佐藤ゆかり

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テンプレート:混同 テンプレート:政治家 佐藤 ゆかり(さとう ゆかり、1961年8月19日 - )は、日本政治家自由民主党所属の参議院議員(1期)。

経済産業大臣政務官衆議院議員(1期)、自民党副幹事長などを歴任。

来歴

政治活動と不倫報道など

第44回衆議院選挙で当選

2005年8月24日、佐藤が細江茂光岐阜市長のもとに立候補のあいさつに訪れた際、市長から握手を拒否される。この模様が全国放送されたため、市長に苦情が殺到した[9][10]

2005年9月の総選挙後、公職選挙法違反である有権者宅への戸別訪問を行う映像が『真相報道バンキシャ!』(日本テレビ)で報道され、これを市民団体に告発された(総務省の見解では複数の有権者宅へ戸別訪問した場合、公職選挙法違反の適用を受けるため)。同団体に別件で告発された杉村太蔵らと共に週刊誌に“お騒がせ議員”として叩かれ[11]、佐藤も自身のサイトに戸別訪問をしない旨の注意書きを書いた

2005年10月23日、レッズランドを視察した際に記者からの「Jリーグでどこか特定のチームを応援していますか?」という質問に対し、「私は日本リーグを応援しています。」と答え一部サポーターの話題となる。

2005年11月6日、早稲田大学での与野党の討論会で「(子供を産む女性も)自助努力で頑張っていくことが大事」と発言したことが報道され、子育てや女性の立場を理解しているのかと、物議をかもした。[12][13][2]

2005年11月7日、正式な役職ではないが、自民党幹事長補佐に任命された[14]

2006年12月、野田聖子が復党すると、『私が(選挙区・岐阜1区の)支部長』とテレビを通じ次期選挙での小選挙区公認候補を譲る意思のないことを強く主張した。国会閉会日の12月19日に議場で野田が佐藤に近づき握手を行った[15]。この対立は、2008年2月、佐藤が東京5区に選挙区を転出するまで続いた。(→岐阜1区騒動に解説)

2006年12月経済産業委員会の採決を無断欠席したことで、党国対委員会によって、同様に経産委員会を無断欠席した片山さつき議員と共に「所属常任委員会を変更」「国会開会中海外渡航を1年間禁止」「2007年3月まで国対委員会へ出席停止」という処分が下された[16][17]。また、佐藤は11月10日財務金融委員会(関税暫定措置法採決)も無断欠席しており[17]、その委員からも外された。両議員とも決算行政監視委員会に変更されたが、後に復帰した。

2007年7月、議員在籍年数に比して議員秘書の辞職者が多い[18]が、佐藤は「私の事務所よりも多数の秘書が辞めた議員もいる」とコメントした[19]

2007年9月8日、佐藤が代表を務める自民党岐阜県第1選挙区支部が、平成17年の政治資金収支報告書に自民党本部からの交付金300万円を記載せず、昨年9月に県選管に訂正を届け出ていたことが分かり、佐藤の事務所は「選挙運動費用収支報告書には記載しており、それで十分だと思っていた」とコメントした[20]

2008年2月、自民党本部(古賀誠選対委員長)は岐阜1区の公認問題を終結させるために候補者調整を行い[21][22][23]する小杉隆元文部大臣の後任として、佐藤を衆院東京5区に“国替え”させた(→岐阜1区騒動に解説)。一部の報道に『里帰り』『5区で育った』等の表記がある[24]が、佐藤は東京6区世田谷区代沢に生家がある。

2008年4月小池百合子猪口邦子、佐藤ゆかりで政策提言ユニット「TPL」(Tokyo Projects of/by/for Ladies)を結成[25][26]。同年9月、総裁選小池百合子候補の推薦人となり[27][28]、同陣営の経済・金融政策担当の総裁選マニフェスト立案を行った。

2009年6月、総選挙を前に麻生内閣の支持率が低迷したため、佐藤は『マニフェストを通じた総裁選を事前に行って改革路線を堅持する党のリーダーを決めよう』と、両院議員総会の開催を呼びかける署名活動をし、“麻生おろし”に一役買った[29]。 佐藤は同7月に夕刊フジ[30]やラジオ番組[31]などで「麻生降ろしではない」と弁明するも、中川や武部が麻生批判を繰り返したこともあり[32]、直後に行われた2009年東京都議会議員選挙に悪影響を与え、自民党は歴史的惨敗を喫した[33]。この選挙結果に自民党都議団は『“麻生降ろし”議員は応援しない』と強く抗議[34]。佐藤は都議団へ弁明し[35][36][37]、再度、複数のマスコミのインタビューに『私は親麻生。反麻生ではない』と報道させ、マスコミが反麻生派だとレッテルを貼ったと責任転嫁した[38][39][40]

第45回衆議院選挙で落選

2009年8月30日に行われた第45回衆議院議員総選挙には自民党公認のほか公明党の推薦を受けて東京5区から出馬した[41]が、自民党への大逆風のため民主党の手塚仁雄に敗れ、比例復活ならず落選した[7][42][43][44][45][46]

不倫報道とバッシング

「不倫メール500通」報道

“小泉マドンナ刺客作戦”の正体見たり 佐藤ゆかり「不倫メール」500通「個人情報」を有権者に隠す本当の理由--(週刊文春2005年9月8号PR)</blockquote> 記事は佐藤の過去の男性関係が赤裸々に書かれ、メディアによって仮名となっているお相手探しが行われたりした。これに対し佐藤は週刊文春の記事を悪評の流布(いわゆる“紙爆弾”)として対処。選挙中は報道を一切無視し、記者に質問されても沈黙を守った[47]

しかし選挙後は一変し、週刊誌による不倫疑惑報道をネガティブキャンペーンとみなし“選挙妨害”と主張した[48][49]。選挙直後の討論会ではメディア規制に賛成する立場に立ったため、メディア規制反対の立場の櫻井よしこにたしなめられたりしたが[50]、2006年8月7日販売の婦人公論8月22日号[51][52][53]などで「不倫メール」報道を“謀略”との主張を展開した。また事務所を通じウィキペディアにも抗議をした。佐藤のメディアへの反撃は“個人のブログへの規制”にまで言及している[54]

なお週刊文春の「不倫メール500通」報道は他のいくつかのメディアでも取り上げられた[55][56][57][58][59][60]

「不倫デート」報道

[カメラは見た!]懲りない「佐藤ゆかり」 今度は〈48歳〉議員と「不倫デート」 元祖「不倫メールの女」と「花街育ちの代議士」(週刊新潮2006年6月22日号PR)

同僚の江崎洋一郎衆院議員と神楽坂のフレンチレストランで会食していた模様を週刊新潮にスクープされ、“不倫デート”と報じられた。 記事中の江崎のボディータッチについて、佐藤は「散発的な不規則行為」「不倫ではなくセクハラ」とし、乃木坂のフランス料理店の支払い明細のコピーを示したりして、不倫疑惑を全面否定。テレビ[61]や自身のHP[62]で反論した[63]。江崎も事実を認め謝罪した[64][65]。 また佐藤は会食の場所などの情報が週刊誌に漏れたのは事務所にスパイがいると考え、全ての関係者に守秘義務の誓約書を書かせたり、または秘書を入れ替えたりしたとされる[66][67][68]

バッシング報道

週刊誌やタブロイドからのバッシング報道は不倫疑惑だけに留まらず、公職選挙法違反の告発[11]、出資詐欺への関与[69]、秘書の金銭トラブル[70][71][72][73]政治資金収支報告書の未記載[20]、または委員会採決欠席[74][16]、議場での居眠り[75][76]、審議中の写真撮影[77]、さらには相次ぐ“ドタキャン”[78][79][80]、車の事故[81]、出身地偽装[82]、果ては“化粧の濃さ”[83][84]、または“男性への媚び”[85]、“目力”(めぢから)[86][87]など多岐に渡った。

このため佐藤は“メディア嫌い”[88]であり、メディア(特に週刊新潮)に対して抗議を続けたり[62][89][90][91][92][93][94][52]、議員宿舎の玄関で佐藤を取材しようと待っていた写真週刊誌記者を威嚇したり[95]、岐阜での会合ではテレビカメラの前を通過する際にレンズを手で押さえつけた[96]こともある。

岐阜1区騒動

あらまし

2005年8月、郵政解散を受けた第44回総選挙で、郵政関連法案に反対した野田聖子元郵政大臣への「刺客」として岐阜1区に女性エコノミスト佐藤ゆかりが自民党より公認される。[97]。 選挙戦の序盤から候補者の一挙手一投足が過熱に報道され、また佐藤の過去の不倫疑惑が週刊誌から報道されるというネガティブキャンペーンが行われたこともあり、全国に注目された[98][99]。自民党岐阜県連及び岐阜市の自民党市議らは野田・佐藤の二派に分裂・対立し、激しい争いを繰り広げた。

総選挙の結果、野田は選挙区で5選を果たし、佐藤も比例で復活当選したため、“二虎”が並び立つこととなった。

総選挙後、自民党執行部(武部勤幹事長)などが求めた離党勧告に従い野田ら“郵政造反組”は自民党を離党。更に野田を支持・支援した岐阜県連の幹部(県議)らも離党勧告に従い離党した。[100] その後、佐藤は野田支持派の多い自民岐阜市連の役員になろうとしたり[101][102]、岐阜市政に影響力を発揮しようとしたことで、野田派との感情的な対立がエスカレート、[103]、岐阜市内で与謝野馨担当大臣(当時)などが“融和”を、河野太郎などが“非融和”を訴えるなど中央政界を巻き込んだ政治的な対立となった[104]。ただし、佐藤の岐阜市内の支持派は野田聖子の支持派に比べ(市議会議員の人数でも、支援者の人数でも)少数派で、選挙区奪取には劣勢であった。

自民党執行部が安倍体制に代わると、保守層の再結集のために2006年12月4日に野田聖子を始めとする保守系無所属議員が自民党に復党した。

それに先立ち佐藤は野田らの復党反対の署名を集めるが、その署名を自民党本部に提出する際、国会の委員会採決を無断で休んだことにより、野田聖子の復党と同じ日(2006年12月4日)に党から処分を受けた[74]

野田の復党後も佐藤は党内融和を行わず[105]、12月11日に「岐阜1区の支部長は私」、「100%従わないと握手しない」等の発言を記者会見で行い、また野田聖子が党員による予備選挙での公認候補決定をと同月10日に提案したがこれも拒否し、一歩も引かなかった[106][107]。自民党岐阜県連会長の金子一義衆院議員は、佐藤の「野田議員が100%協力してくれれば握手をする」との発言に『それは僭越。『100%私の言うことを聞け』なんて政治家の発言ではない」と批判した[108]

2007年4月、統一地方選(岐阜県議選、岐阜市議選)が行われたが、自民党の中で佐藤派と野田派に分裂した選挙戦となった[109][110]。また野田派県議へのこの県議選での公認を佐藤は「反党行為があった」として拒否し、公認を数ヶ月遅らせるなど確執が表面化した[111][112]

2007年7月、佐藤事務所がインターネット掲示板に野田聖子の悪口を書いたと元秘書により週刊誌に告発された[19][113]

2007年8月10日、野田聖子事務所への放火事件が起き、同時に佐藤を中傷するビラも路上にまかれる事件が発生した。犯人は不明とされる[114][115][116]

2007年10月8日、放火された野田の事務所が再開されたが[117]、その前日の7日に、佐藤の後援会「キラリ岐阜ゆかり会」の設立総会が行われた[118][119]

佐藤は野田の復党後も次回(第45回)総選挙でも引き続き岐阜1区支部長として公認するよう党本部に求めていたが、福田政権となって地元から選挙区調整を行うよう申し入れがあり、古賀誠自民党選対委員長らによる調整の結果[120][121][122]2008年1月、自民党は独自の世論調査で“頭一つの差”で優勢な野田聖子を同選挙区の公認候補とする方針を決定した[123]。また、佐藤は東京5区への転出がうわさされ始めた[124][125]。これに対して佐藤の後援会役員及び秘書らが街頭で岐阜残留を求める署名を行い対抗し、2万以上の署名が集まった[126][127]。(東京5区への転出説は以前にもあった[128][129])。

協議の結果、衆院東京都第5区への転出が決まり[130][131]、同2月8日、党本部内の記者会見[132][133]で野田・佐藤両者が握手を行い[134]、円満解決を演出した[5][135][136][137][138]

騒動その後

選挙区の公認争いは決着したが、両者の対立の“しこり”はその後も続き[139][140]、佐藤が“国替え”した後の“立命館高校誘致(市岐阜商廃止)問題”を契機に岐阜市の自民会派は分裂した[141][142][143]。また2009年衆院選では自民党への大逆風の中、佐藤の元支持者らが自民党から離党し[144]、さらに佐藤派だった笠原多見子県議会議員が自民党を離反して県議を辞職し民主党に鞍替えして衆院比例区候補となった[145][146]りして保守層が分裂、野田聖子は選挙区で落選(比例復活)の苦杯をなめた。 一方、東京5区に“国替え”した佐藤も自民党への大逆風と後援会組織の構築が間に合わなかったこと(同選挙区で議席をもっていた自民党・小杉隆の協力もなかった)により落選した[7]

第22回参議院選挙で当選

2010年7月11日に行われた第22回参議院議員通常選挙には自民党公認で衆院東京5区支部長から鞍替えして比例代表から出馬。比例順位2位で初当選。

日本アムウェイへの関与問題

2008年10月マルチ商法業者が問題視される中で、日本アムウェイと関りがあるとして、自民党の野田聖子吉田六左ェ門猪口邦子などと共に名前があがった[3]。佐藤は日本アムウェイが主催する集会に参加したとされる。

政策

『国会みずから改革宣言』というスローガンを掲げている[147]

旧姓続称を認める制度改正

2005年当時の)野党主導の選択的夫婦別姓案に反対している[148][149]が、結婚後も旧姓続称のみを認める(すなわち旧姓続称は認めても氏の存続は認めない)制度改正を主張している。[150]

経済政策維新

『経済政策維新』とは2005年の総選挙でHPに公表した経済政策中心の政策提言[151]のこと(この『経済政策維新』は佐藤がかつて経済産業省の委員会において外資系証券会社のエコノミストとして発言した趣旨[152]でもある)。総選挙向けの政策提言としては、「規制緩和なくして、増税なし」、「サラリーマンと企業の新たな共存方法」等が書かれ、『一般家計向けの「株式投資優遇税制」の再設計が急務』とし、株式から配当を得る家計を推奨した。

この『経済政策維新』で注目された部分は以下である。
ビジネスモデル上、企業の利益最大化の答えが固定費削減である限り、人件費は今後も抑制傾向が続く…(中略)…家計にとり、合理的選択とは、企業活動に貢献する一方で、収益を上げそうな企業の株主にもなり、収益が上った企業から非給与所得という形で株主還元を受けること

小国資本主義・日本

『小国資本主義・日本』とは佐藤の処女本『日本経済は大転換できる!』の核となる政策提言。相対的に小国化する日本に向いた国家経済モデルとして、政策的な主力を内需振興策から転換し、新興諸国向けの輸出主導型経済と、それを支えるための積極的な新興経済への対外投資(金融資産の運用効率の向上による資本ストックの維持)を両輪とした「資本化国家」の提唱である。

保守主義思想

佐藤は「保守の理念」として「相互扶助と自立の精神で互いに助け合い努力する、日本社会の繁栄の礎ともいえる思想。この保守理念のもと、政治は万民均等機会の提供に腐心し、そこから先一人ひとりの自由と尊厳ある営みにはできるだけ干渉せず、しかし機会に恵まれず助けを必要とする人たちには温かい支援を行う」としている[37]

その他

“ゆかりタワー”

JR岐阜駅前の“岐阜シティ・タワー43”のこと。2005年ごろ、佐藤が自民岐阜1区支部長だった頃に中央から補助金(“刺客手当”)を得て建てたとされる駅ビル。岐阜では一部に『(佐藤ゆかりが建てたから)ゆかりタワー』と宣伝されたが、実は駅ビルは佐藤が岐阜に刺客として来る前から既に着工されており、佐藤は中央の補助金カットを取り戻しただけである。[153][154][155]

なお佐藤がPRに作らせたお土産菓子“ゆかりたんの岐阜改革物語”(鮎パイ)[156][157]には当時まだ完成していない駅ビルが描かれた。

ふるさと税

ふるさと税構想とは2006年5月頃に佐藤がHPで公表した政策提言[158]。佐藤の考えた「ふるさと税」とは“納税番号制度”を用いて納税者の地方税の一部が納税者の“ふるさと”に移譲されるというもの(佐藤は証券業界のエコノミスト出身の議員らしく納税番号制度(納税者番号制度)の導入に積極的な立場)。同年7月1日の“新生銀行リテール5周年感謝セミナー”での講演でも「ふるさと税」について発言し、その内容が7月30日付けの日本経済新聞内の銀行の広告として大きく広告された。この「ふるさと税」は、後の2006年自民党総裁選で谷垣禎一財務大臣(当時)が取り上げたり、河野太郎議員も言及した[159]。 但し、ふるさと税構想は、佐藤の選挙区岐阜1区の野党系元候補者の過去の公約と類似点があり、『政策のパクリではないか』と日刊ゲンダイに指摘され[160]、佐藤は『エコノミスト時代の発案』としている。また与党内でも最初の提言者が誰かの様々な主張がある。

支援団体

佐藤家は代々日蓮宗檀家だといい、衆院議員時代に日蓮宗の国会議員組織「法華一乗会」のメンバー入りした[161][162][163]

2010年参院選では宗門から推薦された[164][165][4][166][167][168][169]。同宗教団体の元宗務総長を後援会長、全国11教区の教区長を副会長とする体制を敷き、身延山久遠寺をバックにした大型ポスターやチラシを宗門寺院に送りつけるなど、選挙を「宗門運動」に位置付けた[167]

議員以前の活動

1998年から2005年まで、外資系証券会社のエコノミストとして活動していた。2005年総選挙に立候補した時点の肩書は、外資系証券会社クレディ・スイス・ファースト・ボストン証券(CSFB)におけるチーフ・エコノミスト兼経済調査部長(同社での在籍は2004年9月から1年間)[170]

  • 2004年にアメリカの投資情報誌「インスティテューショナル・インベスター」誌上の投票で日本経済レポート担当のエコノミストとして第2位となった[171](1位はロバート・フェルドマン))ほか、週刊エコノミストのランキングにも入った。日本経済の動向調査とレポートの仕事[172]をしながら、新聞や経済誌などに寄稿又はインタビューをうけたり[173][174][5]、経済についての講演や対談[175]、また経済番組などにTV出演[171]をした[176]
  • 金融業界でエコノミストたちがほぼ右へならえの弱気予想でいる時に、佐藤一人バブル崩壊の恐れを指摘した。日本経済のターニングポイント(転換点)を独自の予想で何度か的中させてマーケットの話題になったため、経済誌では「逆張りの佐藤」と呼ばれたこともあった[177]
  • 投資銀行インベストメントバンク)のエコノミストとして日本経済の構造分析や政策提言を行う一方、活躍は証券会社内に留まらず、財務省や経済産業省の委員会の委員、自民党の民間アドバイザーを務め、また地域経済を活性化させる提言を講演(例:2005年7月31日、埼玉県蕨市でのレッズランドについて講演[178])をした。
  • 2004年度に早稲田大学大学院公共経営研究科の兼任講師を務め、獨協大学でも教鞭をとっている[170]。またニューヨーク大学では、博士課程在籍中に教鞭をとった。
  • 2005年4月、日本経済新聞紙上で小泉首相の郵政改革を「350兆円の郵貯・簡保資金を低い金利で民間に回す道筋が不透明。国債消化を優先し、金融の効率化が期待できない」として、50点(落第点)を付けた[179]

人物

  • 2005年の総選挙出馬に際し選挙区が岐阜1区(岐阜市)に決まったことに対して、当初「2月に観光でライトアップの時期の白川郷に行き、岐阜にはまた何度でも来たいと思っていたら、まさか選挙活動に来るなんて、という気持ちです」と急造の落下傘候補のため選挙区と無関係の地名を出した[180][6]が、党本部から注意され新幹線でJR岐阜駅に到着するとホームで「岐阜に嫁ぐ気持ちでやってきました」と言い直した[181][182]
  • 女性誌で、“私なら家政婦を3交代で雇って子育てをする”と語ったことがある[183]。また、母親が多忙で家政婦任せのため、“おふくろの味を覚えてない”とも語っている[184]
  • 世田谷っ子。世田谷で生まれ、代沢小学校を卒業。佐藤栄作元総理とは近所づきあいだった[185]
  • 学生時代は“地球人になる”をモットーに国連の職員を目指していた[186]
  • 中学校時代は陸上部に所属[187]、上智大学時代は少林寺拳法部に所属。
  • 大学生になると、タイインドシナ難民キャンプにボランティア活動を行い、アメリカ留学中は地域小学校の総合学習で、アメリカ人の子供たちに日本の凧(たこ)を教えた。
  • 留学時代、政治ジャーナリスト末延吉正テレビ朝日の番組取材(1988-1989年米大統領選ブッシュ陣営への同行取材)を手伝った[188]

家族・親族

実家
  • 母親のみどりは探偵[190][191]。母は祖母の事業を引き継ぎ父と共に「佐藤みどりリサーチセンター」という興信所を経営していた[192]
  • 家族(両親兄)がいずれも故人であり、相続で都内など複数に住宅・宅地・山林を所有[193][194][195]。株への投資は相続した二銘柄のみ(本人は資産運用に興味無しとコメント)。平塚に賃貸物件(アパート)を所有[196][197][198][199]
自家
  • 現在独身、結婚・離婚歴あり、子供なし[53]。離婚した元夫はテレビ朝日報道マン。2005年総選挙出馬の際の記者会見では家族構成や婚姻の有無を聞かれたが個人情報として明らかにしないことも。その後、女性雑誌のインタビューで複数回、結婚願望や子育てについて答えた[200][201][53]
親戚
  • 父方の姻戚に英国大使を務めた後、自民党の国会議員となった松本俊一、社会党の議員松本賢一がいる[202]

略歴

所属団体・議員連盟

著作

単著

共著

脚注

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関連項目

外部リンク

  • 『自民が女性、公募で上回る 「本家」の民主しのぐ』 2005年9月12日 共同通信
  • 『ゆかりタンは「1票もいらない」…野田聖子が絶叫 「比例でもう通ってます」』 ZAKZAK 2005年8月30日
  • 『「非エリート」自分で道切り開いた』 スポーツ報知 2005年8月25日
  • 『記者の目:「刺客」戦術 大当たりした首相だが…』 毎日新聞 2005年9月21日
  • 5.0 5.1 『佐藤ゆかり氏&野田聖子氏“和解会見”』 スポーツニッポン 2008年2月9日
  • 東京 小選挙区 総選挙2009 読売新聞電子版 2009年8月31日
  • 7.0 7.1 7.2 『佐藤ゆかり返り討ち…萌え萌えも、逆風に耐えきれず』 ZAKZAK 2009年8月31日
  • 『チルドレンが派閥入り 猪口、片山、佐藤3氏』 産経新聞 2010年7月22日
  • 『ゆかりタン可愛そう…岐阜市長握手拒否で苦情殺到 ネットに書き込み1000件』 ZAKZAK 2005年8月25日
  • 握手拒否についての市長の質疑応答 岐阜市 平成17年市長の記者会見 2005年8月25日
  • 11.0 11.1 『小泉チルドレンの“お荷物コンビ”にまたトラブル 「【ピンチ!?】佐藤ゆかり【公選法違反】&杉村太蔵【国民年金法違反】」が検察庁に告発された』 FRIDAY 2005年10月28日号
  • 『自民&民主マドンナが早稲田でバトル』 スポーツニッポン 2005年11月7日
  • 『女性議員6人、熱く討論 少子化など早大で3時間』 共同通信 2005年11月6日
  • 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「yomiuri20051107」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
  • 『しばし休戦? 野田聖子議員と佐藤ゆかり議員が握手』 朝日新聞 2006年12月19日
  • 16.0 16.1 『無断欠席 自民党・佐藤、片山両議員を処分』 日本テレビ 2006年12月4日
  • 17.0 17.1 テンプレート:Cite news
  • 『ゆかり議員 前途多難』 スポーツ報知 2006年10月15日
  • 19.0 19.1 『佐藤ゆかり前政策秘書野中幸市氏告発手記 2ちゃんねるに対野田聖子中傷書き込み』 週刊文春 2007年8月2日号 及び 『元秘書が「実名告発」 私は「佐藤ゆかり」に命じられて「野田聖子の悪口」をネットに書き込んだ!』 週刊新潮 2007年8月2日号
  • 20.0 20.1 『佐藤議員代表支部、300万円記載せず 岐阜県選管に訂正』 中日新聞 2007年9月8日 夕刊
  • 夫人の借金問題で引退
  • 『〈元文部大臣・小杉隆代議士〉「妻の借金」14億円で「夜逃げ状態」』 週刊新潮 2006年12月21日号
  • 『小杉元文相の妻が自己破産、怪しげな投資話に次々』 ZAKZAK 2006年12月13日
  • 『小泉チルドレン:「父」引退、ピンチ…自力の戦い強いられ』 毎日新聞 東京夕刊 2009年6月10日
  • 25.0 25.1 『小池元防衛相ら 女性議員ユニットを結成』 日本テレビ 2008年5月1日
  • 26.0 26.1 『政界キャンディーズは小池氏の総裁選別動隊!?』 日刊スポーツ 2008年5月2日
  • 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「yomiuri20080909」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
  • 『総裁選挙告示、5候補が立候補』 自民党 2008年9月10日
  • 『自民、内戦状態 反・親麻生が激突』 産経新聞 2009年6月30日
  • 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「zakzak20090709」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
  • 文化放送「大竹まことゴールデンラジオ!」 2009年7月9日
  • 『【衆院解散】中川秀直元幹事長、首相の面前で「人心一新を」 佐藤ゆかり氏ら拍手』 産経新聞 2009年7月14日
  • 『<首都決戦2009> 一夜明けて』 TOKYO MX 2009年7月13日
  • 『「麻生降ろし」議員は応援せず…自民都議団』 読売新聞 2009年7月18日
  • 『首相の謝罪後、自民内「反麻生色」一転も』 読売新聞 2009年7月22日
  • 『都議選の逆風は、反麻生等党の混乱だ―都連緊急支部長会議』 衆院議員土屋正忠のブログ 2009年7月17日
  • 37.0 37.1 『社会主義的思想は今の日本を救えません!』 ゆかりのブログ 2009年7月17日
  • 『【衆院解散】くすぶる不満…選挙優先、一致団結を演出』 産経新聞 2009年7月21日
  • 『【衆院選】解散…「反麻生」候補の地元困惑』 産経新聞 2009年7月21日
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  • 『小泉さん「たまには自民党が野党になっても…」』 スポーツニッポン 2009年8月18日
  • 『東京5区・佐藤ゆかり氏(自前)が敗戦の弁』 日本テレビ 2009年8月30日
  • 『「捲土重来期す」=敗因は準備不足と佐藤ゆかり氏-衆院選・東京5区』 時事ドットコム 2009年8月31日
  • 『ゆかり氏ら小泉チルドレン消えた/衆院選』 日刊スポーツ 2009年8月31日
  • 『崖っぷちの大物たち/東京5区:早くも次回へ意欲満々、佐藤ゆかりKY伝説』 週刊朝日 2009年9月11日号 25頁
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  • 『佐藤ゆかり氏:不倫メール報道に怒り』 スポーツニッポン 2005年9月13日
  • 『ゆかりタン比例復活も不倫疑惑突っ込まれムッ』 ZAKZAK 2006年6月14日
  • 『刺客議員に女の覚悟を問う 佐藤ゆかり/片山さつき vs.櫻井よしこ』 文藝春秋 2005年11月号 2005年10月8日発売
  • 『佐藤ゆかり 初めて語る生いたち、恋、バッシング 子どもを持つ幸せは、仕事のために諦めた』 婦人公論 2006年8月22日号 61頁
  • 52.0 52.1 『佐藤ゆかり 初めて語る生いたち、恋、バッシング 子どもを持つ幸せは、仕事のために諦めた』 婦人公論 2006年8月22日号 62頁
  • 53.0 53.1 53.2 『佐藤ゆかり 初めて語る生いたち、恋、バッシング 子どもを持つ幸せは、仕事のために諦めた』 婦人公論 2006年8月22日号 63頁
  • 『未来のためのQ&A 佐藤ゆかり 自由民主党』 YukariChannel 2009年8月14日 *ビデオの11分後から
  • 『ゆかりタン“貝”になる、不倫疑惑、一切触れず 報道陣に追い掛け回され…異様な遊説』 ZAKZAK 2005年9月1日
  • 『全否定一転「プライベートなこと」噂のマスコミ幹部 ワナワナ震え』 ZAKZAK 2005年9月1日
  • 『佐藤ゆかり 二股不倫』 ゲンダイネット 2005年9月1日
  • 『佐藤ゆかり氏に不倫メール騒動 怪文書?2人の男性と』 スポーツ報知 2005年9月1日
  • 『佐藤氏不倫!?週刊文春が報道』 日刊スポーツ 2005年9月2日
  • 『実録 女政治家の野望』 24~31頁 宙(おおぞら)出版 2007年8月25日発売 ISBN 9784776722786
  • テレビ朝日「ワイド!スクランブル」 2006年6月19日
  • 62.0 62.1 『『週刊新潮』6月22日号についての声明文を載せさせていただきます。』 佐藤ゆかりHP 2006年6月16日
  • 『ゆかり議員「不倫」反論「同僚議員の不規則行動は想定外」』 スポーツ報知 2006年6月17日
  • 『ゆかり議員「不倫デート」報道に抗議』 日刊スポーツ 2006年6月17日
  • 『<佐藤ゆかりとデート>の江崎代議士が「極秘離婚」していた!』 週刊新潮 2007年11月8日号 46頁
  • 『発覚スクープ:佐藤ゆかり議員<秘書6人が辞めた>トンデモ誓約書を本誌が独占入手!』 FLASH 2006年11月21日号 22頁
  • 『ゆかり議員、秘書に「守秘義務誓約書」』 スポーツ報知 2006年11月7日
  • 『「人望を失う行為」 佐藤ゆかり、秘書大量離脱…守秘義務誓約書サイン』 ZAKZAK 2006年11月7日
  • 『佐藤ゆかりまた男に騙される! 後援芸人が1億5千万円持って消えた』 週刊ポスト 2006年7月21日号
  • 『スクープ 佐藤ゆかりが重用公設秘書に裏金750万円が渡った!』 週刊文春 2006年12月21日号 2006年12月14日発売
  • 『佐藤ゆかり「秘書と手の触れあい」でスタッフ「集団退職」』 週刊新潮 2006年12月21日号
  • 『佐藤ゆかり 週刊誌報道にブチ切れ!』 ゲンダイネット 2006年12月14日
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  • 『国会で寝ている場合じゃない、佐藤ゆかり』 FRIDAY 2008年3月7日 92頁
  • 『衆院議員480人国会の「働きマン」ランキング!(2)』 FLASH 2007年11月20日 79頁
  • 『佐藤ゆかり「福井追及」そっちのけで「写メ撮影」』 週刊現代 2007年7月15日号
  • 『佐藤ゆかり<地元応援ドタキャン>で愛知クラ替え急浮上』 週刊文春 2007年4月12日号 42頁
  • 『佐藤ゆかり氏、本音トーク番組ドタキャン!「政治家としてありえない」』 スポーツ報知 2008年6月5日
  • 『佐藤ゆかり ドタキャン続きとわがままで秘書が倒れた!』 週刊現代 2009年7月27日
  • 『佐藤ゆかり「講演会でクルマ激突」の決定的瞬間』 FLASH 2008年6月10日号 2008年5月27日発売
  • 『対決!「激戦選挙区」ドブ板レポート 第6回 【東京5区】「佐藤ゆかり」vs「手塚仁雄」vs「大塚拓」』 週刊プレイボーイ 2008年3月3日号 2008年2月18日販売
  • 『女が嫌いな女 佐藤ゆかりセンセイのお化粧は安っぽ過ぎます(さかもと未明)』 週刊文春 2006年11月30日号 2006年11月22日発売
  • 『佐藤ゆかりに「お相手」が詫びた不規則行為って?』 サンデー毎日 2006年7月9日号 140頁 2006年6月27日販売
  • 『女は女を「五感」で選ぶ-口先のマニフェストにはだまされない』 AERA 2009年8月10日号 12頁
  • 佐藤ゆかりタンの目力 「すがるような」、「訴えるような」 ゲンダイネット 2006年12月13日
  • 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「bunshun20061116」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
  • 『ヒラリーをさがせ!』 横田由美子著 文春新書 2008年1月20日発行 ISBN 9784166606177
  • 『一部マスコミ機関による宮崎県知事選挙応援演説の誤報報道ついて』 佐藤ゆかりHP 2007年1月25日
  • 『週刊新潮(3月8日号)の捏造記事について』 佐藤ゆかりHP 2007年3月2日
  • 『週刊新潮の度重なる捏造記事(6月21日号)について』 佐藤ゆかりHP 2007年6月14日
  • 週刊文春ならびに週刊新潮に掲載された野中幸市元秘書の手記についての抗議 佐藤ゆかりHP 2007年7月26日
  • 写真週刊誌『FLASH』に対する回答 佐藤ゆかりHP 2007年8月5日
  • 『「プロジェクト日本復活」、改革提言に向け起動』 ゆかりのブログ 2007年10月24日 (テレビ朝日ANNニュースの歪曲した報道について)
  • 『佐藤ゆかり「地元後援会会長」が2カ月不在のア然-引き受け手なし?』 FLASH 2007年3月27日号 22頁
  • 『岐阜1区のパーティーに注目の聖子氏・ゆかり氏出席』 名古屋テレビ 2007年11月23日
  • 『野田氏対抗馬、外資系の女性エコノミスト 佐藤ゆかり氏』 朝日新聞岐阜 2005年8月21日
  • 『柳ヶ瀬「お祭りサンデー」 竹中氏目当て、人だかり』 朝日新聞岐阜 2005年9月5日
  • 『切り札は「有名人投入」 タレントら応援演説』 朝日新聞岐阜 2005年9月9日
  • 『自民党が岐阜県連幹部に離党勧告』 日刊スポーツ 2006年1月17日
  • 『佐藤ゆかり氏の会長就任ならず 自民党岐阜市支部』 朝日新聞 2006年5月27日
  • 『ゆかり議員お膝元で「第2の乱」』 スポーツ報知 2006年6月11日
  • 『居場所がない「佐藤ゆかり」 岐阜では野田聖子派が着々と巻き返し』 日刊ゲンダイ 2006年5月27日号
  • 『攻撃派と融和派せめぎ合う 自民街頭演説、“造反組”めぐり』 中日新聞 2006年6月5日
  • 『野田氏、佐藤氏 自民融和険しい道』 朝日新聞岐阜 2006年12月12日
  • 『佐藤ゆかり議員 野田議員の“予備選”批判』 日本テレビ 2006年12月11日
  • 『自民党 復党議員は“政党支部長”に』 日本テレビ 2006年12月14日
  • 『野田氏と佐藤氏 復党後初の顔合わせ予定は』 日本テレビ 2006年12月13日
  • 『岐阜県議選 野田派VS佐藤派の構図くっきり』 中日新聞 2007年3月26日
  • 『いす取りゲーム ゆかり派が制す』 中日新聞 2007年4月9日
  • 『円満解決へ県連調整も 県議選・岐阜市選挙区の自民公認』 岐阜新聞 2006年11月9日
  • 『佐藤氏欠席、2県議公認問題協議見送り』 岐阜新聞 2007年1月9日
  • 『ゆかり秘書の政界「空中戦」 2ちゃんに聖子悪口カキコミ?』 J-CASTニュース 2007年7月27日
  • 『野田聖子氏事務所に放火!機械盗難も』 スポーツニッポン 2007年8月11日
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  • 『内閣崩壊を招く、野田大臣「放火事件」のキーマンが死去』 由利太郎のディープインサイド 日刊サイゾー 2008年12月28日
  • 『野田氏の地元事務所再開』 産経新聞 2007年10月8日
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  • 『自民市支部、公認調整で古賀氏に直訴 早期決着待つ岐阜1区 次期衆院選準備、民主躍進に危機感』 岐阜新聞 2007年10月18日
  • 『小泉チルドレン再配備』 AERA 2007年10月8日号
  • 『岐阜1区は野田聖子議員~自民党・古賀氏』 日本テレビ 2008年1月20日
  • 『聖子氏“国替え”ゆかり氏にエール』 スポーツニッポン 2008年1月22日
  • 『“地元”大塚議員 ゆかり議員けん制』 スポーツニッポン 2008年1月23日
  • 『岐阜1区の“女の戦い”過熱 佐藤氏後援会が「国替え」反対を申し入れ』 産経新聞 2008年1月30日
  • 『「佐藤ゆかり氏、岐阜に残って」 2万人署名、党本部へ』 朝日新聞 2008年1月30日
  • 『借金漬け「小杉隆元文相」の後釜は「佐藤ゆかり」だって?』 週刊新潮 2007年1月18日号 45頁
  • 『ゆかり議員 岐阜より東京選んだ? 都議補選で応援 戸惑う地元関係者』 中日新聞 2007年3月31日
  • 『佐藤ゆかり議員、東京5区へ“国替え”決定』 日本テレビ 2008年2月6日
  • 『次期衆院選 佐藤ゆかり氏、東京5区候補に内定』 TOKYO MX 2008年2月6日)
  • 『公認問題決着!佐藤、野田両議員が合同会見』 日本テレビ 2008年2月8日
  • 『衆院選:佐藤ゆかり議員「東京の代議士に気持ち入れ替え」』 毎日新聞 2008年2月9日
  • 『記者会見で握手を交わす野田聖子議員(左)と佐藤ゆかり議員 Photo By 共同』 スポーツニッポン 2008年2月8日
  • 『衆院選:野田、佐藤氏が共同会見、選挙区受け入れを表明』 毎日新聞 2008年2月8日
  • 『野田議員と佐藤議員がそろって会見』 日本テレビ 2008年2月9日
  • 『怒りの声も…ゆかりタン“お別れ会”』 スポーツニッポン 2008年2月11日
  • 『正式発表 自民・佐藤ゆかり氏が東京5区から立候補』 TOKYO MX 2008年2月8日
  • 『終わらない小泉劇場~岐阜「女の戦い」900日の真実~』 名古屋テレビ 2008年9月8日
  • 『岐阜1区、自民に郵政選挙のしこり残る』 岐阜新聞 2008年10月5日
  • 『岐阜市会最大会派 「自民」が分裂 市岐阜商存続/立命館誘致 「廃止方針維持」明言 教育長』 読売新聞 2009年4月16日
  • 『【09衆院選】野田聖子氏も焦る 自民支部が民主支援 岐阜1区』 産経新聞 2009年7月31日
  • 『岐阜1区 自民分裂 一部が民主支援 「野田×佐藤」 しこり再燃』 読売新聞中部 2009年7月22日
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  • 『人寄せパンダ物語/バラエティー「片山さつき」と日蓮宗推薦「佐藤ゆかり」』 週刊新潮 2010年7月1日号 2010年6月24日発売
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  • 『対談 FRB政策と米国経済 「インフレ退治」に舵を切ったFRB』 週刊エコノミスト 2005年4月26日 - 吉川雅幸との対談
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  • 『「小泉王朝」は日本をどこに導くのか コミュニケーション戦略チーム これが自民圧勝を演出した広報戦略だ 特命チーム“情報戦”工作の全貌』 月刊現代 2005年11月号
  • 『女性としての生き方 少子化問題』 女性自身 2006年8月
  • 『佐藤ゆかり議員(45) 「おふくろの味」は覚えてません』 週刊女性 2006年11月14日号 90頁
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  • 『佐藤ゆかり 聖子キラーを口説いた山拓センセイ』 2005年9月1日号 28~29頁
  • 189.0 189.1 佐藤ゆかり著『日本経済は大転換できる!: エコノミスト政治家の賭け』26頁
  • 『佐藤ゆかりのナゾ探る…母は探偵、作家でも脚光浴び 本業の方は評判悪く…』 ZAKZAK 2005年8月26日
  • 『この母親にしてこの女代議士あり』 AERA 2005年10月10日号 28~30頁
  • 佐藤ゆかり著『日本経済は大転換できる!: エコノミスト政治家の賭け』27頁
  • 朝日新聞 2006年2月21日
  • 『小泉チルドレンに資産「格差」・杉村氏ら3人ゼロ』 日本経済新聞 2006年2月20日
  • 『衆院議員資産公開、明暗くっきり』 日刊スポーツ 2006年2月21日
  • 『徹底調査 マドンナ刺客「マル秘資産初公開」 佐藤ゆかりが探偵の母から相続した 都内一等地』 週刊文春 2005年9月29日号 2005年9月21日発売
  • 『佐藤ゆかり議員のベラボーな資産』 日刊ゲンダイ 2007年8月7日
  • 『ゆかりタン「マンション新築」で資産はどんだけぇ~』 FLASH 2007年8月28日号 21頁
  • 『「佐藤ゆかり」がこの日のために用意した賃貸マンション』 週刊新潮 2009年9月10日号 30頁 2009年9月2日販売
  • 『佐藤ゆかり-「結婚?こんな辛い生活では誰も寄りついて-」』 女性自身 2009年7月28日号 48頁
  • 『総選挙当選から1年… 孤独と多忙な私生活/子供を産まない選択 佐藤ゆかり議員初告白「28歳の離婚、家族の死」』 女性自身 2006年8月
  • 202.0 202.1 佐藤ゆかり著『日本経済は大転換できる!: エコノミスト政治家の賭け』117頁
  • 『「プロジェクト日本復活」、改革提言に向け起動』 ゆかりのブログ 2007年10月24日
  • 『山本一太「プロジェクトJ」が「ポスト福田」政局へ始動』 月刊FACTA 2008年2月号 2008年1月20日発行
  • 『自民党動物愛護管理推進議員連盟ブログ メンバー紹介』 2009年6月5日
  • 『第3回法華一乗会総会 谷垣政調会長らが出席 日蓮宗』 宗教新聞 2008年7月20日
  • 『佐藤ゆかり議員、危険な「仏」頼み 日蓮宗系の国会議員団体に入会』 ZAKZAK 2008年6月3日