国鉄客車の車両形式

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国鉄客車の車両形式(こくてつきゃくしゃのしゃりょうけいしき)

本項目では、日本国有鉄道(国鉄)及び国鉄分割民営化により国鉄から車両を引き継いだJR各社が保有する客車形式称号の付与方法について記述する。

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客車の形式称号
(マニ24 502)
ファイル:オロハネ25 555.jpg
客車の形式称号
(オロハネ25 555)
ファイル:カヤ27 501.jpg
客車の形式称号
(カヤ27-501)

2011年現在使用されている形式称号

JR各社に現存する客車の形式称号の付け方は、国鉄で1953年昭和28年)に制定された規程を基本的に踏襲している。ただし完全に遵守している訳ではない。

  A B _ XXXX
例) オ ハフ   5 0   16
例) ス ロネ E 2 7 - 1

この内、○は車両の重量を表す記号、●は用途を表す記号、Aは車種を表す形式番号、Bは台車の構造を表す形式番号、Xは同一形式内の製造番号を表す。なお、_は空白(E26系はハイフン)を表す。

重量記号

記号 重量
(なし) 2軸車
22.5t未満
22.5t以上 27.5t未満
27.5t以上 32.5t未満
32.5t以上 37.5t未満
37.5t以上 42.5t未満
42.5t以上 47.5t未満
47.5t以上

重量記号が付されるのは、ボギー客車のみである。二軸車(及びかつての三軸車)には重量記号は付されないため、記号は用途記号のみで標記される。

  ハフ
30 オハ30 オハフ30
31 オハ31 オハフ31
32 スハ32 スハフ32
33 スハ33 オハフ33
34 オハ34 オハフ34
35 オハ35 スハフ35
36 スハ36 オハフ36

客車は機関車に牽引されることから、運用する際には常に重量を配慮する必要がある。従ってその形式記号の最初に重量記号が含まれている。用途記号が同じ同一車種(ロネ・ハネ・ハ・ニなど、ハとハフは区別する)については落成した形式順に番号を付けたため、重量記号のみが異なる形式番号(例えば、オハ35形に対するスハ35形)は存在しないのが原則であった[注 1]。例としてハとハフについて、2軸ボギー車の最初の30 - 36の形式[注 2]を表に示す。国鉄末期にはこの原則は大幅に崩れ、形式番号が同じで重量記号のみが異なる車両が大量に出現した[注 3]

ここでの「自重」とは、客車自体の重量に、定員分の乗客または規定積載量の荷物・郵便物の重量を加えたものをいう。従って、荷物車等には積載量を減らして重量クラスを落とす措置をしたものも存在する。

以下に国鉄及びJRグループでの客車重量記号を示す(多くは私鉄でも準用された)。重量記号には各クラス毎に語源がある。

記号なし

2軸の四輪客車と3軸の六輪客車。単に「ハ499」「ロ4820」(いずれも実在車号)と等級記号だけで表記する。該当車は大正時代以前の木造車のみであったが、2001年に至ってワム80000形貨車改造のハテ8000形(8001)がJR北海道に登場し、このクラス唯一の現存例となっている。

これ以降のクラスはボギー車となる。

コ級

コ=22.5t未満。「小形(こがた)」の略とされる。 明治時代のボギー客車は、ほとんどがホ級であったが、北海道炭礦鉄道の客車は、台枠台車の一部も木製であり、所属した全ての客車がコ級の小型ボギー車であった。JR化後も1両だけ車籍を有していたのが新幹線車両輸送限界測定用の試験車、コヤ90 1(1961年オロ31 104の車体を撤去して測定用の鉄骨を設置。1990年3月1日廃車)である。

ホ級

ホ=22.5t以上27.5t未満。「ボギー車→ボ→ホ」が語源という説と、「本形→ホンガタ→ホ」が語源という説がある。実際には「コ」級もボギー車である。明治末期 - 大正初期の三等用木造2軸ボギー客車である「中形基本客車」(ホハ12000形等)が代表的な例。

コ・ホ級は現存しない。

ナ級

ナ=27.5t以上32.5t未満。「中形→ナカガタ→ナ」、もしくは「並形→ナミガタ→ナ」が語源とされる。2軸ボギー車と3軸ボギー車とがあった時代に中形とされた2軸ボギー車が当初該当したと言われるが、後には軽量車両の記号となった。

大正中期の木造2軸ボギー客車である「大形基本客車」(ナハ22000形等)や戦後の軽量客車ナハ10系、特急用の20系が代表例。

ただし、20系は1970年代以降の改装で実際の車重が「オ」級に増大してしまったが、表向きの形式である「ナ」は変えず、識別符号(三角印)を付けるだけでそのまま済ませた。

ナ級はJR化後もナハフ11形(2021・2022)が車籍を有して残存していたが、1995年(平成7年)に廃車となり一度消滅した。しかし、4年後の1999年(平成11年)、JR北海道釧路運輸車両所に、イベント用としてワキ10000形から改造された「バーベキューカー」・ナハ29000形が出現したことにより復活した。

オ級

オ=32.5t以上37.5t未満。「大形→オオガタ→オ」が語源とされる。当初は木造3軸ボギー車が「大形車」として該当した(例・1912年に製作された木造展望車オテン9020形など)。昭和時代に入り鋼製車体が普及すると通常形の2軸ボギー客車が該当するクラスとなった。

12系14系24系50系など、1970年代以降に製造された国鉄客車の多くはこのクラスに該当する。

ス級

ス=37.5t以上42.5t未満。「鋼鉄車→スチールカー→ス」が語源とされるが、「凄く大きい→ス」とする説もある。1927年以降鋼製車体の客車が登場したが、3軸ボギー車については重量が著しく増大したことからこのクラスとなった。2軸ボギー車でもスハ32形スハ43形スロ60形などかなり多数の形式が該当している。

戦後に軽量構造が一般化した後は、12系14系の電源エンジン搭載車や24系の改造個室寝台車などに該当車がある。寝台特急「カシオペア」用の二階建て客車E26系もほとんどがこのクラス。

マ級

マ=42.5t以上47.5t未満。語源は英語のMaximum(極大)から「マキシマム→マ」であるという説が有力である。「ますます大きい→マ」「まことに大きい→マ」という説もある。

昭和初期の鋼製3軸ボギー客車の中でも、一部の優等車と重量荷物車が該当。戦後は「ス」級展望車・優等寝台車の冷房化改造で重量が増加し[注 4]、「マ」級が増えた。また、荷物車についても満載状態だと「マ」級に該当するものが多かった。

現在は24系の電源車や、事業用車両代用の元荷物車等の例外が少数在籍するに留まる。特殊な例としてJR西日本が保有するマイテ49形展望車がある。団体専用寝台特急「ななつ星in九州」用の客車77系は全車両がこのクラスに属している。

カ級

カ=47.5t以上。語源は、並外れて大きいという意味の「濶大(かつだい)」から「カツダイ→カ」。「限りなく大きい」、「格別に大きい」の「カ」との説もある。

電気レンジを試験搭載した食堂車のカシ36形1951年)や、改造試作荷物車のカニ38形1959年)など、初期には特殊例があるのみである。

このクラスの多数形式としては、20系24系等の電源荷物車が挙げられる。

中でも異例の重量車は20系のカニ22形である。本来のディーゼル発電機以外に、直流電化区間で発電するための電動発電機パンタグラフを搭載、荷物満載時の車重は約60t(200系新幹線と同じ重さ)に達した。この場合、軸重は機関車並みの15tで、主要幹線でしか走行できなかった。運用上不便なため、後に電動発電機とパンタグラフは撤去されている。

なお、E26系のカハフE26形は、2階建て構造の1階を電源室としているため重量50.2tであるが、ラウンジカーのため普通車扱いとなり、普通車扱いの客車としては最も重い車両となった。

また、1988年オリエント急行の客車が台車を履き替えた上でJR線上を走行した際、仮の形式称号が与えられたが、重量記号はいずれも「カ」級であった[注 5]

用途記号

用途記号は、客車の用途に応じて単独で、また合造車の場合は下記の順番で重ねて使用される。AB寝台合造車は「ロハネ」、旧一等二等寝台合造車は「イロネ」とそれぞれ標記される。また備考欄の→の左は1960年の二等級制への移行以前の等級(で示す)、右はそれから1969年のモノクラス制移行までを示す。

緩急車については記号の末尾に「フ」が加えられるが、同様の設備を有していても展望車[注 6]、郵便車・荷物車・事業用車には用いない。緩急車とは車掌室を有し、手ブレーキまたは車掌弁がある車両のことである。

記号 用途  備考
イネ 旧一等寝台車 1955年旧二等寝台車への格下げにより廃止。
ななつ星in九州」の寝台車(マイネ77・マイネフ77)で再度使用されている。
ロネ A寝台車 旧二等寝台車→一等寝台車
ハネ B寝台車 旧三等寝台車→二等寝台車
旧一等車 二等級制への移行により廃止。
移行前より残存している旧型展望車の一部に記号が使用されたままである。</br>「ななつ星in九州」のラウンジカー(マイ77)で再使用。
グリーン車 旧二等車→一等車
普通車 旧三等車→二等車
食堂車 ビュッフェ含む
病客車 現存せず。等級の区分があり、旧一等病客車は「イヘ」、
旧二等病客車は「ロヘ」で、旧三等病客車のみ「ヘ」と表記される
軍務車 太平洋戦争後の連合国軍占領時代に存在した
展望車 付属する客室の等級により旧一等展望車は「イテ」、
二等級制への移行以後の一等展望車は「ロテ」と表記される。
なお、JR北海道・ノロッコ号用には「ハテ」(普通展望車)の記号が用いられている。
郵便車
荷物車
暖房車
職用車
試験車
救援車 1953年制定
配給車

車種を表す番号

1941年に制定された称号規程では、鋼製客車の第1位(十の位)の数字は3-9と設定されたが実際には3-4が用いられ、戦後、戦災復旧客車や鋼体化客車の登場と共に範囲が広がった。1953年称号規程では1-9に広げられ、軽量客車、固定編成客車等の登場に伴って、新たな番号区分が用いられるようになった。

以下に1953年称号規程以降、規程上ではなく事実上用いられた番号区分を示す。なお、()内の車両はこの規程が制定されて後に設計・製造されたもので、設計・製造時には空番号であったものである。

形式番号 車種
1 (軽量客車) ナハ10系
2   1953年称号改正で一部使用
3 - 5 一般形客車テンプレート:Refnest スハ32系オハ35系スハ43系客車群(5は一部の使用にとどまるテンプレート:Refnest
6 鋼体化客車 60系客車群
7 戦災復旧客車 70系客車群
8 (和式客車) スロ81系
9 特殊客車  

20系固定編成客車登場以後の客車

同じく規程上ではなく事実上用いられた区分。ただし、JR化後に新製されたE26系(代用電源車カヤ27-501を除く)はこの数字の前にJR東日本の車両を示すE(Eastの頭文字)が付く。

形式番号 車種
1 分散電源方式 12系14系・14系15形
2 集中電源方式 20系24系・24系25形E26系
3・4 設定なし  
5 一般形 50系・50系51形
7 集中電源方式 77系
6・8・9 設定なし  

台車の構造を表す形式番号

ファイル:JNR-Sue-38-5-discription.jpg
3軸ボギー車スエ38形の標記。
前の丸印は、横川駅-軽井沢駅間通過対策済みを示すマーク。

1928年の形式称号規程では、0 - 6が2軸ボギー車、7 - 9が3軸ボギー車であった。現用の規程は1953年の規定改正により制定されたもので、この改正によりそれまで一位が7であった3軸ボギー客車は、形式称号が変更された。

形式番号 台車
0 - 7 2軸ボギー台車
8・9 3軸ボギー台車

同一形式内の製造番号

製造番号は、原則として製造順に1から番号が付けられるが、仕様や用途の違いによって番台区分されることがある。

この内、共通なものとして電気暖房を設備する一般形客車については、原番に2000が加えられる。電気暖房用の設備は1t強の重量があるため、設備取付けによって重量記号が上の区分に変更されることがある。こうした場合には、同じ用途で重量記号のみ異なる同形式になるような形式数字は付与しないとの原則(前述)に則り、別の形式数字が付与される。そのため、本来同形のものであっても、電気暖房設備の有無によって形式が分かれる(例えば、オロ35形(電気暖房無し)とスロ43形(電気暖房付き)等)ことがある。

木造・雑形客車等の形式番号

2軸車・3軸車、大正期の制式木造客車や、私鉄の買収によって国鉄籍を得た客車は、1928年に制定された称号規程による形式番号が、1941年鋼製客車に独自の称号規程が制定された後も、改称されることはなかった。その後1953年の規程改正で変更が行われた。

1953年規程改正後は、2軸車は10 - 999(3軸車は除外)、雑形2軸ボギー車は1000 - 7999、雑形3軸ボギー車は8000 - 9999、中形2軸ボギー車は10000 - 17999、中形3軸ボギー車は18000 - 19999、大形2軸ボギー車は20000 - 27999、大形3軸ボギー車は28000 - 29999とされた。即ち台車による千位の数字での区分は0 - 7が2軸ボギー車、8、9が3軸ボギー車である。なお改番過程で鋼製雑形(当時あった貨車改造の軍務車、買収私鉄から引き継いだ客車等[1])は1000 - 2999にまとめ、営業用を2599以下、事業用を2600以上とした。また木造事業用客車についても各区分ごとにヤ・エ・ルの種別と重量記号によって小区分した番号を付けた[2]

この範疇に属する客車はナエ2700が1971年6月11日に廃車されて消滅したテンプレート:Refnest。その後貨車の改造により再度JR北海道にこの範疇の車両が現存しているが、番号の付与体系についてはこの規定に全く則っていない。

規程の歴史

客車の形式変更に関わる規定の主な歴史、改正をまとめると次の通りである。なお1953年規程より前は四輪・六輪等であるものも2軸・3軸と記す[3]

明治期

  • 車種を表す記号は明治20年代末から用いられたと考えられる。1898年(明治31年)刊の『日本鉄道紀要』の客車の写真では、車体に「い」(上等車)、「ろ」(中等車)、「は」(下等車)などのひらがな記号がみられる。
  • 1900年(明治33年)に「客貨車検査及修理心得」が制定され、正式に定められた客車の記号と車種の名称は次の表に示す通りである[4]
明治33年制定の客車の記号及び名称
ボギー車 2軸車
記号 名称 記号 名称
ニボ 1・2等合造ボギー客車 1等客車
ロボ 2等ボギー客車 2等客車
ホボ 2・3等合造ボギー客車 3等客車
ハボ 3等ボギー客車 1・2等合造客車
ヨブボ 2・3等手荷物緩急合造ボギー客車 2・3等合造客車
ハブボ 3等手荷物緩急合造ボギー客車 2・3等緩急合造客車
ハユボ 3等郵便緩急合造ボギー客車 ヨユブ 2等郵便緩急合造客車
ブボ 手荷物緩急ボギー車 ハブ 3等緩急合造客車
ユボ 郵便緩急ボギー車 ハユ 3等郵便合造客車
ユブボ 郵便手荷物緩急合造ボギー車 ハユブ 3等郵便緩急合造客車
ネボ 寝台車 ヨブ 局用車(2等緩急)
食堂車 ユブ 郵便緩急合造車
  ユセ 郵便車
手荷物緩急車

テンプレート:-

1911年称号規程

  • 1911年(明治44年)1月16日付達第20号により制定された車両称号規程では客車の番号は形式別ではなく、一連の番号で付けており、番号だけでその形式を知ることができる。形式は、一連で付される同一形式車の最初の番号をとることとされ(従って一の位が0の形式の車番は0から始まる)、車両の重量(換算両数)を表す記号(ボギー車のみ)と用途(等級等)を表す記号が併せて標記される。ただし同形式が予想以上に増備されると空き番がなくなる恐れがあった。
  • したがって客車の形式は、1941年称号規程で鋼製客車について改訂される以前は、厳密には番号のみで表される。しかし実際には分かりやすさのために記号を前に付けた形で呼ばれることが多く、以下でもそれに従う。
  • 現在と異なる用途の記号は、特別車=トク、試験車=ケンなど。また電車=デ、気動車=ジ(自動からテンプレート:Refnest。)も客車の内に含まれた(ただし電車・気動車共に後ろにイロハの等級を付けない)。ボギー車の重量記号は、コ・ホ・ナ・オ・スのみで、積車換算両数から決められた。
  • 当初は2軸車が1 - 4499、準客車が4500 - 4899、3軸車が4900 - 4999、ボギー車が5000 - 9999となるように考えられたが、後に数回にわたって改訂が行われた[5]
  • ボギー車については、結局次の表のように番号が割り当てられた。1912年特急用客車の製造の際に4桁に収まりきらず10000番台を使用したこと、客車・電車の増加分に15000 - を使用したこと、また1918年(大正7年)以降に長軸ボギー台車をはいた客車に20000番台を割り当てたことなどにより、使用範囲が拡大した[6]テンプレート:Refnest
ボギー客車形式番号表
  長軸以前 長軸以降
割当番号 車種 割当番号 車種
2軸ボギー客車 5000 - 特別車、寝台車、食堂車 20000 - 特別車、1等寝台、1・2等寝台車
5100 - 1・2等車 20500 - 2等寝台、2等寝台緩急車
5200 - 2等、2等緩急車 20800 - 食堂車
5700 - 2・3等、2・3等緩急車 20900 - 1等食堂、2等食堂
6000 - 1等病客、2等病客車 21000 - 1等、1等緩急車
6100 - 電車(2等、2・3等、3等) 21100 - 1・2等、1・2等緩急車
6400 - 電車(付随車、荷物合造車) 21600 - 2等車
6500 - 3等車 22100 - 2等緩急車
7400 - 3等緩急車 22300 - 2・3等、2・3等緩急車、2等病客車
8000 - 3等郵便、3等郵便緩急車 23100 - 電車(2等、3等)
8200 - 3等郵便荷物車 23600 - 電車(付随車、荷物合造車)
8300 - 3等荷物車 23900 - 3等車
8500 - 郵便、郵便緩急、郵便荷物車 25200 - 3等緩急車
8800 - 荷物 26000 - 3等郵便、3等郵便緩急車
    26600 - 3等郵便荷物、3等荷物車
    27400 - 郵便、郵便緩急車
    27500 - 郵便荷物車
    27700 - 荷物車
3軸ボギー客車 9000 - 特別、寝台、食堂、その合造、1等食堂車 28000 - 特別車
9200 - 2等食堂、1等、2等、1・2等車 28200 - 1等寝台
9300 - 2等、2等緩急車 28400 - 1・2等寝台、2等寝台、2等寝台緩急車
9400 - 2・3等、2・3等緩急車 28600 - 1・2等食堂、食堂
9500 - 3等、3等緩急車 28800 - 1等、1等緩急、1・2等、1・2等緩急車
9700 - 3等郵便、3等荷物車 29000 - 2等、2等緩急、2・3等、2・3等緩急車
9900 - 郵物荷物・荷物車 29300 - 3等、3等緩急車
10000 - 1等寝台、2等寝台、食堂車 29700 - 3等荷物、3等郵便、郵便車
    29900 - 郵便荷物、荷物車
2軸ボギー客車 15000 - 客車(5000 - 8999の増加分)    
16100 - 電車(〃)    
16500 - 客車(〃)    
  • 1927年(昭和2年)の鋼製客車(当時のオハ44400形の系列、後のオハ31系)の登場にあたっては、空き番号の40000番台テンプレート:Refnestが割り当てられた。ただし千位以下の数字で形式を区分する方式は20000番台と同様であるテンプレート:Refnest

1913年改正

  • 1913年(大正2年)4月22日付達第301号により、換算両数の算出方法が変更され[7]、車種によって細かく換算両数を規定し、6月1日から実施された。また同日付達第302号により、ボギー車の重量記号を、従来の積車換算でなく積車と空車の換算両数の組み合わせで決めることになった。車両により積車換算は空車換算に+1のものと+0.5のものとあったが、結局は空車2.0未満、2.0、2.5、3.0、3.5以上にコ・ホ・ナ・オ・スをつけることになる。なお「ホ」には「寝台車にはこの文字を冠せず」との規定がある。この時の改正により例えば重量記号が「ホ」から「ナ」に変更されたものなどが多くある。

1924年改正

ボギー客車重量記号
積車 空車 記号
4.5 3.5
4.0 3.5
3.5 3.0
3.0 2.5
2.5 2.0
(寝台車にはこの文字
を冠せず)
2.0以下 -
  • 1924年(大正13年)9月17日達655号で客貨車換算法が改正され、11月1日から施行された[8]。これと同時に達654号で車両称号規程が改正され、重量記号が右の表のように改正された[9]。換算両数改訂により重量記号が例えば「ホ」から「ナ」に変更されたものなどがあり、この場合寝台車では右の「ホ」の項目の注記により重量記号がなかったものに新たに冠せられることもあった。

1928年称号規程

  • 1928年(昭和3年)5月17日付達第380号(10月1日施行)[10]により、ボギー客車を構造に応じ、雑形、中形(従来基本形と呼んだ明治43年制定の形のもの)、大形(大正8年以降の幅2800mmのもの)、鋼製に区分、また車輪配置を2軸、3軸、2軸ボギー、3軸ボギーと分けた。番号は2軸車及び雑形2軸ボギー車は1 - 6999、3軸車及び雑形3軸ボギー車は7000 - 9999、中形ボギー車は10000 - 19999、大形ボギー車は20000 - 29999、鋼製ボギー車は30000 - 39999とされた。台車による区分については、千位の数字で区別され、0 - 6が2軸ボギー車、7 - 9が3軸ボギー車。
  • 重量記号は現行同様、コ・ホ・ナ・オ・ス・マ・カと定めて、積車重量によることとされた。
  • 電車はこのとき客車から区別されることになった。国鉄旧形電車の車両形式参照。
  • 上記のオハ44400形の系列については、30000番台に改番された。
  • 1934年(昭和9年)2月3日付達第45号により、鋼製ボギー客車に40000 - 49999が追加された。

1941年称号規程

  • 1941年11月4日達639号(10月1日施行)により、その他の客車から区別して鋼製客車に独自の称号規程が制定された。これにより、形式はオハ等の記号と、2桁の数字(形式番号)で表され、その後に製造番号を1から付番するという現在のような方式になった。形式番号は30 - 99とし、第2位(一の位)の数字0 - 6が2軸ボギー車、7 - 9が3軸ボギー車を表す。そして車種別(ロネ・ハ・ハフ等)ごとに落成順に形式を付ける。ただし実際には鋼製2軸ボギー車には30 - 36、40 - 46、3軸ボギー車には37 - 39、47 - 49を当てた[11]。また形式番号と製造番号の間の空白はないため、オハ351、スハ32600のような標記となる。
  • なおこのときスハ33650形→オハ35形など、重量記号の変更も多数生じているが、例えばオハ35形でいえば実は製造時から重量としては級だったがスハとしていたものについて、重量記号の改正が同時に行われたものである。詳細は当該項目参照。
  • 暖房車は雑形に分類されたままであったが、1949年7月24日国鉄作47号で鋼製2軸ボギー客車として扱うことになり、改番されたテンプレート:Refnest
  • 1942年に、輸送量の増大に伴い、7月30日達423号により車両換算法が改正され、客貨車と機関車の換算法が統一されたが、主に貨車の輸送改善に関わる[12]

1949年車両換算法改正

  • 1949年6月11日(鉄道公報通達)の車両換算法の改正により、進駐軍接収車を中心に若干の車種の重量記号が改められた[13]

1953年称号規程

  • 1953年4月8日達225号(6月1日施行)の車両称号規程では、ボギー客車を、鋼製20メートル、鋼製17メートル、鋼製雑形、木製に分類した。木製は必要に応じ、さらに大形、中形、雑形に分ける。
  • 形式番号は10 - 99とし、形式番号第2位の数字による台車の区分を、3軸の減少傾向から7を2軸ボギーに譲り、その位が7であった3軸ボギー客車は、形式称号が変更された。
  • 木造ボギー客車の台車による千位の数字での区分も上と同様に変更した。詳細は上記木造・雑形客車等の形式番号を参照。
  • 前々項により形式番号37の車輌は二重屋根の車を含むものが多い[注 7]ので原則29に変更し、その中で丸屋根のものは番号を100番台とした。一方全て丸屋根の形式は38に変更した(マロネロ37→38等)[2]
  • 車輌換算法の改正で、冷房付きの車は夏季冷房期間中は一様に重量記号の表す換算両数に0.5を加算して扱う[注 8]ことになるので(これ以前は車種により1を加算するものと0.5を加算するものがあった)、夏季に冷房を取り付けることになっている車両の形式はに統一した。これによりの場合同形式中でも冷房取り付けの有無により形式を変え、スシ37は冷房付をマシ29に(前項の適用)、他をスシ28(同例外)に変更した[2]
  • 事業用車中、救援車と配給車を区分した。
  • 広義の「客車」の中に「気動車」という分類を設けることとした[2]
  • この前年から車体に記す形式番号と製造番号の数字の間に半区割の空白を空けることとした[14]

1955年改正

  • 1955年(昭和30年)7月1日に利用率の悪い1等寝台が廃止され、2等寝台車に格下げされたため該当の客車は「イネ」であったものが「ロネ」となった。
  • 1956年2月22日達95号の車両称号規程改正では、これまで広義の「客車」の中に狭義の「客車」・「電車」・「気動車」を置いていたが、広義の大分類を「旅客車」と改めた[15]

1960年改正

  • 国鉄の等級制の整理が行われ1等(イ・定期使用では展望車のみ)を廃止、従来の2等(ロ)を1等に、従来の3等(ハ)を2等に変更して2等級制となったが、そのまま1等を「ロ」・2等を「ハ」として移行したためほとんどの車種については記号の変更がなかった。ただし旧1等(イ)はこれに伴い新たな1等(ロ)に格下げされたためスイテ→スロテ等の変更が行われた。なお当時残っていた旧1等車についてはこちらを参照。

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脚注

注釈

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出典

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参考文献

星晃「車両称号規定の改正に伴う客車の改番について」(初出:『鉄道ピクトリアル』1953年5-6月号 No.22-23) pp.74-79。
星晃「鋼体化客車60シリーズ」(初出:『鉄道ピクトリアル』1952年8月号 No.13) p.40-43。
  • 車両史編さん会『国鉄鋼製客車史』 「オハ31形の一族」上巻。
  • 日本国有鉄道『日本国有鉄道百年史』(『百年史』と略す)。
  • 岡田誠一『国鉄暖房車のすべて』ネコ・パブリッシング 2003年。(『国鉄暖房車』と略す)。
  • 川上幸義『新日本鉄道史』(上・下)鉄道図書刊行会 1967年。
  • 藤田吾郎『鋼製雑形客車のすべて』ネコ・パブリッシング 2007年 (『鋼製雑形客車』と略す)。
  • 湯口徹『日本の蒸気動車』ネコ・パブリッシング 2008年。

関連項目


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  1. 『鋼製雑形客車』参照。
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 星晃「車両称号規定の改正に伴う客車の改番について」。
  3. 以下本節の記述は特記以外「オハ31形の一族」上巻 p.62-73による。
  4. この他に客車の分類には車運車「キ」、馬匹車「ム」が含まれていた。『百年史』4巻 p.133
  5. 川上、上巻 p.121。
  6. 『百年史』6巻 p.308の表を元にしたが左欄が「雑形」右欄が「基本形」とあるのを、川上、上巻 p.121により、修正すると共に、改訂経緯を記述。
  7. 『百年史』5巻 pp.593-594。
  8. 1919年(大正8年)1月30日達46号で、1913年(大正2年)達第301号が廃止され改正されたものの改正。
  9. 鉄道公報』大正13年9月17日。なおこの頃はまだ積車・空車を盈車・空車と呼び表も盈・空で書かれているが現行に揃える。またこの表における重量記号の呼び方は「冠字」である。
  10. 『最新客貨車関係法規便覧』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
  11. 『百年史』11巻 p.700。なお10 - 29をこのとき使わなかったのは、10000・20000番台の木造客車がまだ多数在籍していたので混乱を避けるため。
  12. 『百年史』11巻 pp.238-239
  13. 『鋼製雑形客車』p.29。
  14. 星晃「鋼体化客車60シリーズ」。
  15. 『国鉄客車1950』p.7。