今久留主成幸

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テンプレート:Infobox baseball player 今久留主 成幸(いまくるす なりゆき、1967年5月10日 - )は、大阪府摂津市出身の元プロ野球選手捕手)。

実兄は日本航空高等学校石川野球部監督の今久留主祐成。元毎日・西鉄の今久留主淳、元毎日・近鉄今久留主功は親戚にあたる。

来歴・人物

小学校時代は摂津リトルに所属。清原和博のいた岸和田リトルを破り、リトルリーグ全日本選手権優勝。PL学園高校時代は、清原、桑田真澄らと同期で、高校3年時の第67回全国高等学校野球選手権大会で全国制覇[1]テンプレート:要出典範囲

明治大学では野球部主将を務める。テンプレート:Byの秋季リーグ戦でベストナイン(捕手部門)に選出。

ドラフト4位で横浜大洋ホエールズに入団。テンプレート:By途中に金銭トレード西武ライオンズへ移籍した。1997年1月、肘の手術からの復活を期す桑田に請われ、オーストラリア自主トレに他球団の選手ながら同行。桑田の生きた球を一番受けてきた捕手として、桑田が本当にプロで通用する球を手術後も投げられるかの判定を任される。テンプレート:By限りで現役を引退。

テンプレート:Byベースボール・チャレンジ・リーグ信濃グランセローズゼネラルマネージャーに就任。テンプレート:Byに退任した木田勇の後任として監督に就任、7月12日新潟県立野球場(HARD OFF ECOスタジアム新潟)で開催された対新潟アルビレックスBC後期2回戦開始前の始球式に、特別ゲストの桑田が最終所属チームであるピッツバーグ・パイレーツの背番号18のユニフォームをまとい、今久留主が捕手を務めるなど演出が図られた。しかし前後期とも最下位に終わり、同年限りで辞任した。

現在は、高校時代の同期である桑田が理事長を勤める特定非営利活動法人 アミーチ・デル・クオーレのコーチ。

詳細情報

年度別打撃成績

テンプレート:By2 大洋 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
テンプレート:By2 8 7 7 0 1 0 0 0 1 2 0 0 0 0 0 0 0 2 1 .143 .143 .143 .286
テンプレート:By2 西武 14 8 7 3 2 1 0 0 3 1 2 0 0 0 1 0 0 3 0 .286 .375 .429 .804
通算:3年 23 15 14 3 3 1 0 0 4 3 2 0 0 0 1 0 0 5 1 .214 .267 .286 .553

記録

  • 初出場:1990年6月14日、対阪神タイガース10回戦(横浜スタジアム)、8回表に秋元宏作に代わり捕手として出場
  • 初安打・初打点:1991年9月7日、対阪神タイガース17回戦(横浜スタジアム)、9回裏に田村勤から中前へ逆転サヨナラ2点適時打
  • 初先発出場:1991年10月2日、対阪神タイガース22回戦(阪神甲子園球場)、8番・捕手として先発出場

背番号

  • 57 (1990年 - 1995年途中)
  • 52 (1995年途中 - 1999年)
  • 90 (2009年)

関連情報

書籍

  • 不惑 桑田・清原と戦った男たち』(矢崎良一著、ぴあ、不惑の年(40歳)を迎えたKKコンビと同学年の9人(内プロ経験者8名)にKKコンビに関する取材をしたノンフィクション。第八章が今久留主自身の章、今久留主自身の球歴・今久留主から見たKKコンビに対する緻密な分析が詳細に語られる。ISBN 978-4835616926

脚注

テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

テンプレート:信濃グランセローズ歴代監督

テンプレート:横浜大洋ホエールズ1989年ドラフト指名選手
  1. 自身は2回戦の対東海大山形戦と準決勝の対甲西戦の2試合に途中出場