伊達宗敦

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伊達 宗敦(だて むねあつ、1852年6月20日嘉永5年5月3日) - 1911年明治44年)1月6日[1])は、仙台藩知事(在任中の伊達氏の当主は30世14代伊達宗基のまま)で、13代仙台藩主・伊達慶邦の養嗣子(のち廃嫡)、男爵伊予国宇和島藩主・伊達宗城の次男(五男とも)。正室は広幡基豊の娘、継室は松根三楽の娘。官位は左京大夫、侍従、正四位。

概要

第13代藩主・慶邦の養子となり、本来ならその跡を継ぐはずであったが、慶応4年(1868年)に慶邦が奥羽列藩同盟の盟主となったために新政府軍から謹慎を申し付けられたとき、宗敦も廃嫡され、慶邦の四男・宗基が跡を継いだ。明治2年(1869年)に版籍奉還が行われ、宗基は知藩事になったものの、幼少のために政務を執ることができず、明治3年(1870年)に新政府は宗敦の謹慎を解いて、宗基の代わりに宗敦を新たな知藩事として任命した。宗敦は知藩事として実質的な政務を行ったが、伊達氏当主は宗基のままであり、伊達氏当主歴代には数えない。

明治4年(1871年)の廃藩置県後、イギリスに遊学した。明治17年(1884年)に新たに家を興し、明治21年(1888年)には男爵となった。明治23年(1890年)以降は貴族院議員。

明治44年(1911年)に56歳で死去した。伊達男爵家は長男・宗経が継承している。

系譜

脚注

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参考文献

  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史―貴族院・参議院議員名鑑』1990年。


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  1. 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』76頁。