付随車

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鉄道車両における付随車(ふずいしゃ)とは、電車気動車など複数車両に動力を分散配置する方式である動力分散方式において、動力を持たない車両のことである。英語のTrailerの頭文字をとって、Tと略記される。

概要

広義では動力を持たない車両全般を指し、狭義では動力運転台の双方を持たない車両を指す。広義の付随車のうち運転台を持つ車両は、制御車 (Tc) または制御付随車と称し、狭義の付随車と区別することが多い。

狭義の付随車は、日本の鉄道において記号「サ」で表されることが多い。由来については、古語の「候ふ(さぶらふ)」(「貴人の側にお仕えする」という意味)や英語のSubordinate(随行するものという意味)、動力車の間に挿入されることから「差し挟む(さしはさむ)」の「サ」など、諸説がある。[1]また、気動車用の付随車の記号は「キサ」である。

1911年明治44年)に制定された鉄道院の車両形式称号規程では、電車を表す「デ」の中に含まれたが、1914年大正3年)4月に主電動機を装備しない車両を表す「トデ」が制定された。同年8月には、制御車と共通で記号「ク」が制定されたが、1917年(大正6年)に運転台を持たない付随車「サ」が分離された[2]

付随車は制御回路引き通して編成の中間に組成されるものが一般的だが、制御回路の引き通しを持たず、動力車の後部に連結・牽引される後付付随車(あとづけふずいしゃ)と呼ばれるものも存在する。こちらは、終端駅機関車牽引列車のように動力車を前後に付け直す必要があり、かつては各地の軽便鉄道などでよく見られた運行形態であるが、上田交通別所線の運転が新車導入でなくなった現在では、銚子電気鉄道が保有するワム80000形貨車を改造した遊覧客車「ユ101」が唯一の存在であったが、老朽化のため2012年3月31日付で廃車となり、後付付随車はなくなった。

電車の付随車の場合、通常集電装置は不要であるが、中には付随車でありながらパンタグラフや変圧器などの電装品を装備し、電動車と不可分のユニットを組むものがある。これは、機器を分散させて車両の重量を平準化するために行われる。日本国有鉄道(国鉄)では781系電車で初めて採用され、電動車と一体不可分であることから、「A」 (Alternative) や「p」 (Pantograph) というサフィックス(副記号)をつけて表され、偶数形式を付されることが多い。国鉄分割民営化後も搭載機器の多い交流直流両用電車や交流用電車で採用される例が多く、JR西日本683系電車の「サハ682形」やJR九州883系電車の「サハ883形」などが存在している。また、第二次世界大戦直後には、南海サハ3801形3801(初代)の様に電化区間で蒸気機関車牽引列車の客車代用として用いられる際に、室内灯に給電するためにパンタグラフを搭載した例もあった。

気動車の付随車

なお、気動車の場合、かつては電車と比較して動力車1両あたりの出力が小さかった[3]ことから、付随車自体の絶対数は少なく、新製車は特に少ない。かつては食堂車キサシ80形キサシ181形)や客車改造気動車(キサハ45キサハ34キサロ59キサハ144)などに見られたが、現在定期運用を持っているのは存在しない。

新製されたもので現存するのは、JR北海道のキサロハ182形2階建車両、保留車)およびキサハ182形2階建車両、定期運用なし)、キサハ144形(定期運用離脱)JR四国のキクハ32形トロッコ列車制御車)、JR東海のキサヤ94形(軌道検測用)といった特殊用途車だけとなっている。

脚注

  1. 尚、「付随車」の「フ」では既存の緩急車の記号と重複することになる。
  2. 私鉄では、付随車で運転台があっても「サ」を付けていた1940年以前の武蔵野鉄道(西武鉄道の前身)の事例(この時点の同社には本項で述べている運転台のない付随車は存在していない。)や、付随車にもかかわらず、会社として「サ」の設定がないため制御車の「ク」を付けていた京成電鉄の事例がある。
  3. 車載に適した、小型軽量で高出力を発揮するエンジンが無かったため。

関連項目