吉田修司

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テンプレート:Infobox baseball player テンプレート:MedalTop テンプレート:MedalSport テンプレート:MedalSilver テンプレート:MedalBottom 吉田 修司(よしだ しゅうじ、1966年11月29日 - )は、愛知県江南市出身の元プロ野球選手投手)。

現役時代は巨人ダイエー・ソフトバンクオリックスに在籍した。テンプレート:Byからテンプレート:Byまで6年連続で50試合以上に登板するなどリリーフとして活躍した。

経歴

北海道拓殖銀行時代にはソウルオリンピックに出場し、銀メダル獲得に貢献。その後、1988年のドラフト会議読売ジャイアンツが1位指名で交渉権を獲得し契約金6500万円、年俸650万円(金額は推定)で入団した[1]。入団の記者会見の場で吉田自ら「僕は巨人に指名されましたが、本当は出身地の愛知県中日ファンでした」という発言をし、報道陣を沸かせた。

テンプレート:By10試合に登板し、日本シリーズでも登板している。テンプレート:By21試合に登板。しかし、徐々に打ち込まれるようになり、テンプレート:By5月13日の対横浜ベイスターズ戦で1イニング10失点の集中打を浴びても最後まで続投させられた挙げ句、シーズン途中に岸川勝也との交換トレードで福岡ダイエーホークスに移籍した。テンプレート:Byに中継ぎ投手として初めて一軍に定着。49試合に登板し、防御率3.40と実績を残した。以後貴重な左のリリーフとして長きに渡って活躍し、6年連続で50試合以上に登板。テンプレート:Byテンプレート:By、2003年の優勝に貢献した。この間、1998年・テンプレート:By最多ホールドを獲得。2003年4月2日、史上初となる通算100ホールドを達成している。2000年には1959年杉浦忠に並ぶ球団記録(当時)の69試合に登板する活躍で、城島健司最優秀バッテリー賞を受賞。オールスターゲームにも2度(2000年2002年)選出された。

テンプレート:Byのシーズン開幕前に故障し、以降2年間は一軍での登板機会はなかった。テンプレート:Byオフに戦力外となるはずであったが、監督の王貞治の一声で一転して残留。テンプレート:Byは3年ぶりの一軍登板を果たしたものの、一・二軍共に防御率が二桁と精彩を欠き、同年10月15日に戦力外通告を受ける。その後、オリックス・バファローズにテスト入団。オリックスでの背番号が13に決定した。入団会見にて、背番号が13に決定したことについて「番号は気にしてはいないが、こんないい背番号でいいのかな」とコメントした。テンプレート:Byは開幕一軍を勝ち取ると、豊富な経験と制球力を生かし主にワンポイントとして活躍。3月28日、対日本ハム戦で史上78人目となる通算500試合登板を達成。5月17日のソフトバンク戦では、2番手で登板して4年ぶりとなる勝利。7月7日、対楽天戦において、2003年6月21日の対ロッテ戦(千葉マリン)以来、4年ぶりのセーブを挙げた。40歳7ヶ月でのセーブは、当時のパ・リーグ最年長セーブ記録となった。同年は36試合登板で防御率2.61と結果は残したが、10月4日に若返りを図るチーム方針のため戦力外通告を受ける。11月17日の12球団合同トライアウトに参加したが獲得する球団は無く、11月30日付で自由契約公示[2]され、現役を引退した。

その後はTVQ九州放送日テレプラスの野球解説者を務め、さらに萩本欽一率いる社会人野球チーム茨城ゴールデンゴールズにも所属した。 2013年からは福岡ソフトバンクホークス二軍投手コーチを務める[3]

人物

テンプレート:スポーツ選手の出典明記 珠算1級、簿記1級、英検2級といった資格を持っている。かつてのチームメイトである的場直樹が12球団合同トライアウトを受けた際には1週間以上にわたって練習に付き合い、その理由をテレビ局のインタビューに対して「自分も(戦力外通告を)2回経験していて、(相手が)いない」と語った。

詳細情報

年度別投手成績

テンプレート:By2 巨人 10 1 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 65 16.0 12 1 8 1 0 11 0 0 2 2 1.13 1.25
テンプレート:By2 21 4 1 0 0 3 3 1 -- .500 203 46.1 39 3 30 1 4 37 4 0 19 19 3.69 1.49
テンプレート:By2 11 6 1 0 0 2 3 0 -- .400 186 44.1 38 6 22 0 0 41 0 1 25 24 4.87 1.35
テンプレート:By2 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 18 3.1 5 1 2 0 1 1 0 0 3 3 8.10 2.10
テンプレート:By2 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 27 4.0 13 1 2 0 0 2 0 0 11 11 24.75 3.75
ダイエー
ソフトバンク
9 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 52 11.2 14 0 5 0 0 6 3 0 5 5 3.86 1.63
'94計 11 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 79 15.2 27 1 7 0 0 8 3 0 16 16 9.19 2.17
テンプレート:By2 12 2 0 0 0 1 2 0 -- .333 77 17.1 16 1 11 0 0 13 1 0 7 7 3.63 1.56
テンプレート:By2 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 10 1.2 5 1 1 0 0 1 1 0 4 4 21.60 3.60
テンプレート:By2 49 0 0 0 0 4 3 3 -- .571 171 39.2 33 1 20 1 1 34 3 0 17 15 3.40 1.34
テンプレート:By2 63 0 0 0 0 3 4 10 -- .429 225 55.2 45 4 19 2 1 50 2 0 14 13 2.10 1.15
テンプレート:By2 58 0 0 0 0 0 1 1 -- .000 230 53.1 53 0 22 4 1 51 3 2 17 17 2.87 1.41
テンプレート:By2 69 0 0 0 0 9 3 1 -- .750 391 95.2 85 4 32 6 0 72 1 1 34 32 3.01 1.22
テンプレート:By2 68 0 0 0 0 3 6 0 -- .333 323 71.2 80 7 36 4 1 70 1 0 38 26 3.27 1.62
テンプレート:By2 62 0 0 0 0 7 5 3 -- .583 322 77.2 73 9 28 4 2 68 1 0 29 27 3.13 1.30
テンプレート:By2 53 0 0 0 0 2 1 3 -- .667 212 48.1 53 1 18 1 3 41 1 1 28 27 5.03 1.47
テンプレート:By2 8 0 0 0 0 0 1 0 2 .000 16 3.0 5 0 1 0 1 1 1 0 4 4 12.00 2.00
テンプレート:By2 オリックス 36 0 0 0 0 2 0 1 8 1.000 91 20.2 24 0 4 0 1 12 1 0 7 6 2.61 1.35
通算:16年 533 13 2 0 0 37 32 23 10 .536 2619 610.1 593 40 261 24 16 511 23 5 264 242 3.57 1.40
  • ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更

タイトル

表彰

記録

背番号

  • 19 (1989年 - 1992年)
  • 54 (1993年 - 1994年途中)
  • 49 (1994年途中 - 2006年)
  • 13 (2007年)
  • 70 (2013年 - )

脚注

テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

テンプレート:福岡ソフトバンクホークス テンプレート:パシフィック・リーグ最優秀中継ぎ投手 テンプレート:ソウルオリンピック野球日本代表

テンプレート:読売ジャイアンツ1988年ドラフト指名選手
  1. 朝日新聞、1988年12月10日付朝刊 (23面)
  2. 2007年度 自由契約選手
  3. テンプレート:Cite web