古賀ゆきひと

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テンプレート:基礎情報 アナウンサー 古賀 ゆきひと(こが ゆきひと、1959年4月9日 - )は、FBS福岡放送エグゼクティブアナウンサー。本名は古賀 之士(読み同じ)。福岡県久留米市出身。

人物・経歴

本名が非常に読み難いため、報道番組やスポーツ中継など一部を除き普段はテンプレート:要出典範囲名前の部分を平仮名で表記する。

福岡県立明善高等学校を経て明治大学卒業後入社。明大在学時、アナウンサーに憧れ、ダメモトで日本テレビに電話をかけ、大学の先輩である福留功男と話をすると「一回局にお茶でも飲みにおいでよ」と気さくに声をかけられたことが大きなきっかけとなった。

その福留も司会を務めた『ズームイン!!朝!』で、今の担当番組『めんたいワイド』のリポーターでもある安田栗之助からFBSキャスター職を引き継ぎ、ほぼ毎日(交替制で)中継参加したこと、担当期間中に福岡ダイエーホークスが誕生したこともあり、当時相棒だった堤信子(後結婚退社)ともども全国的に有名となった。『ナイトシャッフル』の司会に起用されたこともあり『ズームイン!!』は1994年平成6年)テンプレート:要出典範囲後輩に譲った。

1995年(平成7年)10月に全ての担当番組を降りて『めんたいワイド』司会に就任、今に至る。後に地デジCMで共演することとなった川上政行進行のRKB毎日放送今日感テレビ』などと夕方の顔を争っている。

社内では久保俊郎のほうが年長だが、久保はスポーツグループのトップである。今のFBSでは、世代交代の促進・ワークシェアリングによる経費削減などもあり、スポーツ実況は中堅・若手の男性アナウンサーが担っており、久保のスポーツへの関わりも後方支援に止まっている。また同僚の財津ひろみが中学・高校の後輩。古賀が出身中学に招かれて講演を行った際、その聴衆の中に財津がいて、財津は古賀の話を聞いてアナウンサーを志したという。

趣味は鉄道模型。また、ボードゲームモノポリー」の愛好者であり、ホークスの助っ人外国人選手に声を掛けてプレイすることもあるとか。更には高校時代からの天文ファンでもある。

エピソード

『ズームイン!!』担当により全国規模で知名度を有するアナウンサーならではのエピソードに事欠かない。

  • モノポリー日本選手権大会九州予選で1995年(平成7年)、1996年(平成8年)の2年連続優勝。
  • 1999年(平成11年)、ホークスが福岡移転後初優勝した際には、福岡ドーム(現:福岡Yahoo!JAPANドーム。通称“ヤフードーム”)にて号泣しながら他のファンと抱き合って喜んだ。
  • 2008年(平成20年)、王貞治が監督を辞任した際には、冬休み返上で番組に出演。同じく号泣しながら王へ感謝を述べ、ホークスのその年のホーム最終戦を観戦した。
  • 2008年(平成20年)8月30日に『24時間テレビ 「愛は地球を救う」31』のプレ番組として放送された、FBS制作ローカルドラマ『私は一本の木に恋をした]』で、入来茉里演じる平岡れいの父・利男役を演じドラマ初出演、利男の妻役で特別出演した田中好子とのテレビ共演も果たした。
  • 近視のため、長年に渡って眼鏡を着用して番組に出演していたが、2009年平成21年)1月レーシック手術を受け視力が回復し、現在は眼鏡を着用していない。手術の様子は『めんたいワイド』内で放送された。
  • 札幌市のアマチュア天文家渡辺和郎は発見した小惑星に「Kogayukihito」と命名し、国際天文学連合2009年(平成21年)10月4日付けで登録を公表した。
  • 『めんたいワイド』では、妻の実家に帰省中のところをコーナー担当者に偶然“逆取材”されたことがある。古賀もコーナー担当者も最初は一瞬呆気にとられていた。

現在の担当番組

  • めんたいワイド 全時間帯MC
  • 選挙・災害報道対応
    主にスタジオ進行担当。この場合は松吉ゆかりと組むことが多い。
  • 福岡テレビ6社局合同アナログ放送終了啓発CMシリーズ(地デジバンド)
    2010年2月25日以降順次放送。地デジ大使仲谷亜希子を差し置いて出演、かつ+rkb 代表として登場した川上政行と共演を果たしている。もともとアナログ放送終了が迫っているため当然期間限定であったが、第2弾放送から1か月後、KBC高島宗一郎退社でお蔵入りとなってしまった。後高島の同期・宮本けいすけに差し替えて再開。

過去の担当番組

映画

関連項目

外部リンク

テンプレート:福岡放送アナウンサー テンプレート:九州地区地デジ推進大使