名鉄高富線

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|} 高富線(たかとみせん)とは、岐阜県岐阜市長良北町駅から、同県山県市(営業当時は山県郡高富町)の境界近くにあった高富駅までを結んでいた名古屋鉄道(名鉄)の鉄道路線。長良軽便鉄道により開通した。 岐阜市内線との直通運転も行われていた。乗客数が多く、バスよりも鉄道の方が輸送力が小さかったためバス転換された。そのため、同じ会社の起線と同じくして、乗客数が多かったことによる廃線であり、珍しいケースといえる。

路線データ

  • 路線距離(営業キロ):5.1km
  • 軌間:1067mm
  • 駅数:8駅(起終点駅含む)
  • 複線区間:なし(全線単線)
  • 電化区間:全線(直流600V)

歴史

  • 1912年(明治45年)3月30日 長良軽便鉄道に対し鉄道免許状下付(稲葉郡長良村-山県郡高富町間)[1]
  • 1913年(大正2年)12月25日 長良軽便鉄道[2]が長良(のちの長良北町) - 高富間を木製単車1-4[3]で開業[4]
  • 1915年(大正4年)11月20日 美濃電気軌道の長良橋 - 長良北町間が開業。長良軽便鉄道と接続
  • 1920年(大正9年)9月 美濃電気軌道が長良軽便鉄道を合併
  • 1930年(昭和5年)8月20日 名古屋鉄道が美濃電気軌道を合併。高富線となる
  • 1930年(昭和5年)9月5日 名古屋鉄道が名岐鉄道に社名変更
  • 1935年(昭和10年)8月1日 名岐鉄道が名古屋鉄道に社名変更
  • 1935年-1937年頃 戸羽川駅を下岩崎駅に、継子渕駅を戸羽川駅に改称[5]
  • 1938年(昭和13年)3月16日 戸羽川 - 三田洞間の上岩崎駅廃止
  • 1949年(昭和24年)12月1日 1944年(昭和19年)から休止していた粟野駅営業再開
  • 1960年(昭和35年)4月22日 全線廃止し、バスに転換

駅一覧

長良北町駅 - 高見駅 - 下岩崎駅 - 戸羽川駅 - 上岩崎駅 - 三田洞駅 - 粟野駅 - 高富駅

接続路線

脚注および参考文献

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関連項目

テンプレート:名古屋鉄道路線

  1. 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1912年4月2日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  2. 『日本全国諸会社役員録. 第23回』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
  3. 合併し美濃電D51-54となるが全車1924年岡山電軌に売却。清水武『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』ネコパブリッシング、2010年、21頁
  4. 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1914年1月12日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. 今尾 (2008) p. 53