千歳 (空母)
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ファイル:Japanese aircraft carrier Chitose cropped.jpg | |
艦歴 | |
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起工 | 1934年11月26日呉工廠 |
進水 | 1936年11月29日 |
就役 | 1938年7月25日水上機母艦として竣工 1943年空母へ改装 |
その後 | 1944年10月25日喪失 |
除籍 | 1944年12月20日 |
性能諸元 (空母改装時) | |
排水量 | 基準:11,190トン 公試:13,600トン |
全長 | 192.5m (水線長:185.93m) |
水線幅 | 21.5m |
全幅 | 20.8m |
吃水 | 7.51m (公試状態) |
飛行甲板 | 長さ:180.0m x 幅:23.0m エレベーター2基 |
主缶 | ロ号艦本式缶4基 |
主機 | タービン2基、ディーゼル2基2軸 56,800hp |
速力 | 29.0ノット |
航続距離 | 18ktで11,810浬 |
乗員 | 785名 (967名の資料もあり) |
兵装 (改装時) |
40口径12.7cm連装高角砲4基 25mm3連装機銃10基 |
搭載機 | 艦戦21機 艦攻9機 合計30機 補用機なし |
千歳(ちとせ)は、旧日本海軍の航空母艦。当初は水上機母艦として建造されたが、太平洋戦争中に空母に改装された。姉妹艦は千代田。
目次
[非表示]概要
千歳型航空母艦は当初、ロンドン海軍軍縮条約により空母保有数が制限されていたため後々空母に改装することを念頭におき、水上機母艦兼高速給油艦として設計・建造された。
当初から空母に改装することを前提にしていた本型艦は、艦中央部に強度試験用に高い天蓋が設けられるなど特異な艦型となるにいたった。速力も速く機動部隊に加わっての第一線機を運用するに足りる最低限の能力を有していた。当初は条約規制で最高速力が20ノット程度に想定されて設計されたにも関わらず、建造途中で条約失効後に完成することを見越し、設計速力を29ノット以上に引き上げた。このため設計上の機関出力では後々の空母改装における最高速度の維持が困難となり、当初の艦本式ディーゼルと高速用タービンエンジンのみの仕様に加えて巡行用のタービンエンジンを追加するという、非常に複雑な機関配置となるにいたった。
改装に至る背景で外観が龍鳳型・祥鳳型の両空母に酷似しているのが本型艦の特徴の一つだと言えよう。
空母改装の着手がミッドウェー海戦後であったため登場時期が遅くなり、1944年(昭和19年)6月に僚艦の千代田とともにマリアナ沖海戦に参戦、同年10月25日、レイテ沖海戦で千代田と共に米空母艦載機の猛攻を受け、エンガノ岬沖に戦没した。
要目
水上機母艦時代の要目は千歳型水上機母艦を参照のこと。
艦歴
- 1934年(昭和9年)11月26日 - 呉海軍工廠にて起工
- 1936年(昭和11年)11月29日 - 進水
- 1938年(昭和13年)7月25日 - 竣工
- 1942年(昭和17年)6月 - ミッドウェー海戦に第一一航空戦隊として参加
- 1943年(昭和18年)1月26日 - 佐世保海軍工廠にて空母への改装工事開始
- 1944年(昭和19年)6月19日-20日 - マリアナ沖海戦に第三航空戦隊として参加
歴代艦長
水上機母艦
艤装員長
- 池内正方 大佐:1937年3月1日 -
艦長
- 池内正方 大佐:1938年3月10日 -
- 水井静治 大佐:1938年12月15日 -
- 西田正雄 大佐:1939年11月15日 -
- 野元為輝 大佐:1940年6月3日 -
- (兼)田中頼三 大佐:1940年10月15日 -
- 山本親雄 大佐:1940年11月15日 -
- 古川保 大佐:1941年8月20日 -
- (兼)佐々木静吾 大佐:1942年11月1日 -
- (兼)荒木伝 大佐:1943年4月14日 - 7月1日
航空母艦
艦長
- 三浦艦三 大佐:1943年8月4日 -
- 岸良幸 大佐:1944年4月7日 - 10月25日戦死
同型艦
参考文献
- 長谷川藤一、軍艦メカニズム図鑑-日本の航空母艦、グランプリ出版、1997年
- 雑誌「丸」編集部、写真|日本の軍艦 第4巻 空母II、光人社、1989年