クハ
455
モハ
474
クモハ
475
サロ
455
モハ
474
クモハ
475
+ クハ
455
モハ
474
クモハ
475
基本編成 付属編成

また一部列車や臨時列車には、他地区と同様にTc-M'-Mcの3両を組み合わせた6両・9両編成での運用も行われた。投入された主な列車を以下に示す。

準急→急行
急行
  • 「はやとも」「玄海」:名古屋 - 博多間
  • 「つくし」新大阪・大阪 - 博多間
  • 「山陽」「はやとも」広島 - 博多間
  • 「有明」「しらぬい」岡山 - 熊本
  • 「べっぷ」:新大阪 - 大分
  • ゆのか:博多 - (日豊本線) - 大分間
  • 「かいもん」:博多 - (鹿児島本線) - 西鹿児島(現・鹿児島中央)間
  • 「そてつ」:熊本 - 西鹿児島間
  • 「日南」門司港・小倉 - (日豊本線) - 西鹿児島間
急行→快速
快速
季節・臨時急行
  • 鷲羽:新大阪 - 宇野間(1972年3月 - 1975年3月)

急行運用以後

1987年4月1日の国鉄分割民営化の時点では、東日本旅客鉄道(JR東日本)に234両が、西日本旅客鉄道(JR西日本)に90両が、九州旅客鉄道(JR九州)に123両が承継された。2011年4月現在ではJR西日本在籍車のみが定期運用に投入されており、JR東日本在籍車は2008年度内で、JR九州在籍車は2009年度内に全廃となった。

東北地区

テンプレート:Vertical images list 1985年に東北本線系統の電車急行は廃止となったが、仙台運転所(→仙台電車区→現・仙台車両センター)に所属していた本系列は、以前より運用範囲は狭くなったものの普通列車や快速列車として引き続き東北本線・常磐線・仙山線・磐越西線で運用された。

東北本線では急行から格下げされた快速「くりこま」の運用で盛岡まで運用されていたが、「くりこま」廃止後は主に黒磯 - 一ノ関間で普通列車運用を中心に快速「仙台シティラビット」の一部にも投入されたほか、第三セクター鉄道の阿武隈急行線へ入線する運用も存在した。

常磐線では仙台 - 水戸間で普通列車に投入されたが、E531系導入に伴い2005年にいわき - 水戸間の運用が終了。2007年の車両置換え直前まで9両編成での運用も存在した。仙山線では普通列車や快速「仙山」で全線運用された。奥羽本線福島 - 新庄間が標準軌に改軌される以前は上ノ山や新庄まで運用された。

磐越西線では郡山 - 喜多方間で普通列車ならびに快速「ばんだい」に投入された。

  • 「ばんだい」の一部列車には半室グリーン車に改造されたクロハ455形を連結するS-40編成が投入された。急行運用終了後の本系列でグリーン席・指定席を設けていた特異な例であったが、1999年にグリーン席・指定席の取り扱いは終了[* 16]

車内の一部をロングシート化していたもののラッシュ時の混雑などに対応しきれなかった事も重なり、2001年に仙山線運用が終了。車両老朽化の進行からE721系の投入が開始され417系717系と共に2007年から2008年にかけ他線でも置換えが行われた結果、2008年3月14日に定期運用が終了した。さよなら運転は同月22日に仙山線仙台 - 山形間、23日に東北本線仙台 - 郡山間で行われ、すべてでの営業運転を終了した。その後は郡山総合車両センターへ順次回送された後に廃車・解体。2008年度内で全車が廃車となりJR東日本から本形式は消滅した。

仙台車両センターの本系列は、車体更新編成と未施工編成が混在しており、更新車は先頭車が前照灯標識灯の一体化などの外観上特徴を持つ。また末期には東北色車とS-40編成は正面の種別・行先表示器が幕式からLED式への換装が行われたほか、仙台地区でのATS-Ps導入ならびにいわき駅構内のATS-P導入に対応した表示器の設置・機器の交換などが施工された。編成番号は、455系がS+電動車ユニットの車両番号で[* 17]、457系の場合はユニット車両番号の若い順から車号に関係なくS71 - 73とされた。

北陸地区

テンプレート:Vertical images list 413系への改造が始まる前である1985年4月1日現在で112両が[22]、国鉄分割民営化直前の1986年11月1日現在で98両が配置されていたが[23]、413系改造の進展によりJR西日本には90両が継承された。

475系金沢運転所編成表(1986年11月1日現在[23]
編成 テンプレート:TrainDirection
6両編成</br>(6本) クハ</br>455 モハ</br>474 クモハ</br>475 サハ</br>455 モハ</br>474 クモハ</br>475
3両編成</br>(18本) クハ</br>455 モハ</br>474 クモハ</br>475  
増結用</br>(2両) クハ</br>455  
備考 471系…25両/475系…65両/457系…8両

外観的特徴としてつららによる破損を防ぐために先頭車前頭部の列車種別表示器が塞がれているほか、の浸入によるMGの故障を防ぐためにクモハ前頭部箱型通風器のうち運転士側のMG冷却風用が撤去され、室内デッキから採風する方式に変更などの施工がされている。また修繕により現存する471系全車と475系の一部は側窓のサッシが交換されオリジナルと形状が異なり、MG用以外の屋上通風器の撤去やLED式側面行先表示機の設置などの改造も進行中である。Mc-M'車のトイレ・洗面台は閉鎖あるいは撤去された[* 18]

3両編成のうち475系・457系で編成を組む17本と増結用であるクハ455-19は近郊化改造が施工されており、未改造6両編成の一部が413系改造種車となった。改造が終了した1990年4月1日現在で80両(3両編成22本・増結3両編成4本・余剰車2両)の配置となった。

475系金沢運転所編成表(1990年4月1日現在)
編成 テンプレート:TrainDirection
増結用編成</br>(A01 - A04編成) サハ</br>455 モハ</br>474 クモハ</br>475
3両編成</br>(A05 - A26編成) クハ</br>455 モハ</br>474 クモハ</br>475
余剰車</br>(2両) サハ</br>455  
備考 471系…8両/475系…64両/457系…8両</br>増結用編成は下り側(直江津寄り)に連結して運用。

その後余剰車のサハ455形2両が1993年度に廃車となった[14]ほか、1992年から1997年にかけて近郊化改造未施工車を対象に延命NB工事が施工され、客室内一部セミクロス化やデッキ仕切り扉の撤去などが行われた[24]

運用面では、分割民営化直後には北陸本線湖西線近江今津以北・富山港線で定期列車に充当されたほか、415系の代走や臨時列車で七尾線への入線実績がある。

2000年代に入り運用縮小が行われ以下の状況で運用が終了した。

続いて419系・475系老朽化取替え用として2010年3月までに521系10編成20両が投入され、同年10月までに8編成24両が廃車となった。

さらに2011年3月までに521系20編成40両が投入され、北陸本線(敦賀 - 金沢)での運用を終了した[* 19]。この結果同年6月までに4編成12両が廃車となった[14]

2013年3月16日ダイヤ改正以降では、14編成42両(A05 - A07・A10・A12・A13・A15・A18・A19・A21・A22・A24 - A26編成)が北陸本線金沢 - 直江津間で基本的に普通列車のみで運用される。本系列のみもしくは413系と連結した6両編成を組成するほか、土休日には快速「ホリデーライナーかなざわ」にも充当される[25]

九州地区

テンプレート:Vertical images list JR九州では、以下の路線で運用されていた。

1999年ワンマン運転開始[26]に伴い815系が投入されると八代以北への入線が減少するとともに初めて廃車が発生した。2003年10月には鹿児島地区・宮崎地区での817系投入・ワンマン運転が開始。さらに翌2004年3月13日九州新幹線開業に伴う八代 - 川内間の肥薩おれんじ鉄道移管により運用が大幅に減少した結果、老朽化も考慮され順次廃車となった。鹿児島地区415系転入に伴い2007年3月18日をもって全車が定期運用を終了。長らく保留車となっていたが、2010年3月までに全車が廃車された。

  • 定期運用終了後も稀に臨時列車へ充当された[27]ほか、他系列の検査入場時などにもに投入実績がある[28]

国鉄時代も含めて九州管内配置車は475・457系のみであるが、国鉄末期のサロ455形先頭車化改造時に先頭車が不足した際に金沢運転所からクハ451形を2両を借り受けた例[29]がある。鹿児島車は鹿児島本線上で、大分車は日豊本線上で、ともに鹿児島中央方がクハ455形となっている。したがって両車は鹿児島中央駅でクハ455形同士が向い合う形となることから、両区所間での車両の転属や貸し出しは方向転換を伴っていた。

車両塗装

ファイル:JNR 475 series 001.JPG
交直流急行色60Hz仕様復元車

オリジナルの車両塗装は、地色を赤13号ローズピンク[* 20])として、窓周りにクリーム4号の帯をまとった「交直流急行色」と称される配色であった。60Hz電源用の車両は、当初、識別用のクリーム色の細帯を電動車のみに、後に編成全車の下部に巻いていたが、457系登場後に塗装工程省略の見地からこの細帯は廃止された。これらのオリジナル塗装は、国鉄時代末期になると地域ごとに独自のカラーリングへと塗り替えられていった。

仙台地区

仙台地区に在籍する車両は、1985年9月より1988年にかけて715系1000番台に準じたクリーム10号[30]アイボリー)の地色に緑14号の帯の配色に変更された。前面に回り込んでいる帯の部分が菱形[* 21]になっているのが特徴で、仙台都市圏の列車愛称にちなみ「グリーンライナー色」とも呼ばれる。

専用塗装

テンプレート:Vertical images list 1996年には磐越西線向けの、1997年には仙山線向けの専用塗装がそれぞれ登場している。共にデザインは同じで、配色とロゴが異なっている。

磐越西線向け
赤をベースに、1編成3両に渡って磐梯山をイメージして山なりに抜かれた白地が特徴。「BAN-ETSU LINE 455」ロゴ[* 22]が前面と側面に表記された。
2005年から「あいづデスティネーションキャンペーン」の一環として「あかべぇ」のイラストが追加されたが、2007年6月30日をもって磐越西線での運用を終了した。2007年9月2日には郡山 - 喜多方間で臨時列車「さよなら455系あかべぇ」号がS-6[* 23]+S-2編成で運転され、「あかべぇ」が涙目をしているヘッドマークが掲出された。
仙山線向け
青をベースに、1編成3両に渡って蔵王連峰をイメージして山なりに抜かれた白地が特徴。「SENZAN LINE 455」ロゴが前面と側面に表記された。しかし2001年に仙山線からの運用離脱に伴い、しばらくロゴのみが消された状態で東北本線や常磐線で運用されたが、その後仙台地区塗装に戻された。
また、これ以前の1995年にイメージアップを狙って東北芸術工科大学の学生によってデザインされたパッチワーク模様塗装としたS41編成1年間に渡り、1996年にはS19編成が「オプティカル塗装」に変更の上で1年間運用された。

北陸地区

テンプレート:Vertical images list 1985年に登場した419系が、赤2号の地色にクリーム10号の帯[* 24]の「旧北陸色」が採用された。後に本系列もこの塗装が採用されることになったが、分割民営化後の1988年にイメージチェンジでオイスターホワイトを地色としてコバルトブルーの帯を配した新北陸地域色[31][32]に変更された。1991年に全車塗り替えが完了した。

また2005年 - 2006年には、A16・19編成が交直流急行色に復元された上で2006年9月23日には「リバイバルくずりゅう」での運用を行った。A19編成では全車に60Hz電源識別用の細帯が再現されているのに対し、A16編成のクハ455-18は細帯が省略されている[33]などの細部に違いがある。なお、A16編成は2010年10月に廃車となったが、本系列では初となるA13編成が交直流急行色に復元され、2013年9月に出場している[34]

2010年には人件費および塗装費用削減のため、青色一色に変更されると報道[35]され、同年2月8日には第一陣となるA18編成が北陸地域色[31]である青一色の塗装で出場した[36]。その後、A07・A22編成も青一色の塗装で出場しているが、2012年7月現在で青一色の編成はこの3本のみに留まっている[37]

九州地区

クリーム10号の地色に青23号の帯が入った九州標準色であるが、GK-5編成は2000年ミレニアム記念として交直流急行色に変更された。こちらも60Hz電源識別用の細帯が再現されているが、北陸地区とは異なり、クハに帯が入らない初期の仕様である。 テンプレート:-

事故廃車

クハ455-45
1973年9月8日、仙山線愛子 - 陸前白沢間で上り急行「仙山」1号充当中に踏切内で立ち往生していたトラックと衝突し脱線転覆。同車は大破したため廃車となった。

保存車

クモハ455-1・モハ454-4・クハ455-2
埼玉県さいたま市大宮区[* 25]鉄道博物館で静態保存。
  • クモハ455-1は、旧国鉄色[* 26]で館内ヒストリーゾーンにて展示。
  • モハ454-4・クハ455-2は、仙台色のまま[* 27]屋外で「フレンドリートレイン」と称した休憩スペースとして利用されている。
クハ455先頭カットモデル(レプリカ)
東京都豊島区にある東京交通短期大学に設置されている。
  • もともとJR東日本の研修施設で使われていたもので、授業教材のシミュレータとして活用されているため、一般公開はされていない。また、学園祭の開催日に体験ができる。

脚注

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出典

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参考文献

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  • 福原俊一『国鉄急行電車物語』JTBパブリッシング 2006年 ISBN 4533064728
  • 『国鉄車両シリーズ2 交直流急行形電車』ジェー・アール・アール 1983年
  • 鉄道ジャーナル』1980年4月号 No.158 鉄道ジャーナル社 「急行形交直流電車」
  • 鉄道ピクトリアル電気車研究会
    • 1986年9月号 No.469 急行形交直流電車
    • 1996年4月号 No.619 455・475系電車の現状
    • 2007年4月号 No.788 451〜475系電車
    • 2014年2月号 No.886 455・475系電車
  • 『季刊j-train』イカロス出版
    • Vol.1〜5(2001〜2002年)「交直流急行形電車451〜475系 その1〜5」
  • とれいん』2006年7月号 No.379 プレス・アイゼンバーン 「東北・北陸・南九州 交直流急行形電車大全」
  • 『レイル』2007年 No.60 「交直流急行形電車の45年」
  • 鉄道ファン』2007年7月号 Vol.47 No.555 交友社 「JR車両ファイル2007」

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テンプレート:JR九州の車両リスト
  1. 1.0 1.1 『ガイドブック 最盛期の国鉄車両5』浅原信彦、2012年、ネコ・パブリッシング、p.61、ISBN 9784777006458
  2. 2.0 2.1 『ガイドブック 最盛期の国鉄車両5』浅原信彦、2012年、ネコ・パブリッシング、p.62、ISBN 9784777006458
  3. 『ガイドブック 最盛期の国鉄車両5』浅原信彦、2012年、ネコ・パブリッシング、p.69、ISBN 9784777006458
  4. 4.0 4.1 『ガイドブック 最盛期の国鉄車両5』浅原信彦、2012年、ネコ・パブリッシング、p.71、ISBN 9784777006458
  5. 『ガイドブック 最盛期の国鉄車両5』浅原信彦、2012年、ネコ・パブリッシング、p.68、ISBN 9784777006458
  6. 6.0 6.1 6.2 『ガイドブック 最盛期の国鉄車両5』浅原信彦、2012年、ネコ・パブリッシング、p.83、ISBN 9784777006458
  7. 7.0 7.1 7.2 『ガイドブック 最盛期の国鉄車両5』浅原信彦、2012年、ネコ・パブリッシング、p.90、ISBN 9784777006458
  8. 直流形ではジャンパ連結器を153系がKE57A形、165系がKE64形、互換性を持たせて制御回路は混用を可能とした。この場合、153系付随車には抑速ブレーキの制御・動作に必要な機器が搭載されていないために、165系と混結運用を行った場合でも制御回路が結線されていれば、編成全体で抑速ブレーキの使用は可能である。しかし、本系列では抑速ブレーキ制御回線を別途増設としたため451系付随車を編成に組み込んだ時点で使用不可となる(電気車研究会『鉄道ピクトリアル』 2012年10月号№987 特集165・169系電車)。
  9. テンプレート:Cite journal テンプレート:Cite journal
  10. テンプレート:Cite journal
  11. 475系6両固定運用編成の中間車が「モハ」「サハ」に - 『鉄道ファン交友社 railf.jp鉄道ニュース 2010年9月10日
  12. 【JR西】475系A20・A25編成が6輌固定編成に - 鉄道ホビダス RM News、2010年9月22日
  13. 『JR電車編成表』2011冬 交通新聞社 p.136, 351
  14. 14.0 14.1 14.2 14.3 14.4 『鉄道ピクトリアル』2014年2月号、電気車研究会、2013年、p.75
  15. 『JR電車編成表』'03夏、ジェー・アール・アール、2003年、p.143
  16. 下り「ひたち」は平停泊。翌早朝の上り「ひたち」で上野に戻るダイヤ設定であったため上野口停泊としても運用には問題がない。
  17. 「いなほ」485系化後も青森運転所(現・青森車両センター)所属の上野口停泊編成を待機させることで共通運用となる列車の正常運転を確保するシステムが採られた。詳細は国鉄485系電車#東日本地区も参照。
  18. 完全移管に先立ち6月から早期落成車と転属車によって運転されている。
  19. 歴代最速は711系電車による札幌 - 旭川間のノンストップ急行「さちかぜ」の85.5km/h。
  20. 急行運行終了時まで先頭車の貫通扉にヘッドマークを装着。
  21. 1963年4月20日 - 1964年9月30日運転の定期準急列車。
  22. 『復刻・増補 国鉄電車編成表1985年度版』ジェー・アール・アール、交通新聞社、2010年、p.64。ISBN 978-4-330-17610-9。
  23. 23.0 23.1 『復刻版 国鉄電車編成表1986.11 ダイヤ改正』ジェー・アール・アール、交通新聞社、2009年、p.71。ISBN 978-4-330-10609-0。
  24. 『鉄道ピクトリアル』2014年2月号、電気車研究会、2013年、p.78
  25. 『鉄道ピクトリアル』2014年2月号、電気車研究会、2013年、p.79
  26. 鹿児島本線では当初銀水 - 八代間で実施。
  27. 2007年8月16日18日に行われた川内・錦江湾の花火大会向け臨時列車などで実績がある。
  28. 2008年3月10日から3月31日までの間、717系と併結し415系の代走運転に充当された。475系国鉄色車,415系運用を代走 - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2008年3月18日
  29. 1984年12月21日 - 1985年4月24日にかけてクハ451 - 20・31の2両を鹿児島運転所が借り受けている。この2両は貸し出し中の1985年3月31日付で仙台運転所に転属している。
  30. 715系1000番台は当初はクリーム1号
  31. 31.0 31.1 『Bトレインショーティー JR西日本スペシャルパート5』を発売 〜待望の221系、地域色を含め計13種〜] - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2011年9月28日
  32. 「旧北陸色」の全車塗り替え前に新塗装に変更が決定した。
  33. 当初は細帯が再現されていたが、後に細帯を削除した。
  34. 【JR西】457系A13編成が国鉄急行色に - 鉄道ホビダス RM News 2013年9月25日
  35. JR西ローカル線単色に…京都=抹茶、中国=黄 - 読売新聞 2010年1月8日
  36. 475系A18編成が青一色に - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2010年2月9日
  37. 【JR西】475系A22編成が「青色」塗装で出場 - 鉄道ホビダス RM News 2012年7月12日


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