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'''今枝 良臺'''(いまえだ りょうたい、[[正保]]2年([[1645年]]) - [[元禄]]15年[[3月26日 (旧暦)|3月26日]]([[1702年]][[4月22日]]))は[[理方一流]]の流祖である。名は今枝佐仲・藤原良臺で号は竹榮軒、一翁と号した。[[名字]]は今枝、[[本姓]]は藤原、[[諱]]は良臺である。[[今枝流]]、[[初実剣理方一流]]。 [[伯耆国]]倉吉(現、[[鳥取県]][[倉吉市]])で生まれ、父の[[今枝良堅]]は[[今枝流]]を開いたので、父と江戸の伯父[[今枝良政]]から[[剣術]]を、また柳生の[[新陰流|新陰流兵法]]、起倒流柔術、柏原流(樫原流)槍術、一傳流居合術を修得した。また[[摂津国]][[高槻城]]主、[[永井直清]]に仕えたが、修行のため浪人し、江戸の[[小石川]]の[[御徒町]]で道場を開き、[[今枝流]]抜刀技50本を20本に統合し「初実剣理方一流」と称した。当時江戸の3浪人と噂されたと伝えられる。58歳で死去し、自ら指図した墓は江戸の小石川の戸崎町の祥雲寺にあった。(祥雲寺は現、[[池袋]]3丁目に移転) 曽祖父[[今枝良重]]が今枝流の根本を一傳流、伯耆流、疋田陰流からまとめ、養子の[[今枝良隆]]と研鑽し古伝今枝流を創り、その子の良堅が発展させた。 == 関連書 == *『理方童子教』 今枝左仲良臺 [[貞享]]4年(1687年) 岡山大学蔵 *:抜粋「武士の子は 右に雲所の封札は刀を守り 刀は能身を守ると心得べき事にや 此守刀の徳によりて 次第ヽヽに成長し 武士と人によばれて(中略)侍の子も刀さヽぬ時は 侍とはいはず しからば 刀の徳によりて 侍といふと心得べし」 *『兵法破邪見咄集』 今枝良臺 同志社大学蔵 {{DEFAULTSORT:いまえた りようたい}} [[Category:剣客]] [[Category:伯耆国の人物]] [[Category:1645年生]] [[Category:1702年没]]
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