北条民雄

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北条 民雄(ほうじょう たみお、正しい表記は「北條民雄」、1914年9月22日 - 1937年12月5日)は小説家ハンセン病となり隔離生活を余儀なくされながら、自身の体験に基づく名作『いのちの初夜』などを遺した。本名七條晃司。

経歴・人物

日本統治時代の朝鮮の首都京城(けいじょう、現・ソウル)に生まれ、徳島県阿南市下大野町に育つ。

1933年に発病。翌1934年東京府北多摩郡東村山村全生園に収容される。早くから文学に関心を持ったが、入院後本格的に創作を開始した。『間木老人』により川端康成に注目され、彼を師と仰いだ。

1936年、『いのちの初夜』により第2回文學界賞を受賞。その他に『癩家族』『癩院受胎』などの作品を遺したが、結核のため夭折した。

2014年、ハンセン病に対する偏見、差別により本名は公表されていなかったが、出身地の阿南市が親族に20年間本名を公開するように説得、6月親族の了承を得て、没後77年経ってようやく本名が公開された[1]

著書

伝記

外部リンク

  • ハンセン病作家の本名を公表 遺族「存在取り戻すよう」 朝日新聞 2014年8月9日閲覧