佐野慈紀

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テンプレート:Infobox baseball player 佐野 慈紀(さの しげき、本名:佐野 重樹(読み同じ)、1968年4月30日 - )は、愛媛県松山市出身の元プロ野球選手投手)、野球解説者野球評論家

現在は、サンケイスポーツ(大阪版)にて評論家活動を行っているほか、読売テレビTigers-aiでのプロ野球中継、NHK-BSでのメジャーリーグ中継で解説を務めている。

また、BCリーグ石川ミリオンスターズ取締役も務めている。

愛称は「ハゲ魔神」。

経歴

松山商業高校時代のテンプレート:By水口栄二らと夏の甲子園に出場して準優勝に貢献した(当時は右翼手兼控え投手)。近畿大学工学部(キャンパス)進学後、同学部内硬式野球部(広島六大学野球連盟所属チーム)でエースとなり、テンプレート:Byドラフト3位で近鉄バファローズに入団。ルーキーイヤーのテンプレート:Byでは中継ぎ中心に登板して6勝を挙げた。

テンプレート:Byには、防御率2.00(厳密には1.995)を挙げ、近鉄では主に中継ぎ投手として活躍。テンプレート:Byオフには中継ぎ投手として日本プロ野球史上初の1億円プレーヤーとなる。

しかしテンプレート:By、肘の故障で一軍登板はなく、テンプレート:By7月7日福岡ダイエーホークス戦でプロ初完封勝利を無四球で挙げるも[1]、不本意な成績に終わり、同年オフに小池秀郎善村一仁とともに、門倉健東瀬耕太郎古池拓一との交換トレードで中日ドラゴンズへ移籍(同時に登録名佐野 慈紀に改名)。しかし中日でも結果を残せず、テンプレート:Byオフに戦力外通告を受け、渡米。

テンプレート:Byアメリカ独立リーグエルマイラ・パイオニアーズでプレー。テンプレート:Byロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約するも、メキシカンリーグメキシコシティ・タイガースに移籍した後、エルマイラ・パイオニアーズに復帰する。

テンプレート:Byオリックス・ブルーウェーブにテスト入団。入団テスト合格を祝して、近鉄時代の先輩であり同僚となった吉井理人にシェービングクリームで作られたクリームパイを顔面に押しつけられ祝福される。しかし一軍登板は2試合にとどまり、再度渡米。テンプレート:Byからテンプレート:Byまで再びエルマイラ・パイオニアーズに所属。

2006年よりサンケイスポーツ(大阪)評論家。また日本とアメリカそれぞれで野球チームを野茂英雄と共同運営している。

2011年独立リーグBCリーグ石川ミリオンスターズの応援広報大使を務め、翌年の2012年より取締役に就任している。

人物

球界きっての明るい性格・芸達者で知られ、若手時代から髪が薄いことを自虐ネタとして大いに披露していた。島田紳助からは「今すぐ引退してお笑い芸人になっても十分生活できる」と絶賛されるほどであった。

  • 自らを『チビで、デブで、ハゲ』と三拍子揃っていると自慢していた。
  • 対オリックス戦でワインドアップの際、高々と上げた両腕が帽子に当たり、帽子がずれて頭があらわになってしまった。このまま投げていいものか迷っていたら、打者の中嶋聡が笑いながらタイムをコールし、投げずに済んだ。その年のオフに『プロ野球珍プレー・好プレー大賞』にゲスト出演した際に「これは何投法と言うのですか?」と聞かれ、自ら「必殺!テカテカ投法」と命名。リクエストに応え、番組放送直前に行われた東西対抗野球で披露し、番組内でVTRが流された。
  • 自虐的な歌「♪ハゲ、ハゲ、ハゲ・ハゲ・シゲ~ みんなで歌おう ハゲ・ハゲ・シゲ」というゲゲゲの鬼太郎の替え歌を同僚の池上誠一と歌っていた。
  • 「カツラ業界の皆さん、ドラフト1位でどうですか?」アルシンドになってるよー!」などの持ちネタがあり、アートネイチャーのCM曲の替え歌「男はオオカミ 俺は少髪(しょうかみ)」なども歌っていた。
  • プロ野球オールスタースポーツフェスティバル』で、ハゲ頭のカツラをつけて登場し、バスケットボールシュートをする際、ボールをドリブルしゴールに近づいた瞬間にカツラを取り、それをボール代わりにシュートして大爆笑を誘った。
  • 近鉄時代の1999年に当時の大阪府知事の横山ノックが大阪ドームで始球式に登場した試合の先発を務めたが、プロ野球の珍プレー・好プレーの特番でほぼ同じ箇所がハゲていたせいかノックとのツーショットシーンを「親子競演(ノックが佐野の父親)」などと言われたことがある。
  • オリックス在籍時は、その頃から自分と同じく頭が薄い和田一浩(当時,西武に在籍)をライバル視していた。
  • そのユーモア精神は今も健在であり、野茂主催のチャリティー野球教室で、勢い余ってフェンスに激突し、司会の人に「佐野さん、怪我ないですかー?」と聞かれ、「はーい怪我(毛が)ないでーす…やかましいわ!!(笑)」と言い、場内を爆笑の渦に巻き込んだ。
  • 「テカテカ投法」は最終的に「ピッカリ投法」と言う名前に落ち着き、プロ野球マスターズリーグモルツドリームマッチなどのOB戦では牽制球の際にも帽子を落とす「ピッカリ牽制」も見せている。
  • セガサターンソフトプロ野球チームもつくろう!では、選手のデフォルメキャラクターは通常所属しているチームの帽子をかぶっているが、佐野のデフォルメキャラクターは帽子をかぶっておらず禿頭で、おでこの部分に近鉄の猛牛マークの刺青を入れている設定になっている。なおこのゲーム内でプレイヤーが近鉄以外の球団を経営し、トレードなどで近鉄から佐野を獲得した場合、前述の刺青は反映されず、禿頭のままになる。

現役時代は個人ホームページを開設し、ファンからの質問にも丁寧に答えていた。また、このホームページ上で着信時に頭の部分が光るサノピーストラップなるキャラクタグッズを販売していた。

野茂英雄の親友としても知られ、野茂がシーズンオフに帰国すると連れ立って吉井理人赤堀元之らと共にバラエティ番組に出演していた。自ら「野茂成金」と公言していた。以前に野茂と一緒に出演した「さんまのまんま」では、少年野球教室にチャリティーで来てくれないかと野茂と一緒に明石家さんまに依頼した。その際に、野球教室にさんまがノーギャラで駆けつけることを半ば強制的に約束させただけでなく、野球教室に必要な資材や、今後の野球人口育成のためにボール・バット等の寄付をねだった。挙句の果てにはさんまから「そんな事言われても、訪問するのにも準備要るし、行ったらすぐに帰れへんやないか。(場所は大阪だったらしいが)第一泊まりの準備もいるやろ」と文句を言われたら、すかさず「ウチ(佐野の自宅)に泊まって下さいよ~!」とあっさり返し、これにはさんまも「撃沈」されてしまった。

詳細情報

年度別投手成績

テンプレート:By2 近鉄 38 0 0 0 0 6 2 2 -- .750 319 73.0 82 7 30 1 1 57 2 0 33 31 3.82 1.53
テンプレート:By2 31 1 0 0 0 4 2 1 -- .667 273 62.1 67 6 24 2 4 44 2 0 30 29 4.12 1.46
テンプレート:By2 43 0 0 0 0 2 3 3 -- .400 305 76.2 67 8 27 4 2 44 1 0 17 17 2.00 1.23
テンプレート:By2 47 0 0 0 0 8 4 2 -- .667 384 93.1 95 6 22 2 1 51 1 0 39 36 3.47 1.25
テンプレート:By2 44 0 0 0 0 10 4 6 -- .714 336 79.2 77 12 27 6 1 55 0 0 36 31 3.50 1.31
テンプレート:By2 57 0 0 0 0 5 3 7 -- .625 407 97.2 96 12 22 2 4 75 0 0 38 32 2.95 1.21
テンプレート:By2 52 2 0 0 0 2 5 5 -- .286 326 73.2 96 6 24 5 1 47 2 0 38 32 3.91 1.63
テンプレート:By2 28 8 1 1 1 3 8 1 -- .273 325 72.1 85 13 27 1 5 26 1 0 46 44 5.47 1.55
テンプレート:By2 中日 11 0 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 77 16.2 22 7 7 1 0 15 1 0 17 15 8.10 1.74
テンプレート:By2 オリックス 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 20 3.0 12 1 0 0 0 0 0 0 7 7 21.00 4.00
通算:10年 353 11 1 1 1 41 31 27 -- .569 2772 648.1 699 78 210 24 19 414 10 0 301 274 3.80 1.40
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰

記録

  • 初登板:1991年4月9日、対福岡ダイエーホークス1回戦(藤井寺球場)、8回表に4番手で救援登板・完了、2回2失点
  • 初奪三振:同上、8回表に岸川勝也から
  • 初勝利:1991年5月25日、対福岡ダイエーホークス8回戦(鹿児島県立鴨池野球場)、7回裏2死に3番手で救援登板・完了、2回1/3を無失点
  • 初セーブ:1991年7月6日、対オリックス・ブルーウェーブ16回戦(グリーンスタジアム神戸)、8回裏2死に3番手で救援登板・完了、1回1/3を無失点
  • 初先発:1992年9月24日、対オリックス・ブルーウェーブ26回戦(グリーンスタジアム神戸)、6回2/3を2失点(自責点1)
  • 初先発勝利:1997年8月14日、対オリックス・ブルーウェーブ19回戦(大阪ドーム)、7回1失点
  • 初完投勝利・初完封勝利:1999年7月7日、対福岡ダイエーホークス17回戦(大阪ドーム)

背番号

  • 37 (1991年 - 1994年)
  • 14 (1995年 - 1999年)
  • 31 (2000年)
  • 68 (2003年)

登録名

  • 佐野 重樹 (さの しげき、1991年 - 1999年)
  • 佐野 慈紀 (さの しげき、2000年 - )

関連情報

現在の出演番組

過去の出演

※ともに松嶋菜々子との競演

脚註

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

テンプレート:近鉄バファローズ1990年ドラフト指名選手
  1. 2000 ベースボール・レコード・ブック 94〜95頁 1999年度主要記録集「佐野が9年目の初完封」より。