南淵明宏

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テンプレート:複数の問題 南淵 明宏(なぶち あきひろ、1958年3月3日 - )は、心臓血管外科医。医学博士

多数の一般向け著書を発表しており、著書やテレビ出演が多く、知名度が高い外科医の一人である。

プロフィール

奈良県出身。東京都東村山市にある明法高等学校を卒業後、奈良県立医科大学医学部に入学し、1983年に卒業。奈良県立医科大学第三外科(心臓血管外科)に入局するも、国立循環器病センターで研修を受ける。その後医局制度に不満を感じて医局を飛び出し、小児心臓外科で有名な佐野俊二(現岡山大学大学院教授)の勧めにより、オーストラリアシドニーにあるセント・ビンセント病院で心臓血管外科の修行を積む。その後、シンガポール国立大学病院・新東京病院・湘南鎌倉総合病院で勤務し、1996年9月神奈川県大和市にある大和成和病院に心臓病センターを開設する。 2010年12月より大崎病院東京ハートセンター センター長に就任。

人工心肺を使用しない心拍動下冠動脈バイパス手術症例を年間200件行っている。人工心肺を使用しない心臓手術は、人工心肺による合併症の危険を伴う患者にとっては優れた手術器具の開発などにより安全に手術のできる手術であり、現在多くの医療機関で実施されている[1]

1998年、東京大学病院で研修医から睡眠薬を投与された岳父が植物状態になったため、1億円あまりの損害賠償を求めて東京地裁に提訴。東京地裁は2004年、6600万円あまりの支払いを東大側に命じた。

2000年、医療過誤により死亡した元患者の遺族に協力したため勤務先の病院に解雇された等と雑誌やテレビで発言したため、病院から名誉毀損で訴えられた。2004年8月4日の横浜地裁判決[2]では、南淵医師の主張する病院からの嫌がらせや圧力の事実を否定し、南淵医師が無断で他の病院でアルバイトをしたり、ベンツの供与を受けていることが発覚したために退職を求められ、本人もこれを了承して退職したと認定し、南淵医師の発言は真実ではなく、真実と信じるについて相当の理由もないとして名誉毀損の成立を認めた[3]。なお、この判決は控訴取り下げにより確定している。

「『ブラックジャックによろしく』に出てくる心臓外科医北三郎のモデルになった医師」と紹介されることがあるが、作者により否定されている[4]

2011年12月8日、TBSテレビの番組「ジョブチューン」へ出演の際、「医者は患者から謝礼金を受け取るべきです」との発言をした。その説明として謝礼金により「患者さんとお医者さんはコミュニケーションをとるべき」と発言している。

東大医学部を痛烈に批判しており、「受験勉強ができるというのは、単にクイズができるだけなんです。医者の資質とは別物です。東大医学部出身の医者で尊敬できる方を、私は一人も知りません。東大の医者の特徴は、リスクを取らないことです。減点方式の競争を生き抜いてきて、しかもプライドが高いせいか、とにかくミスを恐れる。処置に迷ったら、とりあえず『経過観察』で逃げる。医者にとってリスクを取らないというのは、無能を意味します。たとえば、私のような外科医には、とにかく手術の結果が求められます。その際必要とされるのは、リスクを乗り越えるためのアスリート的な精神力ですが、東大生にはそれがない」[5]、と述べている。

主な著書

  • 僕が医者を辞めない理由(2005年、羊土社)
  • 心臓外科医の挑戦状(2004年中央公論新社
  • 心臓外科医~僕が医療現場をあえて世間にさらけ出す理由~(2003年、講談社)
  • 心臓は語る(2003年、PHP研究所

出演番組

脚注

  1. 人工心肺を使用しない冠動脈バイパス手術は日本では特殊な例を除いて行っている医師は皆無だった。1996年6月の時点で、海外では単独術者で1000例を越えている例があるが、この年にミネアポリスで一回目の研究会があり、日本全国でも一斉に導入された経緯がある。南淵医師は後発である。テンプレート:要出典
  2. 判例時報1875号119頁・LEX/DB28100153
  3. 損害賠償請求事件 横浜地裁 平成13年(ワ)961号 「紫色の顔の友達を助けたい 東京女子医大、警察、検察、マスメディアの失当」<「図解 心臓外科ハンドブック」監訳者によるとみられるブログ>
  4. 「ブラックジャックによろしく」作者の佐藤秀峰による発言
  5. 『週現スペシャル 大研究 第3部 アタマはいいけど腕はイマイチ 東大理Ⅲのテスト 東大医学部(理Ⅲ)に合格した人たち』

外部リンク