北見駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:駅情報 テンプレート:駅情報

ファイル:Kitami (Hokkaido) eki.jpg
1977年の北見駅と周囲約1.5km範囲。右上が石北本線網走方面。左下は、左へ石北本線遠軽方面、下へ池北線池田方面。遠軽方面にある北見トンネルは開通の数か月前と思われる。駅舎はまだ木造二階建のもので、一部切り欠きホームを有する相対式ホームの2面4線であるが、内側の1 - 2番線間にはのちに撤去される待避線が1本見える。島式ホーム南端には池北線発着用の、これものちに撤去される切り欠きホームがある。駅舎横の網走方面には赤い屋根と青い屋根の大きな貨物ホームがあり、赤い方には留置線を含め3本、青い方は前側と後側へ1本ずつ引込み線がある。この周囲のストックヤードの敷地の大半は、コンテナセンターが設置される前だが、すでにコンテナで占められている。駅裏には多数の仕分線と、中央に大きな扇形機関車庫転車台の残る機関区、その南側に多数の車両整備用車庫を持つ客貨車区を有し、何台ものディーゼル機関車(多くはDE10形)が見える。2012時点では駅舎横に1本、駅裏側に2本の側線を残して、これらはほとんど撤去され、駅裏敷地が再開発されており、車庫は駅裏南端へ設けられている。
池北線に並行して貨物線が2本敷かれており、1本は赤い屋根のホクレン北見薄荷工場(現北見ハッカ記念館)構内へ向かい、別の1本はその下の石炭荷卸場へ向かっている。北見トンネル手前の駅表側にも幾つかの側線が認められ、数台の黄色い保線用モーターカーが停車している。網走方面にも本線を間に挟み、赤い屋根の日清製粉北見工場の専用線と、青葉通り踏切近くへ留置線が伸びている。この内2012年時点で残っているのは最後に挙げた留置線1本と、後に新設された保線用車庫へ集約した保線車用1本だけで、池北線(ふるさと銀河線)が廃止された際に道道122号線の陸橋手前までで残された2本を留置線として新たに有している。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

北見駅(きたみえき)は、北海道北見市大通西1丁目にある、北海道旅客鉄道(JR北海道)・日本貨物鉄道(JR貨物)石北本線である。JR北海道の駅番号A60特別快速きたみ」の始発・終着駅であり、特急オホーツク」を含めた全旅客営業列車が停車する。

2006年平成18年)4月20日までは北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線との分岐駅だった。

歴史

テンプレート:Double image stack

  • 1911年明治44年)
  • 1912年大正元年)11月8日:湧別軽便線(後の留辺蘂軽便線、湧別線)が留辺蘂駅まで開業。跨線橋設置[1]
  • 1913年(大正2年)6月2日:野付牛機関庫設置(北海道鉄道管理局の事務上制定)。
  • 1914年(大正3年)10月5日:網走線が当駅から網走駅まで延伸。
  • 1932年昭和7年)10月1日:湧別線の一部が石北線に編入され、当駅は網走本線と石北線の接続駅となる。
  • 1933年(昭和8年)11月30日:北聯(現・ホクレン農業協同組合連合会)野付牛薄荷工場竣工。専用線使用開始。
  • 1940年(昭和15年)3月:軍需工場として馬鈴薯を利用したガソリン代替燃料アルコール製造の野付牛(後に北見)酒精工場が操業開始。専用線0.6㎞。
  • 1942年(昭和17年)10月1日:市制施行を機に、北見駅に改称。野付牛機関区も北見機関区に改称。
  • 1950年(昭和25年)2月1日:北見客貨車区設置。
  • 1952年(昭和27年)9月:旧・北見酒精工場を利用して北見林産興業がパルプ工場(後の北見パルプ北見工場)竣工。専用線も再使用[2]
  • 1961年(昭和36年)4月1日:網走本線が分割され、当駅は石北本線と池北線の接続駅となる。
  • 1968年(昭和43年)10月1日:みどりの窓口設置。
  • 1977年(昭和52年)9月18日:日本初の地下化による連続立体交差化が駅西方の北見トンネルによって完成、開通。
  • 1981年(昭和56年)7月16日:構内横断地下道完成。
  • 1983年(昭和58年)10月1日:駅舎改築。
  • 1986年(昭和61年)11月1日荷物・貨物の取扱を廃止(旅客駅となる)。北見コンテナセンターが設置され、自動車代行輸送を開始。
  • 1987年(昭和62年)
    • 3月31日:駅における貨物の取扱を再開(一般駅に戻る)。秋・冬季のみ貨物列車が運行されるようになる。
    • 4月1日:国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅となる。また、北見コンテナセンターはJR貨物が継承。
  • 1989年平成元年)6月4日:池北線が北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線に転換。
  • 2006年(平成18年)
    • 4月1日:北見コンテナセンター廃止、北見駅に統合。
    • 4月21日:北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線廃止。

駅構造

北海道旅客鉄道(JR北海道)

単式ホーム1面1線、島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを有する地上駅。その他側線2線もある。駅の西北見方は地下トンネル、柏陽方は高架線立体交差化されており、それに挟まれる位置に立地する。西北見側に北見運転所があり、車両留置などが行われる。ホーム間の移動は跨線橋を使う。

のりばは基本的に上下列車とも駅舎に面した1番のりばを使用し、列車交換時などは主に上り列車が2・3番のりばを使用する。ふるさと銀河線の列車は、ホーム運用に余裕がある時間帯のみ2番のりば、その他は2番・旧4番のりばの西北見側に設置された切欠きホームの旧3番のりばに発着していた。廃止後は取り壊され、旧4番のりばが現3番のりばとなっている。

駅舎内にはみどりの窓口(営業時間は6時00分から22時30分まで)、旅行センター(ツインクルプラザ)北見支店(営業時間は9時30分から17時30分まで)、自動券売機待合所コンビニキヨスクゆうちょ銀行ATMなどがある。以前は立ち食いそば・うどん店があり駅弁も販売していたが、2007年(平成19年)8月に閉店した。

日本貨物鉄道(JR貨物)

JR貨物の駅は旅客駅舎の北東にある。1面1線のコンテナホームを有している。コンテナ貨物の取扱駅で、ここでは12ftコンテナのみを取り扱っている。ホーム上に営業窓口のJR貨物北見営業所が設置されている。

当駅の取扱品は、タマネギなどの農産物が多いため、季節によって取扱量が大きく変動する。そのため収穫期の秋・冬季のみ貨物列車が発着し、それ以外の時期はトラック便のみが運行される。なお、トラック便は1年を通して運行されている。臨時高速貨物列車新旭川駅北旭川駅経由で札幌貨物ターミナル駅との間に1日2往復[3]、トラック便は北旭川駅との間に1日5往復設定されている。

農産物以外の主要取扱品には、廃乾電池廃蛍光灯がある。これらは日本国内各地からコンテナで当駅まで輸送され、北見市内にある廃乾電池・廃蛍光灯処理施設の野村興産イトムカ鉱業所へ送られる。

利用状況

旅客

  • 2012年度の1日平均乗車人員は858人である。
乗車人員推移
年度 1日平均人数
2002 1,201
2003 1,219
2004 1,147
2005 1,104
2006 1,047
2007 1,000
2008 942
2009 844
2010 814
2011 833
2012 858

貨物

  • 2011年度の発送貨物は264,447トン、到着貨物は44,887トンだった。

駅周辺

バス路線

北海道北見バス(共同運行会社含む)による運行。

  • 北見バスターミナル - 駅を出て左手。隣接するまちきた大通ビル(パラボ、旧・きたみ東急百貨店)1階に設置。北見市内線「大通」、郊外線「北見」(津別町営バス引継路線を含む)、都市間バス「北見バスターミナル」が該当。
  • 「北見駅」停留所 - 駅を出て右手。市内線1路線と端野方面との郊外線が停車。

隣の駅

北海道旅客鉄道(JR北海道)
テンプレート:Color石北本線
特急「オホーツク
留辺蘂駅 (A56) - 北見駅 (A60) - 美幌駅 (A65)
特別快速「きたみ」(当駅始発・終着)
西北見駅 (A59) - 北見駅 (A60)
普通
西北見駅 (A59) - 北見駅 (A60) - 柏陽駅 (A61)

かつて存在した路線

北海道ちほく高原鉄道
ふるさと銀河線
北光社駅 - 北見駅

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

関連項目

テンプレート:Sister

外部リンク

テンプレート:石北本線

テンプレート:北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線
  1. 大正元年度 鉄道院年報。
  2. ただし昭和28年版全国専用線一覧には記載無く、同32年版より記載。網走本線(後の池北線)より分岐、0.6㎞。
  3. 2010年秋から2011年春までの臨時貨物は、DD51の不足により従来の3往復分のうち2往復のみ貨物列車で、残り1往復分をトラック輸送になったと北海道新聞記事に記載有り。さらに1往復体制となった2013年3月7日には従来のDD51に加えてDF200を先頭に連結した編成で運転を行ったと2013年3月8日付けの北海道新聞記事(第3社会面)に記載されている。