元帥 (アメリカ合衆国)

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オマー・ブラッドレー大将を元帥に昇進させるトルーマン大統領(1950年9月22日)

元帥(げんすい)は、アメリカ軍において軍人に与えられる最高位の階級である。

アメリカ軍には元帥そのものに相当する語はなく、階級名称に大将より上位であることを表す修飾語句を付け加え、階級章を変更することで元帥位にあることを表す。この項では大将(四つ星階級章将官)、および大元帥もあわせて解説する。

種類

アメリカ軍の元帥というと、一般には1944年に導入された General of the Army(陸軍元帥)および Fleet Admiral of the United States Navy(海軍元帥)を指すことが多いが、歴史上この他にもいくつか「元帥」と訳される階級が存在した。アメリカ軍における元帥(および大将)には次のものがある。

  • 1866年:陸軍大将 (General of the Army of the United States)
  • 1899年:海軍大元帥 (Admiral of the Navy)
  • 1919年:陸軍大元帥 (General of the Armies of the United States)
  • 1944年:陸軍元帥  (General of the Army)
  • 1944年:海軍元帥  (Fleet Admiral)
  • 1949年:空軍元帥  (General of the Air Force)

ただし定訳ではない。

大将 (四つ星階級章)

アメリカ軍最初の「Lieutenant General(中将)」だったジョージ・ワシントン1799年に死去したのち、合衆国政府は平時における軍の最高位を「Major General(少将)」と定めることとした。その後、米墨戦争で活躍したウィンフィールド・スコット陸軍少将が1855年に中将に任ぜられるまで、軍人の最高位は少将にとどまった。1861年にスコット中将が退役したのち、1864年3月2日にはユリシーズ・グラント陸軍少将が3人目の中将に昇進した。

一方海軍では長らく最高位は「Captain(大佐直訳は「艦長)」だったが、1862年7月16日に初めて「Rear Admiral(少将直訳は「後衛提督」)」の階級が定められ、9名の海軍少将が誕生した。1864年12月21日には南北戦争の英雄デイビッド・ファラガット少将が最初の「Vice Admiral(中将直訳は「副提督」)となり、さらに1866年7月25日には最初の「Admiral(大将直訳は「提督」)」に任ぜられた。1870年のファラガットの死にともない、デイビッド・ポーター海軍中将が大将に、スティーヴン・ロウマン海軍少将が中将にそれぞれ昇進したが、それ以降は1899年ジョージ・デューイ少将が海軍(大)元帥となったのを唯一の例外として(これについては後述)、1915年まで海軍軍人の最高位は少将にとどまった。1915年には、大西洋艦隊・太平洋艦隊・アジア方面艦隊の司令官をそれぞれ大将もしくは中将に昇進させることが議会で認可されている。

1866年7月25日、合衆国議会はユリシーズ・グラント陸軍中将の南北戦争での功績を讃え、グラントに「General of the Army of the United States(陸軍大将)」の地位を与えることを議決した。1869年3月4日には、やはり南北戦争の英雄であるウィリアム・シャーマン陸軍中将にも陸軍大将の地位が与えられた。当時の陸軍大将は、階級というよりは称号としての性格が強く、グラントは階級は中将(三つ星)扱いのまま、特別に四つ星の階級章を帯びた。またシャーマンは、二つ星の中間に合衆国国章をあしらった階級章を帯びることが許された。

1888年6月1日の法令により、陸軍中将の階級はいったん廃止され、陸軍中将は陸軍大将に吸収されることになった。これにより陸軍総司令官フィリップ・シェリダン中将が自動的に陸軍大将となり、同年8月5日にシェリダンが死去した時点で、陸軍軍人の最高位は再び少将となった。その後再び陸軍中将は復活し、1895年から1906年までの間に、総計で7名の陸軍中将が誕生している。

しかし第一次世界大戦への参戦にともない、陸軍軍人の最高位が少将もしくは中将では支障をきたすようになった。ヨーロッパでアメリカ軍とともに戦う他の連合国軍には大将級の指揮官がいたため、指揮系統のバランスをとるために、アメリカ陸軍の最高指揮官にもそれと同等の階級を与える必要性が生じたのである。このため、1917年には陸軍参謀総長のタスカー・ブリス少将が、1918年にはヨーロッパ派遣軍総司令官のジョン・パーシング少将がそれぞれ「General(大将)」に昇進した。パーシングにはその後さらに陸軍大元帥の地位が与えられている(これについては後述)。1918年にはペイトン・マーチ少将が陸軍参謀総長就任にともない大将となったが、その後、1929年まで陸軍大将は一人も出ていない。1929年以降は陸軍参謀総長が大将ポストになり、その職に選ばれた少将が参謀総長である間だけ大将となり、退任すると少将に戻ることが慣例化した。

大将(1866年制定、四つ星階級章将官)
氏名・任官時の階級 任官年月日 任官時の役職
ユリシーズ・グラント中将 1866年7月25日 陸軍総司令官
ウィリアム・シャーマン中将 1869年3月4日 陸軍総司令官
フィリップ・シェリダン中将 1888年6月1日 陸軍総司令官

元帥 (五つ星元帥)

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海軍元帥
襟章、肩章、袖章

第二次世界大戦にともないアメリカ軍の規模は一気にふくらみ、将官の数も著しく増大した。共同で作戦に当たるイギリス軍の指揮官に元帥がいて、ノルマンディー上陸作戦の後、連合国遠征軍最高司令官であるアメリカ陸軍大将ドワイト・アイゼンハワーの下に、地上部隊の最高司令官である第21軍集団司令官としてイギリス陸軍元帥バーナード・モントゴメリーが置かれた関係上、アメリカ軍でも大将よりさらに高位の階級が必要となった。

これをうけて1944年12月14日、新たに「General of the Army(陸軍元帥)」および「Fleet Admiral of the United States Navy(海軍元帥)」の階級を定める法令がアメリカ上院で制定され、陸海軍でそれぞれ4人ずつ、大統領が上院の同意を得て大将から元帥に昇進させることが認められた。これは、イギリス軍の「Field Marshal(陸軍元帥)」および「Admiral of the Fleet(海軍元帥)」にそれぞれ相当するもので、称号的色合いが強かった19世紀の陸軍元帥とは一応独立した、一個の階級である。階級章は星五つを五角形に配置したものと定められ、特に陸軍元帥の肩章には、星の上部に金色の合衆国国章が付け加えられた。

陸軍元帥の階級名として、他国で広く用いられている「Marshal(直訳は「戦闘指揮官」)」を採用せずに「General of the Army(直訳は「陸軍総指令官」)」としたことについて、しばしば「元帥をマーシャルにすると、最先任の陸軍元帥になるジョージ・マーシャルが「マーシャル・マーシャル」になってしまい不恰好」という理由が挙げられることがある。しかしこの説は俗説で、実際には19世紀の「General of the Army of the United States(陸軍大将)」を継承するかたちでこの名称が採用されたとの説が一般的である。またアメリカでは当時すでにMarshalは連邦保安官警察署長消防署長などの職名として広く用いられていた。

軍内での序列に応じた先任順位で元帥が任命され、陸軍はすんなり4名を任命したが、海軍は4人目の絞込みが出来なかった。海軍内での下馬評はウィリアム・ハルゼー大将であったが、海軍を実質的に牛耳っていたアーネスト・キング元帥は、その場合、お気に入りのレイモンド・スプルーアンス大将が選から漏れるとして決定を避け、ジェームズ・フォレスタル海軍長官に1番・スプルーアンス、2番・ハルゼーの他4人の海軍大将の名を記入したメモを渡して採決を委ねた。採決を委ねられたフォレスタルはこの順番を気に入らなかったが、決め手に欠け、数ヶ月間選考を放置した。結局フォレスタルは決定をトルーマン大統領に委ね、トルーマンは国民的人気が高く、下院海軍委員会のカール・ヴィンソン委員長が推すハルゼーを1945年12月に元帥とした。1946年4月アメリカ上院は元帥8人を終生現役待遇として保持する上院委員会の進言を承認、元帥にオフィスと副官1名、O-11の固定給と年俸15,750ドルの特別手当を生涯支給する事となった。スプルーアンスは元帥にはなれなかったが、退役後も終身、大将の俸給を受けるという前例のない待遇を連邦議会から認められた。

ところが文民統制により現役の軍人が合衆国大統領になることはできないため、陸軍元帥だったアイゼンハワーは大統領選挙出馬にあたって元帥位を辞さざるを得なかった。大統領を二期八年務めた後、次のケネディ大統領はただちにアイゼンハワーを「1944年12月20日に溯って現役の陸軍元帥に再任」している(「現役復帰」ではない)。

1947年に新たに空軍が創設された後、1949年5月にその最高位の階級として「General of the Air Force(空軍元帥)」が定められと、議会は、すでに引退していた空軍の先駆者の一人であるヘンリー・アーノルド陸軍元帥を空軍元帥に転じた[1][2]。その後、初代統合参謀本部議長に就任していたオマー・ブラッドレー陸軍大将が朝鮮戦争中の1950年9月、制服軍人のトップとして、すでに元帥であるアメリカ極東軍最高司令官ダグラス・マッカーサーを部下とする関係から元帥に昇進して以降、元帥になった者はいない。

冷戦時、戦略航空軍団の重要性が著しく高まった際に、北アメリカ航空宇宙防衛司令部司令官に元帥の地位を与える提案がなされたことがあったが、結局実現しなかった。1990年代には国防総省が、統合参謀本部議長を元帥に任ずるプランを示唆したこともあったが、この提案も未だに現実味を帯びていない。1991年湾岸戦争で多国籍軍を指揮したノーマン・シュワルツコフ陸軍大将へ元帥の地位を授ける案もあったが、本人が固辞したためこれも流れた。1994年1995年にはビル・クリントン大統領によって、コリン・パウエル退役陸軍大将に元帥の地位を与えることが計画されたが、この提案も議会を通過する見込みが少なかったため見送られることとなった。パウエルは1996年大統領選で、民主党の現職・クリントン大統領の対立候補として、共和党から立候補すると予想されており(実際にはしなかった)、このことも提案が見送られた理由の一つであった。

陸軍元帥(1944年制定、五つ星元帥)
氏名・任官時の階級 任官年月日 任官時の役職
ジョージ・マーシャル大将 1944年12月16日 陸軍参謀総長
ダグラス・マッカーサー大将 1944年12月18日 南西太平洋方面最高司令官
ドワイト・アイゼンハワー大将 1944年12月20日 連合国遠征軍最高司令官
ヘンリー・アーノルド大将 1944年12月21日 陸軍航空軍総司令官
オマー・ブラッドレー大将 1950年9月20日 統合参謀本部議長
海軍元帥(1944年制定、五つ星元帥)
氏名・任官時の階級 任官年月日 任官時の役職
ウィリアム・リーヒ大将 1944年12月15日 合衆国陸海軍最高司令官付参謀長
アーネスト・キング大将 1944年12月17日 合衆国艦隊司令長官兼海軍作戦部長
チェスター・ニミッツ大将 1944年12月19日 太平洋艦隊司令長官 兼
太平洋方面最高司令官
ウィリアム・ハルゼー大将 1945年12月11日 海軍長官付
空軍元帥(1949年制定、五つ星元帥)
氏名・任官時の階級 任官年月日 任官時の役職
ヘンリー・アーノルド陸軍元帥 1949年5月7日    

大元帥 (六つ星元帥 現役任官なし)

アメリカ軍には、上で述べた元帥(五つ星元帥)の他にも、理論上、「元帥」と訳される地位が存在する。以下、五つ星元帥よりもさらに高位(六つ星相当)に位置付けられているいくつかの階級について述べる。ただし後述のように実際には現役で任官された例はない。

陸軍大元帥

ジョン・パーシング

1919年9月8日ジョン・パーシング陸軍大将の第1次世界大戦での功績に報いるため、パーシングに「General of the Armies of the United States(陸軍大元帥)」の地位が与えられた。この階級のための特別な階級章も提案されたが、パーシング自身はそれを固辞し、生涯四つ星の大将の階級章で通した。当時、この階級は19世紀の陸軍大将よりも高位の地位だとみなされていた。

1944年に元帥(五つ星元帥)が制定された際、パーシングはまだ存命だったが、このとき、新たに誕生した元帥たちよりも序列の高いパーシングの扱いが問題となった。パーシングに対し六つ星の階級章を与えるのかと問われた、時の陸軍長官スティムソンは、陸軍大元帥であるパーシングが元帥(五つ星元帥)よりも高位であることを認めたうえで、しかしすでに退役して久しいパーシングのために新たな階級章を制定することはしないとの見解を示した。

ダグラス・マッカーサー(見送り)

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陸軍大元帥階級章 (案)

1945年、日本占領の準備を進めていた陸軍省(国防総省の前身)は、日本侵攻軍司令官に予定されていたダグラス・マッカーサー元帥を陸軍大元帥に昇進させることを検討していたが、このときは見送られることとなった。1955年には再びマッカーサーに陸軍大元帥の地位を与える提案が議会で審議された。しかしこの際は、もしマッカーサーが陸軍大元帥になった場合、元帥の地位に付随する様々な特権や恩給を失うことになる点が危惧された。また、マッカーサーに陸軍大元帥の地位を与えたとなれば、序列からいってジョージ・マーシャル元帥も陸軍大元帥に昇進させる必要が出てくるため、マーシャルも同様に、元帥の地位にともなう特権を失うおそれがあった。結局、マッカーサーはこの提案を辞退したため、新たな陸軍大元帥が誕生することはなかった。1945年にはマッカーサーの昇進に備え、陸軍賞勲局で陸軍大元帥のための階級章案(元帥の五つ星の中央に星を一つ追加した、六つ星のデザイン)が作成されたが、これは正式には制定されていない。

ジョージ・ワシントン

すでに述べたように、ワシントンは生前、中将に叙されていた。1976年6月4日、議会はワシントンに陸軍大元帥の称号を贈ることを決定した。当時のフォード大統領はこれと同時に大統領令によって、ワシントンを以後永久に序列最高位の軍人とすることを定めた。

陸軍大元帥(1919年制定、六つ星元帥)
氏名・任官時の階級 任官年月日 任官時の役職
ジョン・パーシング大将 1919年9月8日     ヨーロッパ派遣軍総司令官    
ジョージ・ワシントン中将   1976年6月4日  

海軍大元帥

ジョージ・デューイ

海軍にも陸軍大元帥に相当する階級が存在する。これは「Admiral of the Navy(海軍大元帥)」と呼ばれるもので、1899年3月2日に制定された。1903年3月24日米西戦争の英雄であるジョージ・デューイ少将を海軍大元帥にすることが議決される。これは、1898年マニラ湾海戦で大勝利をおさめた功績に報いるためのものだった。デューイは1899年3月8日に当時ただ一人の大将に昇進していたが、階級の制定された1899年3月2日に遡ってこの地位が与えられている。海軍大元帥の地位を与えられたのは史上デューイただ一人であり、1917年のデューイの死去にともない、この階級も消滅した。当時、この階級は四つ星の大将よりも高位で、イギリス海軍の「Admiral of the Fleet(海軍元帥)」と同格とされていた。しかし1944年に五つ星の「Fleet Admiral(海軍元帥、直訳は「艦隊提督」)」が制定されるにおよんで、1899年制定の「Admiral of the Navy(海軍大元帥、直訳は「全海軍の提督」)はそれよりもさらに高位に位置付けられることになり、陸軍大元帥と同格の六つ星相当となった。

海軍大元帥(1899年制定、六つ星元帥)一覧
氏名・任官時の階級 任官年月日 任官時の役職
ジョージ・デューイ少将    1899年3月2日     アジア方面戦隊司令官      

海軍旗旒提督

チェスター・ニミッツ(見送り)

1945年、日本侵攻軍の海軍部門を指揮する予定だったチェスター・ニミッツ元帥のために、陸軍大元帥および海軍大元帥と同格の「Flag Admiral(旗旒提督(きりゅう ていとく)直訳は「旗艦提督」)」という階級が検討されたことがあったが、これは結局提案にとどまった。

脚注

  1. U.S. Army Five-Star Generals (U.S. Army Center of Military History)
  2. GENERAL HENRY H. ARNOLD (Official USAF Biography)