名鉄モ600形電車 (2代)

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モ600形604(新関駅)

名鉄モ600形電車(めいてつモ600がたでんしゃ)は、かつて名古屋鉄道(名鉄)に在籍していた電車美濃町線の列車を新岐阜(現・名鉄岐阜)へ直通運転させるため1970年昭和45年)に日本車輌製造で新製された複電圧車両である。

登場に至る経緯

1967年(昭和42年)に600V線区の軌道線車両の検査を受け持っていた岐阜工場(岐阜検車区)が岐阜市市ノ坪町に移転したことに伴い、美濃町線競輪場前付近より分岐する引込線が新設された。新工場は各務原線沿線に位置していたことから、この引込線を延長して各務原線と直結させ[1]、美濃町線方面から各務原線経由で新岐阜へ直通する列車の設定が計画された。美濃町線と各務原線では架線電圧・車両規格等が異なるため[2]、それに対応する車両が必要となったことから新製されたのが本形式である。

直通列車の運行は1970年(昭和45年)6月より開始された。従来、美濃町線沿線より名古屋方面へ向かうには、徹明町経由で新岐阜駅前まで乗車する必要があったが、この直通列車新設により同方面へのアクセスは飛躍的に向上することとなった。

車両概要

車体

鉄道線・軌道線両区間を走行可能とするという厳しい制約の中で設計された本形式であるが、その外観は「馬面電車」とあだ名されたように車体両端を大きく絞り込んだ非常に特徴的なものである。これは徹明町交差点の通過を可能とするための対策であり[3]、軌道線内の車両限界に適合させるため2,236mmに抑えられた全幅も相まって、全長14,890mmという数値以上に細長い印象を与えるものであった。 正面は貫通構造となっており、貫通扉下部には渡り板が装備されている。前照灯は正面上部左右に2個装備され、2個の前照灯間には行先表示窓が設置されたのが目新しかったが、行先表示幕は装備されず、もっぱら正面中央窓下に設置されたブックタイプの行先表示板を使用しており、結局廃車まで行先表示幕は整備されることなく白色の飾り窓のような状態のままで終わった。

客用扉は2枚重ね引き扉タイプのものを採用し、車端部乗務員窓手前に設けられた戸袋に引き込む形とした。車内客用扉部分にはステップが設けられた他、軌道区間では電停であっても安全地帯のない路面からの乗降となる場合もあることから客用扉直下に折り畳み式可動ステップが設置されている。これらの構造により各務原線区間では一般のホームが使用できず、停車駅の新岐阜駅(当時)・田神駅では専用ホームが設置された。側窓は運転台横の乗務員窓が一段下降窓、客用窓が一段上昇窓とされ、客用窓外側には保護棒が設置された。窓配置は1D343D1(D:客用扉)である。車内はオール転換クロスシート仕様とされたが、車体幅の関係から通路幅を確保するため、2人掛けシートと1人掛けシートを組み合わせて車内中央を境に2人掛けシートと1人掛けシートの配列が左右逆転する配置とされた。また、軌道線を走行する車両では初めて車内扇風機が設置されている。

なお、車体塗装は当初スカーレットに白帯を巻いたものとされたが、後年白帯を廃しスカーレット一色塗装に改められている。

主要機器

目新しい仕様が数多く取り入れられた車体とは対照的に、主要機器は従来車との互換性確保と製造コスト削減を目して旧態依然としたものが搭載された。制御器は電磁単位スイッチ式手動加速制御(HL)のHL-480F型、主電動機は東洋電機製造製TDK516E型[4]、台車はモ601 - 602がボールドウィン社製42-84-MCB1釣り合い梁式台車、モ603 - 606が日本車輌製D12型釣り合い梁式台車で、いずれも従来車からの発生品で占められている[5]。その他、低圧電源供給用に電動発電機を搭載し、これは当時の600V線区用車両では唯一であった。また、連結運転に対応するため正面には電気連結器密着自動連結器を装備した。なお、当初モ601 - 602は主電動機を4基搭載しており、それ以外の4両は2基搭載とされた。

本形式の複電圧機構は、主要機器が600V仕様であったことから600V区間はそのままの仕様で走行し、1500V区間では架線から取り入れた電圧に抵抗器を挿入し600Vに降圧した上で主回路に流すという、非常に原始的な方式とされた。この方式では従来の機器が昇圧対策を講じることなくそのまま使用可能であり、製造コストを抑制できるが、反面効率の面では見劣りすることと[6]、何より走行用と架線電圧降圧用の二種類の抵抗器を搭載しなければならず、車体長14m弱の本形式の床下に収めることは不可能であった[7]。そのため、抵抗器は全て屋根上に搭載されることとなり、その外箱形状から外観上冷房装置を搭載しているかのような体をなしていた。

これら工夫を凝らした設計や高級な車内仕様、そして当時衰退の一途を辿っていた路面電車用車両として久方ぶりの新型車両であるということが評価され、本形式は1971年(昭和46年)に鉄道友の会よりローレル賞を受賞している。

その後の経緯

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登場当時の塗装に復元されたモ606

当初は新岐阜への直通列車に充当できる車両が本形式のみであったことから、本形式は新岐阜発着運用に就くことが常であった。直通運転開始当初は急行運転も行っており、多客時には2両編成での運転も行われ、これらは本形式の独擅場であった。なお、1975年(昭和50年)のダイヤ改正時に急行列車は廃止されて普通列車のみの運行となり、また乗客減等の理由から後年連結運転は見られなくなった。

複電圧対応の後継形式モ880形が登場した後も、本形式はそれらとともに新岐阜直通列車の主力として使用された。その間、標識灯横に制動時に点灯するブレーキランプの新設、モ601 - 602の主電動機半減[8]、Hゴムの黒Hゴム化等が施工されている。

しかし、1990年代以降他形式の冷房化が進捗するにつれ、構造上冷房装置の搭載が不可能な本形式[9]の処遇が問題となりつつあった。結局2000年平成12年)に導入された複電圧対応の新型低床車モ800形に代替されることとなり、同年9月から12月にかけてモ601 - 605が一挙に廃車され、以降は本形式中唯一ワンマン化改造を受けていたモ606が予備車として残存した[10]。なお、これら5両の廃車発生品はモ870形の複電圧化改造に際して流用されている。その後モ606は白帯を巻いた登場当時の塗装に復元され、2005年(平成17年)3月31日の美濃町線営業最終日まで使用された後、同日付で除籍されて本形式は形式消滅した。同車は廃車後しばらく岐阜工場跡地に留置された後、解体処分されている。

なおモ601が旧美濃駅構内で(モ510形512・モ590形593・モ870形876(カットボディ)と共に保存されている)、モ603が岐阜市芋島の保育施設で静態保存され、またモ605が遠く離れた高山市内(旧清見村村域)のリゾート施設のカラオケルームとして利用されている[11]

参考文献

脚注

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関連項目

テンプレート:名古屋鉄道の車両
  1. 同引込線は旅客運転開始後田神線と称されるようになった。
  2. 各務原線は名古屋本線等と同様の鉄道線であり、架線電圧は1500Vとなる。
  3. 実際には本形式は専ら新岐阜発着列車に充当されたため、同交差点を通過する機会は極稀であったという。
  4. 端子電圧600V時定格出力60.0kW, 吊り掛け駆動, 歯車比2.65
  5. モ603 - 606のD12型台車はモ180形より転用したものである。
  6. もっとも、本形式が走行する1500V区間は市ノ坪 - 田神間に設置されたデッドセクションから新岐阜までのわずか1.5kmほどに過ぎず、本格的な複電圧機構を搭載しても費用対効果に見合わないと判断されたものであろう。
  7. 本形式の場合、軌道線区間の急曲線に対応させる関係で、台車中心間隔を大きく取れなかった、すなわち機器の搭載スペースを大きく確保することが不可能であったという悪条件も重なっていた。
  8. これにより全車が主電動機2基搭載で仕様が統一された。
  9. 前述の通り屋上には抵抗器が搭載されており、床下にも余裕はなく、冷房装置を搭載可能なスペースは車内外どこにも存在しなかった。
  10. 他の5両の廃車に伴い使用するあてのなくなった電気連結器および貫通扉部渡り板は撤去された。
  11. 徳田耕一「名古屋の電車 ぶらり旅して ここが気になる」122-127頁