ふじ (砕氷艦)

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名古屋港ガーデンふ頭に係留されているふじ
艦歴
発注
起工 1964年8月28日
進水 1965年3月18日
就役 1965年7月15日
退役 1984年4月11日
従事隊次 第7次~第24次 (1965年~1983年
その後 記念艦として公開
性能諸元
排水量 基準:5,250トン
全長 100.0m
全幅 22.0m
吃水
機関 ディーゼル電気推進二軸、12,000馬力
最大速度 16kt
航続距離
乗員 200名(他に観測隊員35名)
航空機 ヘリコプター3機搭載
建造 日本鋼管
ファイル:Fujisan Hongū Sengen Taisha Stone.jpg
「ふじ」により採取された南極の石(富士山本宮浅間大社

ふじ(JMSDF AGB FUJI class)は、日本文部省の二代目南極観測船

海上自衛隊艦番号AGB-5001。1965年昭和40年)7月に竣工。同年から南極観測船としての役割を海上保安庁の宗谷より引継ぎ、1983年(昭和58年)まで海上自衛隊により運用され南極地域観測隊輸送に従事した。退役の後は南極観測に関する博物館として名古屋港ガーデンふ頭に係留され一般公開されている。後継艦は「しらせ」(初代)

概要

艦名は、日本の最高峰である富士山から名づけられた。砕氷船として、一般の船舶に比べて横幅が広いのが特徴である。

連続砕氷可能な氷の厚さは80cm。貨物の積み下ろし用に艦前部に2基、後部に2基のクレーンを有している。

艦後部にはヘリコプター格納庫及びヘリコプター甲板となっており、偵察及び輸送用にS-61A-1を3機搭載している。

歴史

日本の南極観測は、1962年の第6次観測隊以降、一時中断していたが、1963年8月20日の閣議決定「南極地域観測の再開について」に基づき再開されることとなった。同閣議決定では輸送手段について、防衛庁の担当とされ、自衛隊法を改正の上、新南極観測船は防衛庁が運用することとなった[1]。新南極観測船「ふじ」は、1965年3月18日に進水し、7月15日に就役した[2]

観測再開となった1965年の第7次隊より用いられ、1982年の第24次隊まで使われている[2]。行動日数は2,869日、輸送人員は800名、輸送量は8,529.5t、氷海でのチャージング回数は23,416回であった[2]。ふじは先代の宗谷よりも大型・新型であったが、昭和基地への接岸は18回中6回しか成功していない[3]

その他

記念切手シール「南極地域観測事業開始50周年」(2007年1月23日発行)の左上の切手に、ふじが描かれている。また、記念切手「名古屋港 東海-40(愛知県)」(2007年11月5日発行)の中の、「名古屋港・愛知県」という切手で、ふじが描かれている。

脚注

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関連項目

外部リンク

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テンプレート:Ship-stub テンプレート:ふじ型砕氷艦 (南極観測船)

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  1. 国土地理院南極地域観測事業50年の変遷
  2. 2.0 2.1 2.2 南極地域観測への参加及び南極地域観測統合推進本部の設置について 防衛省資料 2008年
  3. 南極観測船「しらせ」の状況について 文部科学省 2013年1月11日