国鉄キハ38形気動車

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ファイル:JRE-Kiha38 2-KururiLine.jpg
国鉄キハ38形気動車「久留里線色」、横田駅にて撮影。

キハ38形は、日本国有鉄道(国鉄)が製造した通勤形気動車である。

1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化後は、全車が東日本旅客鉄道(JR東日本)に承継されたが同社からは既に形式消滅し、現在は1両のみが水島臨海鉄道に譲渡され在籍する。

製造の経緯

八高線で使用されていたキハ35系気動車1960年代初頭に製造されたもので、初期製造グループは既に製造後25年近くを経過しており、老朽化が深刻となりつつあった。また、周囲の電化線区の冷房化が進み、非冷房の同系列をそのまま使用し続けることは、サービス政策上望ましくなく、冷房車の八高線への導入が必要であると判断された。

そこで、キハ35系のうち特に状態の悪いものの置き換えを目的として、1986年(昭和61年)から1987年にかけてキハ35形の改造名義により7両が各地の国鉄工場(大宮工場郡山工場長野工場幡生車両所鷹取工場)で製造[1]され、台車や変速機などの主要機器にキハ35形からの発生部品を流用し、合わせてバス用の部品を多用することで軽量化と製造コスト抑制を図っている。

トイレ付きの0番台[2]が4両、トイレなしの1000番台が3両の計7両が製造された。いずれも片運転台であるため、最小運行単位は2両となる。

番号の新旧対照は、次のとおりである。

形式 改造後 改造前 製造所
0番台 キハ38 1 キハ35 152 大宮工場
キハ38 2 キハ35 161 郡山工場
キハ38 3 キハ35 513 大宮工場
キハ38 4 キハ35 515 大宮工場
形式 改造後 改造前 製造所
1000番台 キハ38 1001 キハ35 153 長野工場
キハ38 1002 キハ35 201 幡生車両所
キハ38 1003 キハ35 516 鷹取工場

構造

車体

朝夕のラッシュ時に対応する必要があったことから、通勤形気動車として設計されたキハ35系の扉配置が踏襲されている。このため、キハ35系と同じく前面貫通形で、側面に3か所の両開き扉を備える普通鋼製車体であるが、車体構造は1983年(昭和58年)に製造されたキハ37形の設計を基本としており、車体長は19.5m、車体幅は2.8mである。

側面の扉はキハ35系と同じくステップ付きで自動・半自動(押ボタンによる開閉操作)の切り替えが可能な構造であるが、キハ35系の外観上の特徴であった外吊り戸は車体との隙間が大きく冬期に車内の保温性が悪いことと、車体強度の上で問題ないと判断されたことから本形式では廃止され、戸袋を備える通常の両開き扉となっている。そのため、キハ35系に比べすっきりとした外見となったが、縦型機関搭載のキハ37形の構造をそのまま流用したため、新型の横型機関を搭載しているにもかかわらず、床面高さが高く腰高な印象となっている。側面窓はバス用のユニット窓(上段下降下段上昇式)を使用し、戸袋窓は廃止している。

前面には、前照灯尾灯がケーシング中に水平に並べて配置されており、当時流行のブラックフェイス化[3]もあってその印象はまったく異なったものとなった。

車体塗装はクリーム10号地に赤・黒帯とされた。

車内

キハ35系と同様、全席ロングシートで、1席ずつ区分されたバケットシートとなっている。ただし0番台のトイレ向かい側の座席のみ、横向きのボックスシートである。

本形式では新製時より冷房装置を搭載している。急行形気動車や快速形として製造されたキハ66・67形を別にすれば、国鉄の一般形気動車としては初である。冷房装置はこれらと異なり、2階建てバス用の冷房システムを流用したサブエンジン方式のAU34を搭載している。冷却能力は26,000kcal/hで、通勤用車両としては若干能力が不足気味となっているため、扇風機も併設している。ただし扇風機は車両ごとの一括制御で、乗客が操作することはできない。

暖房装置はキハ37形などと同様の温風暖房である。

主要機器

走行用機関としては、キハ37形のDMF13Sを横型とした新潟鐵工所製のDMF13HS(250PS/1,900rpm) 過給器付き直噴式ディーゼルエンジン1基を搭載している。従来のDMH17系DMF15HS系などに比べ小型、軽量、高出力、低燃費で、始動性や整備性にも優れている。

液体変速機は、キハ35形からの発生品である、神鋼造機TC-2Aおよび新潟コンバータDF115Aで、エンジン出力の向上に対応して、トルクコンバータクラッチ回りに改良が施されている。

台車についても、キハ35形からの発生品であるDT22C(動台車)・TR51B(付随台車)が流用されている。

運用

ファイル:JRE-DC38-Hachiko.jpg
八高線色の頃のキハ38 2 群馬藤岡駅 - 北藤岡駅間にて

当初は高崎第一機関区(→高崎運転所)に配置され、八高線に投入されたが、民営化後の1996年(平成8年)に八王子 - 高麗川間が電化され、非電化区間は高麗川 - 倉賀野間のみとなったのと同時に、同区間では新造気動車となるキハ110系が導入され、本形式は久留里線に転用された。転用当初は他のキハ30形、キハ37形と同様に旧久留里線色[4]に塗装されていたが、1999年(平成11年)にキハ37形と同様、現行の塗装に変更された。

定期運用終了時、全ての車両が幕張車両センター木更津派出に所属していた。

2012年12月1日をもって、久留里線の本形式は、キハE130形100番台により置き換えられ、定期運用を終了した[5][6][7]

2013年7月10日、水島臨海鉄道は久留里線で運用されていたキハ30形気動車2両、キハ37形気動車3両とともに本形式を1両JR東日本から購入し、リフレッシュ工事を行った上で2014年3月から運行開始すると発表したが[1][2]、正式に5月12日より運転開始した[8]。2014年3月改正ダイヤでは三菱自工前-倉敷市間を朝と夕方2往復ずつ運行している。[9]


保存車

脚注

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参考文献

外部リンク

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  1. コストダウンと共に、国鉄工場の技術力維持が目的とされた。
  2. ただし、久留里線移籍時にトイレは閉鎖されている。
  3. 201系電車等に採用された、前面窓回りにジンカート処理を施した黒い外板を採用することで窓寸法を実際より大きく見せるデザイン処理。
  4. クリーム地に青のストライプを施した、東京湾アクアラインをイメージしたもの。
  5. テンプレート:PDFlink - 東日本旅客鉄道プレスリリース 2011年12月15日
  6. 久留里線でキハ30・キハ37・キハ38の運転終了 - 交友社鉄道ファン』railf.jp鉄道ニュース 2012年12月1日
  7. 【JR東】久留里線のキハ30形・キハ37形・キハ38形 運転終了 - 鉄道ホビダス ネコ・パブリッシング RMニュース 2012年12月3日
  8. 「キハ37、38、30形式」の運転開始について - 水島臨海鉄道ホームページ 2014年4月14日
  9. キハ37,38,30形式で運行となる列車時刻