伊東ゆかり

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テンプレート:BLP unsourced テンプレート:Infobox Musician 伊東 ゆかり(いとう ゆかり、1947年4月6日 - )は、日本歌手女優。 本名:伊東 信子(いとう のぶこ)。

東京都品川区出身。1960年代から1970年代に掛けて一世を風靡した和製ポップス歌手の一人。現在も歌手のコンサート活動のほか、女優としても活躍中。

略歴

幼少期から進駐軍キャンプで唄い始め、11歳のとき『クワイ河マーチ』(映画「戦場に架ける橋」テーマソング)でキングレコード(後に移籍)より本格デビュー。これは美空ひばりのデビュー年齡(12歳)よりも早い。

その後、一時芸能活動を休止するが、渡辺プロダクションに移籍し活動を再開。ポップスを得意とした中尾ミエ園まりと三人で『スパーク3人娘』を結成。「シャボン玉ホリデー」や「歌え!一億」に出演し知名度を全国区にした。1967年リリースした「小指の想い出」は爆発的なヒットをし、現在でも歌い継がれている曲の一つである。その後も「恋のしずく」「朝のくちづけ」「知らなかったの」と立て続けにヒット曲を飛ばした。この頃、巨人軍選手柴田勲との関係が話題となり、一時は柴田との結婚話まで浮上した(詳細は柴田勲#交友関係を参照)。1969年には「第20回NHK紅白歌合戦」の紅組司会を務めた。

1970年に渡辺プロダクションから独立。また結婚・出産・離婚を経験し、また『スパーク3人娘』の自然解散や「新三人娘」・「花の中三トリオ」等の後輩歌手が台頭してきたために、一時的に低迷する。しかし、1977年から1981年までメイン司会を務めたTBS音楽番組サウンド・イン"S"』が一つの転機となる[1]。この番組は彼女が得意とする洋楽を中心とした構成で、時には自らもゲストとデュエットしつつ、エンディングで世良譲のピアノにのせスタンダード・ナンバーを歌い上げていた。同番組は2007年までCS放送のTBSチャンネルで再放送された。

この他にも単独での出演のほか、最近では上記の三人娘のトリオで出演することも多くなってきている。

前夫は歌手で俳優佐川満男で、その間に生まれた実娘が歌手の宙美(親権は伊東が持っている)。所属レコード会社はキングレコード⇒日本コロムビアビクターインビテーションレーベルアルファレコード⇒キングレコード⇒ユニバーサルミュージックBMG JAPANを経て、現在はフリー。所属事務所は小澤音楽事務所。2010年より、(株)夢みぃなhttp://yumemiina.com/所属。

2010年10月13日の「徹子の部屋」では、娘の宙美と共演し、さらに二人でデュエットソングも披露した。 2013年4月20日、渋谷の大和田さくらホールにてコンサート開催。2013年は歌手生活60周年を迎える。MJQ(マンハッタン・ジャズ・クインテッド)のデビッド・マシューズを迎え、伊東ゆかりが歌手生活60周年記念アルバム『メモリーズ・オブ・ミー』を4月3日(水)にリリース。

主なシングル

カヴァー・ポップス作品

オリジナル作品

  • 恋する瞳(カヴァー曲ではない。1965年本人がイタリアサンレモ音楽祭に出場し3位入賞したもの、竹内まりやがカヴァー)
  • おしゃべりな真珠 (1965.06.20)
  • 花の落ちる時 (1965.08.20)
  • すてきなカプチーノ (1965.12.20)
  • マリソルの初恋 (1966.02.01)
  • この気持を (1966.07.01)
  • 幸福(しあわせ)くん (1966.07.01)
  • 小さな恋 (1966.09.10)
  • 小指の想い出 (1967.02.10)
  • あの人の足音 (1967.09.01)
  • 恋のしずく (1968.01.20) 最高位1位
  • 星を見ないで (1968.06.01) 最高位5位
  • 朝のくちづけ (1968.10.10) 最高位6位
  • 知らなかったの (1969.02.01) 最高位3位
  • 愛して、愛して (1969.06.01) 最高位17位
  • 朝を返して (1969.09.25)
  • 青空のゆくえ (1969.10.20) 最高位15位
  • 裸足の恋 (1970.01.20) 最高位12位
  • 結婚 (1970.05.01)
  • わたしだけのもの (1970.06.25) 最高位19位
  • さすらい (1970.10.01)
  • 瞳の中から (1970.11.10)
  • 信頼 (1971.03.25)
  • 明日をめざして (1971.07.10)
  • グリーン・ジンジャー・フライング (1971.09.10)
  • 誰も知らない (1971.10.25) 最高位9位。紅白歌合戦の連続出場はこの曲を最後に一旦途切れる(翌1972年の第23回は落選)
  • 彼 (1972.03.10)
  • 陽はまた昇る (1972.05.25)
  • 朝が来たら (1972.09.10)
  • わかれの詩 (1973.01.10)
  • 或る手紙 (1973.05.10)
  • あのひと (1973.10.25)
  • 季節風 (1974.07.01)
  • 深夜放送 (1975.01.01)
  • わたし女ですもの (1975.08.01)-この曲で4年振りに紅白歌合戦(第26回)に復帰した
  • わかれ雪 (1976.01.01)
  • 悲しみの出発 (1976.06.10)
  • 逢いびき (1976.08.01)
  • かわいた女に雨が降る (1977.04.01)
  • ロマンチスト (1977.12.01)
  • あなたの隣りに (1978.08.25)
  • あなたしか見えない (1979.03.25)
  • エンドレス (1979.10)
  • もう一度 (1980.02.21)
  • 強がり (1981.02.25)
  • 約束だけロマンティック (1981.08.21)
  • ふぁど(Fado) (1984.09.05)
  • 1990年 (1985.09.21)
  • 誘われて (1988.09.25)
  • セレナーデ (1989.01.25)
  • MY DEAR! (1989.11.28)
  • もう誰も愛さない (1991.10.21)
  • あなたのすべてを (1992.03.21)
  • 愛は限りなく-DIO, COME TI AMO!- (1992.11.1)
  • いつか もしか まさか (1994.08.19)
    • 「伊東ゆかり・小堺一機」名義。
  • 明日、めぐり逢い (1994.08.31)
  • 心に愛を瞳に夢を (1994.11.02)
  • 愛はいりませんか (1997.11.06)
  • かんにんしてや (2001.05.21)
    • 「佐川満男 with 伊東ゆかり」名義。

出演

テレビ番組

ドラマ

その他。

映画

紅白歌合戦出場歴

年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手 備考
1963年(昭和38年)/第14回 1 キューティ・パイ・メドレー[2] 24/25 植木等 中尾ミエ園まりと出演。トリ前
1964年(昭和39年)/第15回 2 夢みる想い 03/25 芦野宏 中尾ミエ、園まりと出演。
1965年(昭和40年)/第16回 3 恋する瞳 11/25 三田明
1966年(昭和41年)/第17回 4 愛はかぎりなく 19/25 デューク・エイセス
1967年(昭和42年)/第18回 5 小指の想い出 10/23 菅原洋一
1968年(昭和43年)/第19回 6 恋のしずく 08/23 鶴岡雅義と東京ロマンチカ
1969年(昭和44年)/第20回 7 宿命の祈り 09/23 菅原洋一(2) 司会も兼任
1970年(昭和45年)/第21回 8 さすらい 22/24 菅原洋一(3)
1971年(昭和46年)/第22回 9 誰も知らない 15/25 アイ・ジョージ
1975年(昭和50年)/第26回 10 わたし女ですもの 13/23 菅原洋一(4)
1992年(平成4年) /第43回 11 ボーイ・ハント 07/28 舟木一夫

(注意点)

  • 対戦相手の歌手名の()内の数字はその歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある()はトリ等を務めた回数を表す。
  • 出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。

脚注

テンプレート:Reflist

外部リンク

テンプレート:NHK紅白歌合戦 紅組司会

  1. 伊東は後番組の『Holiday』にも司会者として出演しているが、こちらは1年で終了した
  2. 3人がそれぞれの持ち歌を順番に披露した。伊東ゆかり「キューティ・パイ」→園まり「女王蜂」→中尾ミエ「バイ・バイ・バーディ」のメドレー。