別所温泉

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テンプレート:日本の温泉地 別所温泉(べっしょおんせん)は、長野県上田市にある温泉。標高570mの高地にある信州最古の温泉で、日本武尊が7か所に温泉を開き「七苦離の温泉」と名付けたという伝説から「七久里の湯」とも呼ばれる[1][2]

泉質

効能

  • 一般的適応症、慢性皮膚病、慢性婦人病、きりきず、糖尿病など。
※注 効能は万人に対してその効果を保証するものではない。

温泉街

共同浴場を中心に栄え、現在も3つの共同浴場「大湯」・「大師湯」・「石湯」が存在する。大湯は木曾義仲、大師湯は慈覚大師、石湯は真田幸村ゆかりの湯(後述)として知られている。江戸時代には更に「長命湯(玄斉湯)」、「久我湯」が有ったが現存しない。また上田市営の温泉施設(社会福祉施設・外湯)として1972年年開業の「相染閣」が営業していたが、施設老朽化により別所温泉駅近傍の市営駐車場跡地(旧上田市立別所小学校(1996年3月統合廃止)元校地)に移転、2008年、公共温泉施設「相染閣別所温泉あいそめの湯」として再開業した。また2004年7月には足湯「ななくり」、2012年2月には足湯「大湯薬師の湯」が設置されている。

別所温泉を含む上田周辺は養蚕の活況で古くから賑わっていたため、明治時代には30を超える宿があった[3]。養蚕業の衰退とともに次第に数は減っていったが、2014年現在も約20軒の宿が営業する。伝統のある宿は、たいてい元蚕種屋で、湯治客に家の一部を間貸していたことから始まる[4]

歴史と伝承

開湯時期は不明だが、古代から存在していたものと見られる。

伝説では景行天皇の時代、日本武尊の東征の折りに発見されたと言われ、「日本最古の温泉」・「信州最古の温泉」の一つに挙げられている。『日本書紀』には天武天皇が「束間温湯」に行幸し入湯しようとした際、皇族の美濃王(三野王)に信濃の地形図を献上させ、軽部朝臣足瀬らに命じて行宮の造営を計画したとの記事があるが、この「束間温湯」が現在の別所温泉であるという説があり、北向観音山門前に「束間温湯」に関する解説板が立てられている(「束間温湯」については「束間」が「筑摩」に音通することから松本市美ヶ原温泉浅間温泉を指すものとする見解が通説となっているが、開湯時期がそれぞれ奈良時代平安時代後期と見られるため、天武天皇の時代には存在していなかった可能性がある。また神話に開湯の由来がある扉温泉のことと考える説もある)。平安時代清少納言が随筆『枕草子』(能因本)において「湯は七久里、有馬の湯(兵庫県)、玉造の湯(島根県)」(三名泉)と賞賛している「七久里(ななくり)温泉」が、この別所温泉のことを指すという説がある。

平安時代末期には木曾義仲が入湯したとの伝説がある。鎌倉時代には周辺の塩田平を本拠とした塩田北条氏建立による国宝八角三重塔を有する安楽寺北向観音が創建された。また信濃御湯として、名取御湯三函御湯または犬養御湯とともに三御湯に数えられた。順徳天皇の著作『八雲御抄』には「七久里の湯は信濃の御湯と同じ」という記述もみえ、これについては別所温泉のことを示しているとする説が一般的である。戦国時代には上田城真田氏とその家臣団が入湯していたという記録がある。江戸時代には上田藩主と家臣団が入湯。藩主の休息・湯治用施設であった通称「温泉屋敷」と庭園などが「大湯」脇に一部現存しており、調査が行われている(現在、温泉屋敷跡地は同地に開業した旅館の所有となっており、非公開)。また「御湯坪」として記録されている藩主・家臣用浴室は現在の「大湯」である。近代に至って北条氏とのゆかりや神社仏閣が点在する塩田平・別所界隈の様子を鎌倉になぞらえ、「信州の鎌倉」と例えるようになった。

作品との関わり

小説の舞台

近代以降、有島武郎川端康成ら多くの文人が訪れ、川端は『花のワルツ』(1936年刊行)を別所温泉の旅館で執筆している。また旅行記や随筆の題材に取り上げたり、断片的に残る別所温泉にかかわる史実や伝承を作品に取り入れた文人も少なくない。吉川英治は『新平家物語』において義仲が愛妾の葵御前を連れて「大湯」に入湯する場面を描いている。史料上の根拠はないが、「大湯」は「葵の湯」と宣伝されるようになっており、「大湯」の傍らには吉川の文学碑も建てられている。また戦国武将真田昌幸真田信之真田幸村関連の作品を数多く執筆した池波正太郎は取材のためたびたび上田市や別所温泉を訪れ、代表作の一つとなった『真田太平記』においては「真田幸村が「石湯」に頻繁に入湯していた」という設定を導入している。ただ幸村と別所温泉のゆかりについての史料上の根拠は確認されていない。こちらも『新平家物語』同様小説の中のフィクションに留まっているものの、宣伝効果を生んでおり、「石湯」は「真田幸村公隠しの湯」と形容されるに至っている。現在「石湯」前に立つ石碑の文字も池波の筆によるものである。

  • 池波正太郎の長編小説「真田太平記」において、若き日の真田幸村が入浴に訪れるなど、重要な場面にしばしば登場する。
  • NHK大河ドラマ「風林火山」 第37回の風林火山紀行では「枕草子にも記された温泉」として紹介された。

ロケ地

ほか多数。

アクセス

※千曲バスは上田駅から立川駅京都大阪方面への高速バスも運行している。

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ

  1. 暮らしがいきづく風景/上田市 別所信州デジくら
  2. 『健勝地高日本 : 信濃及濃飛両越参遠等高日本地方観光案内』藤原鎌兄 (高日本社, 1938)
  3. 『別所温泉誌』飯島寅次郎, 1900
  4. 『街道をゆく 信州佐久平みち』司馬遼太郎

関連項目

外部リンク

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