南下政策

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南下政策(なんかせいさく)とは、ある国家が南部に進出する政策。単に南下政策といった場合はロシア帝国の南下政策を指すことが多い。

ロシアの南下政策

ロシア南下政策の最大の目的は年間を通して凍結することのない不凍港の獲得であった。人口や国土において西欧と比較にならない大国のロシアが不凍港を獲得し本格的に海洋進出を始めることに対して地政学の見地から並々ならぬ脅威を覚えた西欧諸国は、南下政策を阻止することに非常な努力を注ぎ、この衝突が19世紀の欧州史における大きな軸となる。

ロシア帝国の南下政策は、主にバルカン半島中央アジア、中国及び極東などにおいて行われた。ロシア自身がスラヴ民族とギリシア正教圏の盟主を自負していたこともあり、バルカン半島においては汎スラヴ主義と連動し当地での民族国家樹立を後押ししたが、一方では宗教も絡み、オスマン帝国オーストリア=ハンガリー帝国との対立の要因ともなった。

ロシア革命後のソビエト連邦は、帝国主義に基づいた膨脹政策を放棄したものの、当初は公然と革命輸出を唱えていたこともあり、革命の波及を恐れる列強によって封じ込め政策の対象となる。冷戦時代になると、社会主義陣営を拡張する動きが、かつての南下政策と同様の図式で語られることが多かった。

主な事例

紛争も含めると、戦後においては次のような事例があげられる。

関連項目