千日前

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:Pathnav

ファイル:Sennichimae.jpg
千日前商店街 南側入り口

千日前(せんにちまえ)とは、大阪府大阪市中央区の地域名および町名道頓堀の南東に位置し、演芸場や映画館などがある娯楽街になっている。同地区には法善寺竹林寺がもともとあり、千日念仏を唱えていたことから両寺の別名(特に法善寺)を千日寺といい、その前で栄えた街だからということでこの名になったといわれる。

歴史

江戸から明治

江戸初期には近郊農村であった西成郡難波村西高津村の一部であり、1615年、市内の墓地の整理により「千日墓地」と呼ばれる大規模な墓地がつくられ、刑場焼き場も併設された。これが後にさまざまな噂話や因縁話の原因にされることとなる。なお、大坂西町奉行所近辺にあった牢獄から本町橋を渡り西へ向かい、西横堀川で南下、道頓堀川を東へ向かい千日寺(刑場)に向かうのが市中引き回しルート。

1702年、玉造にあった伏見坂町の北半(大坂三郷北組分)が玉造口定番の組屋敷地に接収されたため、道頓堀裏の西高津村領内の代替地に移転し、所属は北組のまま元伏見坂町が新に設置された。坂町(さかまち)と通称された元伏見坂町には茶屋や見世物小屋が集まり始め、南地五花街の一つに数えられるほどの賑わいを見せるようになった。坂町および南隣の難波新地1丁目は、天保の改革の際に歌舞伎浄瑠璃に携わる者の居住区に指定された経緯を持っており、この2町が現在の千日前1丁目にあたる。

明治以降、刑場は廃止され墓地が阿倍野に移転して繁華街が広がって行くことになるが、当初は墓地跡・刑場跡(晒し台・磔台・獄門台)ということでなかなか買い手がなかった。そこで大阪市は、10坪入手した者には5円を「灰処理代」として援助した。

1885年の阪堺鉄道(南海電気鉄道の前身)難波駅開業などで一気に人通りが多くなる。

ミナミの大火後

1912年(明治45年)1月16日に発生した「ミナミの大火」によって、難波新地から千日前、高津新地、生國魂神社あたりまでが焼失し、この地にあった遊郭は移転して消滅した。焼け跡には現在の千日前通にあたる大阪市電九条高津線敷設の計画が持ち上がったものの、繁華街は低迷したままであった。ミナミ壊滅の危機に瀕して南海鉄道の社長は近代的なレジャーセンターの建設で復興の呼び水にすることを考え、千日土地建物(千土地。のちの日本ドリーム観光)を設立。大阪の興行界の実力者・山川吉太郎に声をかけた。彼は当時、活動写真館を経営し、役者をアイドルとして売り出す才能の持ち主でもあった。南海の出資で彼はすべての娯楽を詰め込んだレジャーセンターを構想した。
ファイル:Sennichimae Osaka ca1916.JPG
1916年頃の千日前。向かって右は楽天地(2001年よりビックカメラ)、左は芦邊倶楽部(1991年よりアムザ1000)。
ファイル:Sennichimae Osaka Japan 1933.jpg
1933年頃の千日前。向かって右は大阪歌舞伎座、左は芦辺劇場。
新しい千日前交差点の南西隅に、山川は1914年(大正3年)に一大娯楽センター「楽天地」を建設、一躍市内のハイカラな名所となった。地上3階建てで多くの尖塔を持ち、中央には円形ドームを載せ、夜はイルミネーションで彩られていた。館内は大劇場と二つの小劇場で芝居演劇映画を公演し、地下にはメリーゴーランド、ローラースケート場、水族館まであった。屋上の大阪市内を見渡す展望台も人気を集めた。

楽天地の開業以降、付近には映画館・演芸場が進出し、道頓堀と肩を並べる娯楽の街へと発展した。楽天地は後に、山川吉太郎が映画に熱中したことと映画制作で多額の借金を抱えたことで廃れ、帝国キネマの撮影場の焼失と新興キネマへの再編もあり1930年(昭和5年)に廃業。千土地は白井松次郎松竹創業者の一人)に買収され、1932年、跡地に収容人数3,000人近い7階建ての南欧風建築「大阪歌舞伎座」が誕生し、初代中村鴈治郎はじめ多くの歌舞伎役者が舞台を踏んだ。以降、松竹の興行による関西歌舞伎が定期的に上演され、翌1933年には6階にアイススケート場を併設。劇場横の飲食店が立ち並ぶ横丁は「鴈治郎横丁」(現・ビック通り)と名付けられ賑わった。

1934年、松竹は1922年に結成した「松竹楽劇部」を「大阪松竹少女歌劇団」(OSSK)と改称。千日前・東洋劇場を「大阪劇場」(通称・大劇)と改称して、新生OSSKの本拠地とした。大阪劇場は実演と映画上映の二本立て興行を行うようになり、実演はOSSKのレビューか人気歌手の歌謡ショウ(OSSKも出演)、映画は松竹映画を上映していた。1943年OSSKは「大阪松竹歌劇団」(OSK、現・OSK日本歌劇団)と改称し、笠置シズ子京マチ子といったスターを生み出した。

戦後

ファイル:ビックカメラなんば店.jpg
ビックカメラなんば店(千日デパート跡)

第二次世界大戦の空襲で一帯は再び焼け野原と化したが、再び演芸街・飲食店街としての復興を果たす。大阪歌舞伎座上階のアイススケート場は占領軍向けの特殊慰安所(キャバレー)に改装され、朝鮮戦争まで運営された。また大劇地下にはアルバイトサロン(アルサロと略す。現在のキャバクラ)が開業し、全国に広まった。

大阪歌舞伎座は1958年に御堂筋大阪新歌舞伎座に移転し、歌舞伎座の建物は改装され「千日デパート」となるが、1972年(昭和47年)に死者118名にのぼる千日デパート火災が発生した。その後長らく焼け跡は放置され利用されなかったが、ダイエー系のデパート「プランタンなんば」が建ち、カテプリなんばと改称したのを経て、現在はビックカメラなんば店(エスカールなんば)となっている。

またOSKも「日本歌劇団」(NKD)と改称した1960年代半ばから人気にかげりが見え始め、1967年大劇は閉鎖。NKDは近鉄のあやめ池円形大劇場に完全移転し、1991年まで大劇はボウリング場などの複合施設「大劇プレイタウン」に改装されていた。その後跡地は現在なんばオリエンタルホテルとなっている(近年まで、オリエンタルホテルの南側の通りは「千日前大劇南通」と呼ばれていた)。

吉本興業は従来南海通りになんば花月劇場を経営していたが、近隣に所在した自社の経営するボウリング場・駐車場ならびに本社事務所(NSCを併設)を取り壊して、1987年「なんばグランド花月」を開場。吉本新喜劇の本拠地となっている。

千日前の今日

法善寺・竹林寺を経由して千日墓地に至る通りであったことから、道頓堀川に架かる太左衛門橋から南へ延びる通りは現在も単に「千日前」と呼ばれる。トリイホール、テアトルA&P(旧・千日会館)、TOHOシネマズなんば・別館(旧・敷島倶楽部→東宝敷島劇場→敷島シネポップ)、なんばグランド花月(NGK)、YES NAMBAビル(ワッハ上方ジュンク堂書店5upよしもとエフエムちゅうおうNMB48劇場などが入居)などの演芸場や映画館(成人映画館含む)が点在している。

また、アムザ1000ほかサウナ・カプセルホテルなどレジャービル、パチンコ店も数多い。特筆すべきは、千日前大劇南通を東に入ったところにある複合レジャー施設「味園ビル」で、大宴会場・サウナ・ホテル・クラブなどの集合ビルであるが、関西人にはよく知られた強烈なCM、パワフルな独特のデザインが凝らされた外観と内装、地下1階の昭和を思わせる豪華なキャバレーなどは、年配のサラリーマンばかりでなく高度成長期の過剰さを知らない若い世代のサブカル系青少年にも近年人気が高いテンプレート:誰

なんばグランド花月以南は「道具屋筋」(千日前道具屋筋商店街)と呼ばれる。プロ用の厨房用品や店舗開業用の食器、旗、飾り、食品サンプルなどさまざまな物を売っている。道具屋筋は「なんさん通り」で南端となり、近年オタク街化の進む日本橋の電気街(でんでんタウン)に隣接する。

全体的にオシャレではなく、パチンコ屋などけたたましい店も多くなっている。 裏通りは老舗のキャバレーなど古くからの店も残る一方、バブル崩壊後は空き店舗が目立つようになった。しかし、2010年頃より、古臭い雰囲気と安い賃料が魅力となり新しい飲食店が相次いで出店し、「裏難波」と呼ばれる注目のスポットとなっている。

1998年4月7日には「21世紀千日前記念式典」が開催された。

テレビデジタル化“千日前”

2008年10月27日は、日本のテレビジョン放送が完全にデジタル化されるちょうど1,000日前にあたった。この日、デジタル放送推進協会(Dpa)が全国を巡回させているキャラバンカーが千日前を訪れ、関西地区の地上デジタル放送推進大使(一部代理)と藤崎マーケットらがテレビデジタル化「千日前」をアピールするイベントを展開した。通常全国レベルにあたるイベントは東京で行われ、東京キー局の地デジ大使が参加するが、今回は「千日前」の地名にちなんだもので、大阪で開かれたこのイベントが全国レベルとして扱われた。

交通機関

最寄り駅
最寄バス停

全国の千日前

テンプレート:節stub

岡山県の千日前

岡山県岡山市北区表町にある千日前商店街

岡山表町商店街の一部。大阪の千日前にあやかって命名された。松竹系単館映画館である岡山松竹を核とした映画館・劇場街として発展し、一時は同市内に映画館を持つ福武観光各ビルと双璧を成す岡山市内における映画娯楽・大衆演劇の地として知られていた。しかし2000年代におけるシネマコンプレックス時代の到来、またそれ以前より指摘されていた大衆演劇の衰退と共に、各館の経営が立ち行かなくなって廃館が相次ぎ、現在は多数のコインパーキングとわずかな飲食店(居酒屋)および以前よりの個人商店が軒を連ねるのみとなっている。また映画館に関しては商店街の片隅にある成人映画専門館である岡山日活のみが細々と営業を続けている。なお木下大サーカスの本部がある事で知られている。

関連項目

かつて存在した主な映画館

外部リンク

テンプレート:大阪市の地域 テンプレート:Asbox