国道58号

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テンプレート:参照方法 テンプレート:Pathnav テンプレート:Infobox road 国道58号(こくどう58ごう)は、鹿児島県鹿児島市から沖縄県那覇市へ至る一般国道である。途中、種子島奄美大島を経て、沖縄本島に達する(一部区間、大宜味村宮城島を通過)。大部分を占める海上区間を含めた総距離としては日本最長の国道であったが、2013年4月1日現在、国道4号に次いで2位である。

鹿児島市内では700m程だが『朝日通り』の愛称がある。沖縄県では「沖縄の大動脈・国道58号」などと称されているが、種子島、奄美大島のそれぞれの区間においても交通の大動脈である。

九州・沖縄を通じて交通量がもっとも多い国道である。平成17年度道路交通センサスによる平日24時間交通量は、沖縄県浦添市勢理客で81,255台/日であり、九州・沖縄で第1位であった。ちなみに、第2位は国道202号長崎県長崎市大黒町長崎駅前(76,346台/日),第3位は国道3号福岡県糟屋郡新宮町大字三代(70,372台/日)である。

沖縄県内では、主に若者の間で「ゴーパチ」などと呼ばれている。また沖縄県内で唯一の片側3車線道路(明治橋 - 嘉手納交差点付近の区間)である。

毎年10月に開催される那覇まつりのメインイベントである那覇大綱挽は、那覇市久茂地交差点付近で、可動式の中央分離帯を撤去した上で行われる。

概要

歴史

ファイル:Kokudo58 01.jpg
沖縄県内での起点・国頭村奥にある記念碑。本土復帰した1972年に一般国道への指定を記念して建立された。

国道58号の沖縄県内部分は、米軍が整備・指定したHighway No.1(那覇市 - 国頭村)がその起源となる[1]。この道路は那覇軍港普天間基地嘉手納基地などを繋ぐ、基地の島・沖縄の大動脈であり、当時は緊急時の滑走路としての利用も考えられて作られていた。1952年4月1日琉球政府発足後、琉球政府の道路法に基づき、読谷村大湾 - 名護町名護 - 国頭村奥は政府道一号線(政府道は日本の国道に相当)に認定されたが、那覇市明治橋 - 読谷村大湾は米軍が管理する軍道のままであった。なおこの時期は舗装はなされていたものの、歩道などの付属設備等はそれほど進んでいなかった。読谷村 - 名護町についても、政府道にはなっていたが、管理は米軍が行っていた。1972年4月25日、軍道の管理が琉球政府に移管された。以下に述べるように国道58号となった後も沖縄県内では一般には時に1号線と呼ばれた。

その年の5月15日沖縄返還と同時に、政府道一号線を含む鹿児島県鹿児島市から沖縄県那覇市までの区間が一般国道58号に指定された。1965年に国道の一級・二級の別がなくなり、以降新設される国道には三桁(272号以降)の路線名が与えられていた。その後に新設された一般国道58号は、特例として二桁の路線名が付与されたものである。ゆえに、一級国道であったことはない。

この後、莫大な予算が投下され、読谷村から名護市にかけての山裾、海岸沿いの連続するカーブ[2]や勾配なども多くが改められ、現在に至る。2010年現在、那覇市明治橋から旧嘉手納ロータリーの区間は片側3車線の道路となっている。

通過する自治体

接続路線

ファイル:Route 58 Chuokouminkanmae intersection.jpg
起点・中央公民館前交差点(鹿児島市)
ファイル:5cmcos004.jpg
種子島区間(中種子町役場付近)

鹿児島県区間

鹿児島市内区間

種子島区間

奄美大島区間

沖縄県区間

ファイル:Route58 Ja Kunigami Oku.JPG
沖縄本島起点・奥橋(国頭村)
ファイル:Shioya Bridge.jpg
塩屋大橋(大宜味村)
ファイル:Route 58, Kadena.jpg
上空を飛行する米軍戦闘機(嘉手納町)

重複区間

バイパス

別名

  • 国頭方西街道
琉球王朝時代の同街道にほぼ沿っている。ただし、恩納村山田-読谷村伊良皆および浦添市牧港以南は県道指定など別ルートである。
  • ゴーパチ・ゴッパチ・ゴッパー・ゴーハチ・58号線・1号線。

主な峠

道の駅

国道58号にまつわるエピソード

  • 国頭村内を通る「宜名真トンネル」は、1983年昭和58年)の完成を期して計画され、同年3月に完成した。「国道58号の中に昭和58年にできるトンネル」とあって、計画当時、関係者から「この際だから『58づくし』にしようではないか」という提案がなされ、当初「全長1058m」となるように計画・設計していた。ところがその後、工事関係者等の手違いにより、実際には当初計画より13m短い全長1045mのトンネルとして完成してしまった、というエピソードが残されているテンプレート:要出典
  • 沖縄県出身のインディーズバンド「かりゆし58」の58は、この国道58号からとられている(「かりゆし」とは縁起のいいと言う意味の方言。バンドはインディーズとしては異例の日本有線大賞新人賞を受賞している)。
  • 沖縄県出身のハードロックバンドのアルバム「PURPLESSENCE」の中に、「58」という国道58号をモチーフにした曲がある。
  • 日本のほぼ全てでは(すね)を「弁慶の泣き所」というのに対し、沖縄地区の一部では「一号線」という。この由来は国道58号の本土復帰前のHighway No.1となっている。
  • 国道58号を取り上げたドキュメンタリー番組として『鹿児島放送開局30周年記念番組 海の道が結ぶ自然遺産~屋久島・奄美大島 奇跡の島々へ〜』(2013年1月27日、鹿児島放送制作、テレビ朝日系列)がある[3]

脚注

テンプレート:Reflist

参考文献

  • 『沖縄 自動車ものがたり』(1906 - 2002) 沖縄トヨタ自動車株式会社 2002年3月 (沖縄県那覇市立図書館蔵書) p.66「1号線から国道58号へ」 主に沖縄県の本土復帰後、58号線の改善について。
  • 『やんばる国道物語』 北部国道事務所 2005年3月

関連項目

外部リンク

テンプレート:Sister

テンプレート:Asboxテンプレート:国道58号
  1. 『やんばる国道物語』 p.70
  2. 許田と名護の間は「名護の七曲がり」と称され、8km内に40以上のカーブが続くつづら折れの道であった。
  3. テンプレート:Cite web