京成3300形電車

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テンプレート:出典の明記 テンプレート:鉄道車両 京成3300形電車(けいせい3300がたでんしゃ)は、1968年(昭和43年)11月に登場した京成電鉄通勤形電車。 1972年(昭和47年)3月までに54両製造。(都営地下鉄浅草線京浜急行電鉄への乗り入れ対応車両である。


2003年(平成15年)3月に2両が事故廃車に。2007年(平成19年)11月以降は4両化に伴う廃車が発生。2013年(平成25年)2月以降廃車が本格化し、現在は4両編成2本が京成に在籍、8両編成1本が北総鉄道にリース在籍といった形で16両が運用に就いている。

概要

1968年昭和43年)11月から、1972年(昭和47年)3月にかけて3301 - 3350、3353 - 3356の54両が東急車輛製造日本車輌製造汽車会社で製造された。3351と3352は欠番である。成田側から3301-3302-3303-3304の順に組成し、上野寄り電動車ユニットのない3349 - 3350以外は基本的に3200形同様に車両番号順の4両編成が基本である。他の赤電同様、東京都交通局都営地下鉄浅草線京浜急行電鉄への乗り入れ対応車両である。しかし、京成線・都営線方面から京急線内に直通する列車は全列車が8両編成で運転されているため、京急線内での定期運用はない。

1次車として1968年11月に3301 - 3316の16両が製造された。3200形両扉車と外観上の差異はなく、内装の変更点として座席仕切り部にスタンションポールが付いた。台車3150形以来の空気ばね台車である。駆動装置、主電動機、台車の組み合わせは下記の通り。

2次車は1969年(昭和44年)12月以降に製造された3317 - 3350、3353 - 3356の38両で、3000形3050形などとの併結を考慮して金属ばね台車に戻った。外観上にも変化が見られ、前面上部中央と側面に種別・行先表示器が設置されたことや、客用扉は窓ガラス支持用の黒Hゴムを廃したステンレス製となった点が特徴である。3325 - 3328は室内天井を試験的に白デコラ貼りにした(他車は白塗装仕上げ)。1970年代初頭時点で側面の電動方向幕は、関東の鉄道車両ではかなり稀少で、種別・行先が1窓で表示できるタイプは3300形2次車が初で、かなり斬新なものだった。

2次車の駆動装置、主電動機、台車の組み合わせは下記の通り。

  • 3317 - 3324、3335 - 3350:WNドライブ、三菱電機製MB-3097-C2主電動機、住友金属工業製FS-329D台車
  • 3309 - 3316、3325 - 3334、3353 - 3356:TD平行カルダン駆動方式、東洋電機製造製TDK-816-A1主電動機、汽車製造製KS-131台車

TDカルダン車の主電動機はマイナーチェンジし、3200形6M車後期車のTDK-816-A01からTDK-816-A1に変化し回転音域も異なった。尚、1999年(平成11年)以降、TDK-816-A01を使用する車両がいる等、部品は共有可能。

このグループは製造の都合上、必ずしも車両番号順に落成せず、最初に落成したのは1969年12月の3317 - 3320、3331 - 3332の6両で、3331 - 3332は半ユニットで落成した。その後は1970年(昭和45年)12月に3321 - 3330、1971年(昭和46年)2月に3333 - 3336、同年9月に3337 - 3340、3345 - 3350[注釈 1]1972年(昭和47年)2月に3341 - 3344、同年3月に3353 - 3356[注釈 2]の順で落成した。

製造当初は3100形1次車の2両固定編成(同形更新前)との混結も稀にあったが、方向幕が作動しないの理由から1972年以降は、基本的に3300形金属バネ台車グループのみで編成を組むことになった。

3351-3352が製造時より欠番となっているため、成田方に先頭車をもつ半編成で、単独で運用できない3350-3349は金属バネ台車使用の3300形4両編成の成田寄りに連結して6両編成で運用に入っていたり 、上野方2両半ユニット車と4両組み車号順不同の4両編成を組むことが多かった。また、新造から間もない時期は赤電3000系 - 3100形1次車の2両固定編成(同形更新前)と組成し4両で運用したこともあった。

登場時はツートンカラーの赤電塗装(モーンアイボリーとファイアーオレンジに銀縁のミスティラベンダー帯)最後の車両であったが、後述のとおり1980年~1981年にファイアーオレンジ塗装への変更を行った。

冷房化前の改造前の事項等

塗装の簡略化を行うことから1980年(昭和55年)2月より、当時京成に在籍していた他の赤電形式や210系青電形式と平行する形で全般・重要部検査時に塗装をファイアオレンジベースにステンレス帯枠内をモーンアイボリーに変更する作業を行ないった。3300形に関しては1次車の3308編成が1980年8月末に施行したのが最初で、独自なスタイルをもった2次車は塗装変更開始後、全般・重要部検査に入る車両が1981年(昭和56年)1月の3340編成までなく、この編成が初だった。1981年(昭和56年)12月、3324編成を最後に完了した。

1982年(昭和57年)春~夏にかけて2次の3317以降の方向幕を白地に黒文字タイプから、3500形3580編成以降で採用した青地に白文字タイプのものに 変更した。これは3500形全車や3150形方向幕車でも1980年(昭和55年)以降に行っていた。

冷房化工事

ファイル:Keisei 3328.jpg
冷房改造後の3328

京成は1984年(昭和59年)春時点で関東地方大手私鉄で最も冷房化率が低かったため[注釈 3]押上線荒川橋梁の強度向上が完了した1983年(昭和58年)春以降、3150形の更新時に冷房化工事を実施することになり、既存車への冷房装置搭載により冷房化率を上げることに努めた。しかし、更新時の冷房化工事のみでは相当の時間が掛かるといった判断から、更新とは別に冷房化単独工事も実施することになった。 そこで、3300形が第一陣として、1984年(昭和59年)6月以降、冷房化単独工事を行なった。工事は1次車、2次車と時期を分けて行った。

2次車

冷房化単独工事対象車の第一陣として、非冷房車で最も車齢の浅い本形式の2次車が選定された。このうち1984年6月から1985年3月までに行った車両は東急車輛で施工している。この当時、本形式は10年以内に更新を開始する計画もあったため、工事は冷房化以外ほとんど行わず、外観スタイルも変化していない。主な改造は以下の通り。

  • 各車のベンチレーターを撤去し、分散式のRPU-3041冷房装置を搭載した。
  • 冷房化に伴いMGを5.5kVAのCLG-319から75kVAのCLG-355-B1に交換した。
  • 室内天井のファンデリアはすべて撤去し、冷房吹出口と東芝製首振り扇風機を新たに搭載した。それに伴い室内天井の蛍光灯から内側に光沢白デコラが貼付された。

東急車輛で改造されたのは下記の通り。

  • 1984年6月:3345 - 3350
  • 1984年7月:3331 - 3332、3341 - 3344
  • 1985年1月:3353 - 3356
  • 1985年3月:3325 - 3330

1985年(昭和60年)3月に冷房化出場した2次車の3328編成のうち3325~3326ユニットで主電動機の試験が行われた。TDK-816-A1同様に100kwの東洋製TDK-816-Bに換装し1991年(平成3年)2月の更新入場時に100kwのTDK-816-A1に戻すまで試用。その他の車両も冷房化に伴い、主電動機の改良は行った。  1985年(昭和60年)初夏以降、冷房化単独工事は大榮車輌で実施することになり、入出場も車両番号順の4両単位が基本になった[注釈 4]。第1陣として1985年6月に3336編成で施行した。内容は東急車輛で行った車両とほとんど変化はなかったが、扇風機軸が鋼製白塗装からアルミ製無塗装になった。扇風機台座に関しては同社で行った車両に関しては、後述の更新時にアルミ製に変更された。続いて、1985年7月に3324編成が工事を行った。翌1986年2月に3320編成、1986年4月に3340編成がそれぞれ出場し、2次車の冷房化工事を完了させると同時に方向幕付きの非冷房車は消滅した。 1985年4月に、3342と3343の室内送風機を扇風機から関西地区の私鉄で使用例の多いローリーファンに変更された。これは試験的なもので、耐久性や冷房使用時の室内の冷気の流動調査を行った。結局ローリーファンは他車には採用されず、この2両も翌1986年7月に元の首振り扇風機に戻された。

1次車

1986年(昭和61年)6月の3309 - 3312を皮切りに1次車の冷房化工事が開始された。内容は2次車と同様に原形スタイルのまま冷房装置を搭載したため、行先表示器は設置せず、行先方向板使用の冷房車となった。2次車の3326~3325ユニット同様に3312編成全てのM台車で、試験的に100kw主電動機TDK-816-Bに換装し、1989年(平成元年)秋の更新入場時、100kwのTDK-816-A1に戻すまで試用。その後に冷房化行う車両においても主電動機の改良は行った。1986年(昭和61年)7月に3313 - 3316が施工された。この編成のみアルミ製塗装仕上げ客用扉の窓ガラス支持方式がHゴム押さえから金属押さえに変更された。その後、3308編成が翌[[1987年(昭和62年)3月に、3304編成が1987年(昭和62年)5月に施工され、3300形全車の工事が完了した。

冷房化後の改造・事項等

1985年(昭和60年)7月末、3200形8M車初の冷房化・更新車出場車となり成田方に先頭車をもった3214~3213ユニットを2次車で冷房化直後だった3324編成の成田方に組み6両を組み、上野方に先頭車をもった3200形8M車3216~3215ユニットが出場する1985年(昭和60年)8月末まで運用に就いた。金属バネ台車車と空気ばね台車の混結は、京成では1987年(昭和62年)4月以降行わなくなったことから、これが最初で最後かと思われる。1986年(昭和61年)6月より、方向幕付の2次車に関しては、前面行先板を撤去した。


1次車3301~3316の種別・行先表示器の設置

1次車は種別・行先表示器なしの冷房車として使用されていたが、夜間や地下区間で種別・行先が見づらいなどの問題があった。このため、同グループ終了直後の1987年(昭和62年)7月から冷房化単独工事を開始した3100形は種別・行先表示器を搭載した。

1987年夏時点では、進行中だった3200形の更新終了後はAE形の更新が完了次第、1次車の更新を開始する予定だった[注釈 5]。AE形の更新には5年前後の期間がかかることから、先行して3300形に種別・行先表示器を搭載することを決定し、同年10月の3301 - 3308を皮切りに実施された。内容は以下の通り。

  • 3150形・3200形更新車及び3100形冷房化工事車と同様に前面上部中央に40コマタイプの行先表示器を、側面に種別・行先表示器をそれぞれ搭載した。
  • 前面貫通扉を種別表示器付きのステンレス製扉に交換した。3100形と同様に貫通扉で運転席側のみを仕切る方式のため、幕部が凹凸のあるタイプになった。

冷房化を伴わない外観上の改造は1982年末まで行っていた3100形の更新以来5年ぶりで、同年11月に3309 - 3312に、翌1988年(昭和63年)7月に3313 - 3316に施行して完了した。1次車は冷房化から更新(後述)までの時期が短く、その間に種別・行先表示器工事が入ったため、1980年代後半は短期間で外観変化を繰り返していた。さらに、更新後4 - 5年で塗装変更(後述)を行ったため、1985年 - 1995年の11年間で4回も外観を変える結果となった。


更新工事

1989年(平成元年)6月から1992年(平成4年)4月にかけて更新工事が行われた。3200形更新車との相違点は前面貫通扉の窓ガラス支持方式(3200形は黒Hゴム、本形式は金属押さえ金)や側面種別・行先表示器位置のみで、その他は外観・室内とも同形式と大差はない。外観上は1次車と2次車で同一になった。特記事項は次の通り。

  • 初期に更新された3301、3304以外の先頭車両は、京急乗入に備え(京急側の規定が1986年以降、先頭車がM車という規定に変わり)運転台側が電動台車になるように台車の振り替えが行われた。なお、3301と3304も1992年(平成4年)4月に先頭車先頭側がM台車になるように台車の振り替えを行った。
  • 全編成の先頭車に電子音警笛が採用されたこと、片側3ヶ所の客用扉のうち両端の2ヶ所を閉めることができる選択扉開閉装置が設置されたことなどの変更点もある。
  • 先頭車中間時の貫通扉仕切り方式が3200形と同様、前面貫通扉で助士席側を、室内側乗務員室扉で運転席側を仕切る方式になった。このため、1次車の冷房化後に交換された種別幕付きのステンレス製貫通扉も交換され、1990年(平成2年)3月から実施された初代3050形の冷房化工事時に再利用された。


1次車

1989年(平成元年)6月出場の3302 - 3301ユニットを皮切りに2両単位で更新を行い、同年12月末までに3301 - 3312の更新は終了した。 最初期出場車の3302 - 3301は、同年8月上旬に3304 - 3303が出場するまでの間、3200形6M車6両固定編成の成田側に連結し、以下の8両編成を組成していた。

←上野
3248-3247-3246-3245-3278-3277+3302-3301

3301と3304は先頭台車の振り替えを行わず更新出場したことは前記したが、後に台車の振り替えを行うことを考慮し、先頭側・中間側ともに主電動機点検蓋を設置した。

1990年(平成2年)4月に3316編成(3316 - 3313)が更新と同時にクロスシート試験車として4両単位で出場した[注釈 6]。座席配置は4両毎に異なっていた。1次車は、3316~3313を最後に更新を終えた。クロスシート試作車だった3316~3313のうち3313は中間に埋め込む6両編成を組成することから、2次車以降のコイルバネ台車車が更新進行中だった1990年(平成2年)4月以降、は以下の6両編成2本+4両編成1本の体制で定着した。

← 上野・西馬込

+3316-3315-3314-3313+3310-3309+

+3312-3311-+3308-3307-3306-3305+

+3304-3303-3302-3301+

1990年(平成2年)5月上旬に、一時的ではあったが上野方にさらに2両増結して8連で運用した時期もあった。同編成の4連単独の運用はなく、クロスシート試作時は3313が先頭に出ることはなかった。3316~3313を組む編成はクロスシートということから先頭台車がM台車であっても1991年(平成3年)3月31日以降開始した北総・京急乗入運用の対象からは外れ、さらに1991年(平成3年)8月6日の幕張本郷駅開業によるダイヤ改正時より、都営地下鉄浅草線乗入運用の対象から外れ運用も限定されていた。


1991年(平成3年)12月以降は重要部検査により1次車は4両編成だった3304編成に代組するなどし編成替を行ったが、1992年(平成4年)3月以降、以下の6両編成2本+4両編成1本の体制で定着した。

← 上野・西馬込

+3316-3315-3314-3313+3306-3305+

+3308-3307-+3312-3311-3310-3309+

+3304-3303-3302-3301+


 ラッシュ時は人が扉付近に集中することや、乗入相手の規定の件も多少ながら影響を受け、京成で通勤車にクロスシートはその後採用されずに、後述のとおり3316~3313は、1995年4月に塗装変更と同時にロングシートに戻す結果となった。


2次車

1次車の3313 - 3316が出場する前の1990年(平成2年)2月上旬に3354 - 3353ユニットを皮切りに出場した。3356 - 3355は3313 - 3316が先に工事を行っていたため、工事は先送りになった。1次車と台車の相違があることで混結は不可であったため、3356 - 3355の未更新車2両+3354 - 3353の更新車2両という4両編成を組み運用に入った。

3316 - 3313が出場した1990年(平成2年)4月下旬に3356-3355が更新入場した。その際に唯一更新車ユニットであった3354 - 3353ユニットは3344編成(3344 - 3341)の成田空港方に連結し、未更新車+更新車の混結6両編成を組んだ。1990年(平成2年)6月中旬に3356 - 3355が出場してからは更新車のみの基本4両になった。以後2両単位で更新入場し、2両が出場する度に2次車の更新車内で頻繁に編成替えを行った。最初期に更新された3353 - 3356の座席端部の肘掛けは1次車の3301 - 3312と同様に狭幅であることが特徴であった。

2次車は、6両固定編成化を主とするために3317、3321、3325、3332、3336、3340の6両が中間車化されたが、更新工事前から冷房化されていたこともあり、3200形のようなSIV搭載やパンタグラフの2基搭載などを含む4両ユニット化という大規模な工事は行われなかった。2次車は38両であるため、6両編成を主体とした場合は2両余る結果になり、後述する3330-3329ユニットの事故廃車までは8両編成1本も運用に就いていた。更新進行期、1~2ヶ月毎2両ユニットが出場する度、編成替はかなり頻繁に行っていてなかなか定着化編成は組まれなかった。2次車以降のコイルバネ台車車グループは、3200形6M車のように更新順序もバラバラで、かつ更新出場車や既存更新車は、定期検査時以外は基本的に全車が運用に就くことから暫定6両・8両固定編成や6両固定編成に2両ユニット連結した8両編成組むなど多彩な組み合わせの編成が見られた。又、1990年(平成2年)8月~11月に更新した3337~3340・3347~3348は主電動機がMB-3097-C3に交換した。 結果暫定ではあったが、6両固定編成が初めて組まれたのは1990年(平成2年)11月に3348~3347+3340~3337が組まれたのが最初。この編成は1995年(平成7年)6月以降、途中の定着化編成変更時期も変わらず2008年(平成20年)3月まで定着化した。 又、8両固定編成が初めて組まれたのは1991年(平成3年)7月に3324~3321+3340~3337が最初だった。

1991年(平成3年)4月下旬に3326~3325ユニットが出場した以降は3328~3325+3350~3349といった6両固定編成が生まれ、更新完了後も定着した。この編成も更新進行時に一時的に8両が組まれたこともあったが、6両編成でいることが多かった。6両編成時は先頭車がM車の6両編成であったことや、更新直後で一番状態がよかったこと等の理由から1991年(平成3年)3月31日に誕生した休日の京成車6両編成の京急・北総乗り入れ運用(当時は京急川崎~千葉ニュータウン中央間の運用)に使用する機会が多かった。

1991年(平成3年)12月時点で3332編成(3332 - 3329)が未更新車で最後まで残っていたが、3330 - 3329ユニットが翌1992年(平成4年)1月上旬に更新入場した。唯一未更新車であった3332 - 3331ユニットは、1992年(平成4年)2月中旬の更新入場までの間に更新車6両の中間に挟まれて、以下の編成を組成した。

←上野
+3356-3355-+3332-3331-3336-3335-3334-3333+

1992年(平成4年)4月末に3332 - 3331ユニットが更新出場したことで、1976年(昭和51年)10月出場の初代3050形3052 - 3051以来15年半にわたって実施された赤電全車の更新が終了した。2次車の更新が完了した1992年4月末時点の編成は以下の通りで、6両固定編成に混じって1本のみ中間に先頭車を挟んだ8両編成が存在していた(車号前後の+印は先頭車)。

←上野・西馬込
+3324-3323-3322-3321-3330-3329+
+3320-3319-3318-3317-3342-3341+
+3328-3327-3326-3325-3350-3349+
+3356-3355-3332-3331-3354-3353+
+3344-3343-3336-3335-3334-3333+
+3348-3347-3346-3345+-3340-3339-3338-3337+
このグループも3200形6M車のように定期検査は4両単位で行うことから、短期的で8両固定が生じたり4両編成が生じたり、編成中で先頭車を挟んだ6両編成が生じたりもしたが、後に元のポジションに戻した。

廃車開始時までの長期で定着した固定編成にはならず、後述のとおり1995年(平成7年)6月と1999年(平成11年)10月の2度にわたり、定着編成は変化した。

編成で特筆する点として、中間電動車ユニットを含む3340~3337は更新後ファイアオレンジ時代、6両を組んでいたのは、3338~3337が1990年(平成2年)8月末の更新出場後から3340~3339中間ユニットが出場する1990年(平成2年)9月末までの間。その後は3356~3353と3340~3337と8両組成を組んだ。それから1990年(平成2年)11月半ばに3348~3347が出場した後に3340~3337と6両固定編成を組んだ。

これが3300形初の6両固定編成だったが、1990年(平成2年)12月末に3346~3345ユニットが出場してからは、3348~3345がしばらく4両編成を組むことになり、再度3356~3353と3340~3337が8両編成を組成。2期にわかれたが、3340~3337が更新後のファイアオレンジベース塗装時代千葉線に入線したのは、この時期しかなかく、更新から5年近くは8両編成優等運用主に使用された。3340~3337は検査入場前後の暫定編成でも、上野方に3320~3317等、中間電動車ユニットを含む4両組み8両固定編成で運用に就いたことのみで2両ユニット組むことはなかった。

従って、更新後ファイアオレンジ時代に3337が1992年(平成4年)4月に開業した千葉急行線暫定行先だった大森台の幕を出して運用に就いた実績はない。 1991年(平成3年)9月、3340~3337の上野方4両は3348~3345の4両に変わり、この編成は塗装変更後の1995年(平成7年)2月まで、定着していた。

1次車空気バネ台車車を含め6両編成が多かった更新完了直後の3300形では暫定編成を組まない期間は3340~3337を含む編成は、3300形唯一の8両編成で運用していた。21世紀以降では2003年(平成15年)以降、2008年(平成20年)までは6両編成を多く新造した2代目の3000形で、2012年(平成24年)まで3000形唯一の8両編成だった3001編成のような存在でもあった(2代目の3000形は、2013年2月以降8両編成も新造)。

後でも述べるが、2010年(平成22年)7月より、3348~3347+3338~3337はこち亀ラッピング車として金町線主に運用しているが、この編成は更新直後は金町線とはかなり縁遠い車両でもあった。

更新後、塗装変更ほか1995年4月までの事項等

1991年(平成3年)12月に3308編成をはじめ1992年(平成4年)4月までに16両共更新から2~3年経ち重要部検査を行ったことから編成替を行い、1992年(平成4年)4月以降は以下編成で定着化した。後述の塗装変更を開始してからも3316編成はクロスシート試作車として異彩を保った。

+3316-3315-3314-3313+3306-3305+

+3308-3307-+3312-3311-3310-3309+

コイルバネ台車車では、塗装変更開始前の1993年(平成5年)2月上旬~下旬に3324~3323ユニットと3350~3349ユニットが同時に重要部検査入場したこと等の理由により、6両固定編成に動きがあり、更新完了後の編成より以下のポジションを変更た。

3324-3323-3318-3317-3342-3341

3320-3319-3322-3321-3330-3329

途中重要部検査あり編成替があったが、以下編成はしばらく続き、1994年(平成6年)3月に、更新完了後の編成に戻した。 [1993年]](平成5年)8月に3320 - 3319、3322 - 3321(車両番号不同で当時3320-3319-3322-3321と組成していた)を皮切りにファイヤーオレンジ塗装から現行標準色への塗装変更が開始され、1995年4月の3316編成(3316 - 3313)と3356 - 3353を最後に完了した。 塗装変更過渡期の1994年(平成6年)3月に1次車・2次車共、更新完了時の6両固定編成を基本とし、新塗装4両+旧塗装2両みたいな6両編成も多く組まれた。又、3324編成は両端先頭車ユニット3324~3323・3330~3329は旧塗装のファイアオレンジベースで3322~3321は新塗装のアクティブシルバーベースといった珍6両固定編成が組まれた。1次車のうち3312編成とクロスシート試作車の3316編成は検査時期調整のため前回重要部検査から期限リミット3年で全般検査を行うことになった。従って、ファイアオレンジのまま残り、しばらくは6両編成両編成共新塗装+旧塗装の組み合わせで、3316編成は旧塗装車がクロスシート試作車、新塗装車が通常のロングシートといった組み合わせとして運用に就きファンから注目を浴びた。

クロスシート試作車だった3316~3313は塗装変更と共に行った全般検査と共に、、1995年(平成7年)4月にロングシート化し、硬調のオレンジ色系模様入個別シート試験車となった。以後3700形3758 - 3818編成や3500形更新車でも近似の同色の個別シートを採用したが、この座席は不評であり、またオレンジ調シートも汚れが目立ち、1999年度から交換する方向に動き、3316編成も2001年(平成13年)8月に再交換した。その直後3316~3313は、3313が先頭に立つことも可能になり、更新後初の4両編成で運用に就いた。

1993年(平成5年)12月、3308編成のうち3308 - 3307は塗装変更と共に行った全般検査と共に主電動機を3500形で使用している東洋製TDK-8531-Aに換装し(台車は交換せず)、先頭車先頭側M台車にTDK-8531-Aを使用した際の性能を試みた。これは3500形の更新に先立ち行われ、その結果3500形更新車でも先頭台車の振り替えが実施された。TDカルダン車の3312編成とも混結可能で、塗装変更完了までは長期的に組んだ実績もあった。1998年(平成10年)1月に3308 - 3307の主電動機はMB-3097-Cに戻した。


塗装変更完了後、1995年4月~1999年10月までの事項等

塗装変更完了後の1995年(平成7年)4月時点で暫くは、3320~3317+3332~3329の8両固定編成と3356~3353の4両編成が組まれており、その直前の1995年(平成7年)1月より多少編成替頻度に行う時期だった。 3316~3313がロングシート化した1995年4月以降、3313が先頭に出ることも可能になり、空気バネ台車グループの1次車は4両・6両・8両と短期で編成を替え使用したが、1999年以降1次車は4両1本・6両2本の体制で編成を組むことが多くなった。

1995年(平成7年)6月よりしばらくの間、ユニット同士の検査時期を考慮し以下のポジションで6両編成を組むことになったが、4両単位で全般・重要部検査に入ることからここへきても編成替は短期間で行い4両単独編成や8両編成を組むこともあった。ここでは定着8両編成はなくなり、3350~3349ユニットをいずれかのコイルバネ台車車6両固定編成成田方に連結し8両組むようにしたほか、月単位で車庫で留置となることもあった。

←上野・西馬込
+3324-3323-3322-3321-3342-3341+
+3344-3343-3336-3335-3334-3333+
+3348-3347-3340-3339-3338-3337+
+3328-3327-3326-3325-3346-3345+
+3320-3319-3318-3317-3354-3353+
+3356-3355-3332-3331-3330-3329+
-3350-3349+

1998年(平成10年)1月1999年(平成11年)2月に以下の8両固定編成と、中間に先頭車を挟んだ6両編成が組まれたが、他は1995年(平成7年)6月以降の編成のまま定着していた。

←上野
+3320-3319-3318-3317-3332-3331-3330-3329+
+3356-3355-3354-3353+-3350-3349+


1999年(平成11年)初頭より空気バネ台車車の1次車も6両編成2本と4両編成1本組むことが多くなり、8両編成を組む機会は減った。1999年は編成替行うことが多かったが、2000年(編成12年)秋以降、以下の編成を組む機会が増えた。




1999年10月~2008年3月までの事項

1999年10月以降は2次車の6両固定編成は下記の編成で固定され、定期検査なども極力編成単位で入場することになった。 編成替えはほとんど行わなくなった。また、3354-3353は成田空港側の余剰ユニットとなり、いずれかの3300形2次車6両固定編成の成田空港方に交互に連結し、8両編成を組成したが、8両編成に関しては長期的には組まなかった。以下、特記しない限り上野方先頭車で編成表記を行う。

←上野
3320-3319-3318-3317-3342-3341
3324-3323-3322-3321-3346-3345
3328-3327-3326-3325-3350-3349
3356-3355-3332-3331-3330-3329
3344-3343-3336-3335-3334-3333
3348-3347-3340-3339-3338-3337
3354-3353


1999年(平成11年)11月に、3326-3325ユニットで、後に3200形6M車の廃車発生部品を共有可能かを試みるため、3200形6M車で使用しているTDK-816-A01主電動機に換装した。以後、TDカルダン車・汽車会社製の台車KS-121・KS-131を履く車両は、TDK-816-A1に加えTDK-816-A01を併用することになった。以後TDK-816-A01主電動機は、2005年(平成17年)12月以降3354-3353ユニット、2006年(平成18年)7月以降3310-3309ユニットで使用した。 現存する車両では、2013年(平成25年)4月以降、3334-3333ユニットもTDK-816-A01主電動機に交換した。


2001年(平成13年)3月に、京成グループのCI導入に伴い全車両の側面にK'SEI GROUPロゴを貼付した。なお、従来の筆記字体のKeiseiロゴを表記したプレートは残している。

2001年(平成13年)8月に、クロスシートからロングシート化時に個別シートを試みた3316~3313は、ラベンダー色系柄入りのバケットシートに再改造され、ポールが撤去されたと同時に袖仕切りを新設した。こちらは翌2002年新3月新造の3700形3868編成や新3000形などでも近似タイプのものが採用されたほか、3500形更新車や3700形3次車以降でも採用し、10年以上経った現在も京成の基本形となった。

2002年10月12日種別変更によるダイヤ改正に対応させるため、2002年7月から9月にかけて前面・側面の種別表示器の字幕を交換した。普通=黒、快速=ピンク、特急=赤など各種別ごとに色分けし、前面幕は白地に種別色文字、側面幕は種別色地に白文字とした。書体は細ゴシック体ナール)の英字併記である。

3356編成は、2003年1月23日に発生した京成大久保駅 - 実籾駅間で踏切事故(後述)に遭遇した。 事故に被災した3330-3329は3329前面が大破したことにより、修理せずに2003年3月付で廃車に。 3356-3355ユニットは成田空港側の余剰ユニットだった3354-3353と、2003年1月末から3月の間組み、偶然ながら3356~3353車号順の4連を組んだ。 又、3354-3353ユニットは2002年12月末より重要部検査入場中で、事故当日は出場間近だった。後に被害が少なかった3332-3331が修繕をし2003年3月に復帰し、以下の編成に組み替えた。

← 上野・西馬込

+3356-3355-3332-3331-3354-3353+

以後、3300形コイルバネ台車車は2007年まで編成変することなく、6両編成6本体制となり、8両編成は後述のとおり2007年(平成19年)4月に一時組まれた以外はない。

客室蛍光灯破損時による事故防止のため、2004年(平成16年)4月 - 6月に当時の在籍車全車両全て(3329~3330を除く)の室内客室部蛍光灯を従来の昼白色タイプから飛散防止形白色タイプに交換した。これにより多少室内の色温度が低くなり、イメージが変わった。


車内マナー強化のため、2005年12月 - 2006年2月に在籍全車両(3329~3330を除く)の優先席付近の吊り革を輪・皮ともに黄色いタイプのものに変更されるとともに、窓には優先席を表すステッカーも貼付された。これらは3月末に北総にリースされた3308編成と3316編成にも実施された。

後述のとおり、2006年4月1日付で3308編成、3316編成を北総にリースした。以後京成在籍車として残った1次車の3312編成は編成替せずに2013年3月の廃車時まで4両編成で使用し、3304編成も現在に至るまで4両編成で使用し続けている。 リース対象になった3305と3316は直前にATS更新工事を施行した。京成在籍車も2006年5月末の3356編成を皮切りに順次施行し、2006年9月の3328編成を最後に全編成が更新された。

2007年(平成19年)4月12日には、3500形更新車の車両故障に伴い一時的に以下の8両固定編成を組成した。本形式の8連組成は2002年12月(3353 - 3354が重要部検査入場する直前)以来4年4か月ぶりである。

3320-3319-3318-3317-3336-3335-3334-3333

余談だが、この編成は2007年(平成19年)4月12日夕方に西馬込まで回送され、同駅から1871K列車として営業運転に就いた。1871Kは京成線内では快特運転となり、同運用が本形式にとって初の京成線内快特運用となった。なお、2007年4月16日時点で元の3320編成、3344編成に戻されている。また、この際に余剰となった車両による以下の4両編成も組成されている。

3344-3343-3342-3341

3300形中間電動ユニットは、2008年(平成20年)3月までに全廃になったため、これが最後の赤電8両固定編成となった。

リース

ファイル:Model 7250-7268F of Hokuso Railway.jpg
北総鉄道7260形として使われている3316編成
(2007年8月12日 / 印旛車両基地)

北総鉄道に16両あるリース枠のうち、3200形リース車両の7250形が老朽化により京成に返却後廃車となったため、2006年3月にC-ATS対応機器を搭載した3308編成と3316編成(C-ATSは3305と3316にのみ設置)を北総にリースし、7260形7268 - 7265(3316編成)と7264 - 7261(3308編成)に改番し、7268 - 7261の8両編成で使用している。

京成在籍車4両化 2008年4月以降の事項

2007年(平成19年)11月に2次車以降で更新時に中間電動車化した3317 - 3318と3331 - 3332を編成から外すような形で廃車にし4両化。 続いて2008年(平成20年)3月に3321 - 3322・3325 - 3326・3335 - 3336・3339 - 3340を編成が廃車となり、中間電動車は全廃に。1次車3304編成と3312編成とともに3300形は4両編成8本在籍することになった。この時点で、方向幕は全車、小文字併用全行先英字入タイプのものに変更した。

2008年(平成20年)3月末時点で、以下の編成4両編成8本(以下も上野方先頭車で3304編成、3312編成、3320編成、3324編成、3328編成、3344編成、3348編成、3356編成と呼称)の計32両が京成車として在籍し運用に入った(斜字はTDカルダン車)。よって都営地下鉄浅草線にも定期運用では乗り入れなくなり、数少ない4両普通運用で使用し、4両運用の少ない昼間帯は、車庫で休むことが多くなり活躍の場も狭まれた。京成津田沼以東では数本のみの運用となり、4両運用のない京成成田~成田空港間、ならびに2010年7月以降は押上線でも定期運用はなくなった。

← 京成上野

3304-3303-3302-3301

3312-3311-3310-3309(2013年3月廃車)

3320-3319-3342-3341(2013年2月廃車)


3344-3343-3333-3334

3324-3323-3346-3345(2013年2月廃車)


3348-3347-3338-3337(2014年3月廃車)

3328-3327-3350-3349(2014年3月廃車)

3353-3354-3355-3356(2013年2月廃車)


3300形は唯一の赤電形式となり、最盛期に258両在籍していた赤電も50両を切った。

なお、2010年(平成22年)7月17日に成田スカイアクセス線が開業するのに先立ち、新造車を大量導入したためしばらくは既存車の代替はなく、3300形は2008年(平成20年)4月から2013年(平成25年)2月の5年間、3300形の廃車は発生せず新規路線が新車で高速運転する傍ら、地味に数少ない4両普通運用のみで使用し続け古きファンからは見守れていた。

2008年8月1日から9月17日まで、映画『男はつらいよ』シリーズ開始40周年を記念して3320編成が葛飾観光PRラッピング電車の第2弾となり、実写の車寅次郎などのラッピングが貼付された。

2009年6月30日より3356編成が青電塗装となり、同日に会社創立100周年記念臨時列車(特急金町行)として運転された。同年8月には3324編成が赤電塗装に、同年9月には3312編成がファイアーオレンジ塗装にそれぞれ装いを変更した。青電は3300形では装ったことのない塗装で、当初は違和感はあったが、21世紀の青電として一般乗客からも注目を浴びた。

2010年4月~6月に、前面貫通扉種別幕を各種別カラー背景に、白抜きの文字とした種別幕に交換した[1]

2010年7月5日より、葛飾区観光PRラッピングとして3320編成[2]高井研一郎のイラストによる車寅次郎などが描かれた『男はつらいよ』ラッピング、3348編成[2]両津勘吉などが描かれた『こちら葛飾区亀有公園前派出所』のラッピングが貼付されている[3]。当初は1年間契約で2011年7月30日までとされていたが、契約延長を行い、金町線主体で運行が継続されていた。男はつらいよの3320編成は2013年2月15日に営業運転を終了し廃車になった。 。

2013年(平成25年)2月3月に3000形8両編成2本を新造したため、3300形16両を廃車することになった。2013年(平成25年)2月15日をもって、3320編成が運用離脱し廃車になった。そして、2013年(平成25年)2月18日に青電リバイバルカラーの3356編成が営業運転を終了した。赤電リバイバルカラー編成の3324編成は、2013年(平成25年)3月20日臨時列車‘さよならリバイバルカラー赤電‘ 運転 を京成上野~京成成田間を特急運用で行い、運用離脱し廃車になった。そしてファイアーオレンジリバイバルカラー編成の3312編成も、2013年3月24日に運行を終了し廃車になった。よって、リバイバルカラー編成は全滅になった。2014年3月には3000形8両編成1本新造により,3328編成と3348編成が廃車となり、以後3300形は京成車として4両編成2本、京急・都営地下鉄浅草線にも乗り入れる北総リース中の8両1本のみになった。


廃車・除籍

2003年1月23日に京成大久保駅 - 実籾駅間の大久保5号踏切で発生した踏切事故で芝山千代田行普通がワゴン車と衝突・脱線し、損傷の激しい3329 - 3330が廃車となった。

2006年4月(平成18年)1日付で3305~3308・3309~3316は北総鉄道にリースし、7260形として7261~7264・7265~7268と形式変更+改番・帯色・ロゴ変更を行い現在に至るまで、赤電で唯一8両編成にて都営地下鉄浅草線・京急線乗入運用で使用している。

2007年度、2代目3000形増備に伴い3200形最後の4両と、4両編成で使用してきた3500形未更新車を廃車にしたことで4両編成は不足し、前述の通り3300形は全て4両編成で使用するようになった。よって2007年11月から2008年3月にかけて、更新時中間電動車ユニットとなった3317 - 3318、3321 - 3322、3325 - 3326、3331 - 3332、3335 - 3336、3339 - 3340を廃車にし、3300形は全て4両編成のみで使用することになった。

成田スカイアクセス線開業により2009年度 - 2010年度に2代目のAE形64両と3050形48両の計112両を新造したことにより、2008年度 - 2011年度は本線用の新造車はなく車両代替も停止したため廃車は発生しなかった。

2012年度の新造車として、2013年2月3月に2代目の3000形を8両編成2本の16両新造したことにより、3500形更新車で4+4の8両編成を組んでいたうち2本を基本4両化し使用することになった。これによって3300形は、2013年2月に寅さんラッピング編成だった3320編成(3341~3342+3319~3320)・青電リバイバルカラーだった3356編成(3353~3356)、、2013年3月に赤電リバイバルカラーだった3324編成(3345~3346+3323~3324)・ファイアーオレンジリバイバルカラーだった3312編成(3309~3312)が廃車になった。2013年度には3000形8両編成1本の投入により,3500形4+4の8両編成が基本4両2本となり,3328編成と3348編成が廃車となった。

現状

京成在籍の3300形は以下の4両編成2本のみ残っている。斜字はTDカルダン車で、京成で直流モーターを用いたTDカルダン車・汽車会社台車の車両は3333~3334の2両のみとなった。

← 京成上野

3304-3303-3302-3301

3344-3343-3334-3333

尚北総にリースした3305~3308・3313~3316を種車とした7260形7261~7264+7265~7268は、現在も8両編成で、都営地下鉄浅草線・京急線乗り入れ運用で使用しているが、北総車も12本あるうち9000形1本が界磁チョッパ車・7260形1本が抵抗制御車であるほか、他は全てVVVFインバータ制御車のため、7260形の運用は限定されがちな傾向にある。しかし、2014年4月ごろから数々の運用をこなすようになり、特急運用に就く機会も多く見かけるようになった。

7268(3316)-7267(3315)-7266(3314)-7265(3313)-3308(7264)-7263(3307)-7262(3306)-7261(3305)

車歴略記

3302~3301 1968年11月 東急車輛にて新造 / 1980年9月ファイアーオレンジベース塗装変更 / 1987年5月冷房化 / 1987年10月方向幕搭載 / 1989年6月更新(先頭車台車振り替え 3301・3304のみ更新後の1992年4月に施行 他は更新時施行) / 1994年4月 アクティッブシルバベースへ塗装変更

3304~3303 1968年11月 東急車輛にて新造 / 1980年9月ファイアーオレンジベース塗装変更 / 1987年5月冷房化 / 1987年10月方向幕搭載 / 1989年8月更新(先頭車台車振り替え 3301・3304のみ更新後の1992年4月に施行 他は更新時施行) / 1994年4月 アクティッブシルバベースへ塗装変更

3306~3305 1968年11月 日本車輛にて新造 / 1980年8月ファイアーオレンジベース塗装変更 / 1987年3月冷房化 / 1987年10月方向幕搭載 / 1989年8月更新 / 1993年12月 アクティッブシルバベースへ塗装変更 / 2006年4月 北総にリース 7260形7262~7261に改番

3308~3307 1968年11月 日本車輛にて新造 / 1980年8月ファイアーオレンジベース塗装変更 / 1987年3月冷房化 / 1987年10月方向幕搭載 / 1989年9月更新 / 1993年12月 アクティッブシルバベースへ塗装変更 / 2006年4月 北総にリース 7260形7264~7263に改番

3310~3309 1968年11月 日本車輛にて新造 / 1981年1月ファイアーオレンジベース塗装変更 / 1986年6月冷房化 / 1987年11月方向幕搭載 / 1989年11月更新 / 1995年2月 アクティッブシルバベースへ塗装変更 / 2009年9月リバイバルファイアーオレンジベース塗装変更 / 2013年3月廃車

3311~3312 1968年11月 日本車輛にて新造 / 1981年1月ファイアーオレンジベース塗装変更 / 1986年6月冷房化 / 1987年11月方向幕搭載 / 1989年12月更新 / 1995年2月 アクティッブシルバベースへ塗装変更 / 2009年9月リバイバルファイアーオレンジベース塗装変更 / 2013年3月廃車

3313~3314 1968年11月 汽車会社にて新造 / 1981年2月ファイアーオレンジベース塗装変更 / 1986年7月冷房化 / 1988年7月方向幕搭載 / 1990年4月更新 クロスシート化 / 1995年4月 アクティッブシルバベースへ塗装変更 個別シート試験採用しロングシート化 / 2001年8月 シート変更 バッケドシートと仕切等試験改造 / 2006年4月 北総にリース 7260形7266~7265に改番

3316~3315 1968年11月 汽車会社にて新造 / 1981年2月ファイアーオレンジベース塗装変更 / 1986年7月冷房化 / 1988年7月方向幕搭載 / 1990年4月更新 クロスシート化 / 1995年4月 アクティッブシルバベースへ塗装変更 個別シート試験採用しロングシート化 / 2001年8月 シート変更 バッケドシートと仕切等試験改造 / 2006年4月 北総にリース 7260形7268~7267に改番

3318~3317 1969年12月 日本車輛にて新造 / 1981年4月ファイアーオレンジベース塗装変更 / 1986年2月冷房化 / 1991年12月更新 / 1994年1月 アクティッブシルバベースへ塗装変更 / 2007年11月廃車

3320~3319 1969年12月 日本車輛にて新造 / 1981年4月ファイアーオレンジベース塗装変更 / 1986年2月冷房化 / 1991年10月更新 / 1993年8月 アクティッブシルバベースへ塗装変更 / 2013年2月廃車

3322~3321 1970年12月 日本車輛にて新造 / 1981年12月ファイアーオレンジベース塗装変更 / 1985年7月冷房化 / 1991年7月更新 / 1993年8月 アクティッブシルバベースへ塗装変更 / 2008年3月廃車

3324~3323 1970年12月 日本車輛にて新造 / 1981年12月ファイアーオレンジベース塗装変更 / 1985年7月冷房化 / 1991年5月更新 / 1995年1月 アクティッブシルバベースへ塗装変更 / 2009年8月リバイバルカラー赤電ベースに塗装変更 / 2013年3月廃車

3326~3325 1970年12月 日本車輛にて新造 / 1981年8月ファイアーオレンジベース塗装変更 / 1985年3月冷房化 / 1991年4月更新 / 1994年7月 アクティッブシルバベースへ塗装変更 / 2008年3月廃車

3328~3327 1970年12月 日本車輛にて新造 / 1981年8月ファイアーオレンジベース塗装変更 / 1985年3月冷房化 / 1991年3月更新 / 1994年7月 アクティッブシルバベースへ塗装変更

3330~3329 1970年12月 日本車輛にて新造 / 1981年7月ファイアーオレンジベース塗装変更 / 1985年3月冷房化 / 1992年3月更新 / 1995年3月 アクティッブシルバベースへ塗装変更 / 2003年3月廃車

3332~3331 1969年12月 日本車輛にて新造 / 1981年5月ファイアーオレンジベース塗装変更 / 1984年7月冷房化 / 1992年4月更新 / 1995年3月 アクティッブシルバベースへ塗装変更 / 2008年3月廃車

3334~3333 1971年2月 東急車輛にて新造 / 1981年11月ファイアーオレンジベース塗装変更 / 1985年6月冷房化 / 1991年8月更新 / 1994年10月 アクティッブシルバベースへ塗装変更

3336~3335 1971年2月 東急車輛にて新造 / 1981年11月ファイアーオレンジベース塗装変更 / 1985年6月冷房化 / 1991年9月更新 / 1994年10月 アクティッブシルバベースへ塗装変更 / 2008年3月廃車

3338~3337 1971年9月 東急車輛にて新造 / 1981年1月ファイアーオレンジベース塗装変更 / 1986年4月冷房化 / 1990年8月更新 / 1994年3月 アクティッブシルバベースへ塗装変更

3340~3339 1971年9月 東急車輛にて新造 / 1981年1月ファイアーオレンジベース塗装変更 / 1986年4月冷房化 / 1990年9月更新 / 1994年3月 アクティッブシルバベースへ塗装変更 / 2008年3月廃車

3342~3341 1972年2月 汽車会社にて新造 / 1981年5月ファイアーオレンジベース塗装変更 / 1984年7月冷房化 / 1991年12月更新 / 1995年1月 アクティッブシルバベースへ塗装変更 / 2013年2月廃車

3344~3343 1972年2月 汽車会社にて新造 / 1981年5月ファイアーオレンジベース塗装変更 / 1984年7月冷房化 / 1992年2月更新 / 1995年2月 アクティッブシルバベースへ塗装変更

3346~3345 1971年9月 日本車輛にて新造 / 1981年3月ファイアーオレンジベース塗装変更 / 1984年6月冷房化 / 1990年12月更新 / 1994年3月 アクティッブシルバベースへ塗装変更 / 2009年8月リバイバルカラー赤電ベースに塗装変更 / 2013年3月廃車

3348~3347 1971年9月 日本車輛にて新造 / 1981年3月ファイアーオレンジベース塗装変更 / 1984年6月冷房化 / 1990年11月更新 / 1994年3月 アクティッブシルバベースへ塗装変更

3350~3349 1971年9月 日本車輛にて新造 / 1981年5月ファイアーオレンジベース塗装変更 / 1984年6月冷房化 / 1991年2月更新 / 1995年2月 アクティッブシルバベースへ塗装変更

3354~3353 1972年3月 汽車会社にて新造 / 1981年6月ファイアーオレンジベース塗装変更 / 1985年1月冷房化 / 1990年2月更新 / 1995年4月 アクティッブシルバベースへ塗装変更 / 2009年5月リバイバルカラー青電ベースに塗装変更 / 2013年2月廃車

3356~3355 1972年3月 汽車会社にて新造 / 1981年6月ファイアーオレンジベース塗装変更 / 1985年1月冷房化 / 1990年6月更新 / 1995年4月 アクティッブシルバベースへ塗装変更 / 2009年5月リバイバルカラー青電ベースに塗装変更 / 2013年2月廃車

脚注

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注釈

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出典

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  1. 京成電鉄 種別幕交換車が続々登場」 - railf.jp(交友社鉄道ファン』)、2010年7月11日
  2. 2.0 2.1 京成電鉄に葛飾区観光PRラッピング電車登場」 - railf.jp(交友社『鉄道ファン』)、2010年7月7日
  3. テンプレート:PDFlink - 京成電鉄ニュースリリース、2010年7月5日