五浦海岸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

五浦海岸(いつうらかいがん、いづらかいがん)は、茨城県北茨城市大津町五浦にある海岸景勝地花園・花貫県立自然公園に属する。また茨城県北ジオパークのジオサイトの一つ。「関東松島」の異名を持つ[1]

ファイル:Izura-beach2011.jpg
五浦海岸(2011年4月撮影)

概要

大小の入り江、大小の磯、高さ約50mの断崖絶壁など、による浸食で形成された地形が続く(海食崖)。亀ノ尾層(珪藻砂岩、珪藻質砂質頁岩)、多賀層群などの地層が見られる。崖の上にはクロマツが生えている。南から「小五浦」「大五浦」「椿磯」「中磯」「端磯」の五つの浦(磯)を称して五浦という。陸前浜街道国道6号)を日立から勿来関奥州三古関の1つ)跡に行く道程の途上にある。日本の渚百選日本の音風景100選。茨城百景。日本の白砂青松100選日本の地質百選

26歳で帝国博物館(現東京国立博物館)理事・美術部長、27歳で東京美術学校(現東京芸術大学)の校長となった岡倉天心は、1898年日本美術院を設立、1906年この地に移した。横山大観下村観山菱田春草木村武山などが学び、日本画の創作活動をした。この活動を記念して茨城県天心記念五浦美術館、茨城大学五浦美術文化研究所などが設置された。また、岡倉天心ゆかりの六角堂観瀾亭が残されていたが、2011年3月11日東北地方太平洋沖地震による津波で消失した[2]2012年(平成24年)4月17日に、創建当時の設計で再建)。

施設・名所

  • 茨城大学五浦美術文化研究所 - 岡倉天心の住居跡に設立。1955年に岡倉天心遺跡顕彰会より茨城大学に移管されたもの。旧天心邸(1904年)、六角堂(1905年)などが残されている。
  • 茨城県天心記念五浦美術館 - 1997年1月開館。日本画を中心に所蔵・展示している。端磯の側にある。
  • 天心遺跡記念公園 - 1980年一般公開。日本美術院跡地。中磯にある。
  • 岡倉天心の墓 - 1913年染井霊園東京都)から分骨・埋葬されたもの。辞世の句「我逝かば花な手向けそ浜千鳥 呼びかう声を印にて落ち葉に深く埋めてよ 12万年明月の夜 弔い来ん人を松の影」に基づく分骨であるとされる。大五浦の側にある。
  • 六角堂 - ボストン美術館中国日本部長の任務を終えてアメリカから帰国後、1905年杜甫中国詩人)の草堂に倣い建てた観瀾亭のこと。大五浦と小五浦の間の岬にあったが、東北地方太平洋沖地震後の津波で消失。その後2012年4月17日に再建。
  • 忘れじの碑 - 第二次世界大戦時、ここからアメリカに向けて風船爆弾が飛ばされた。この事実を忘れないため、とする碑。五浦よりやや北、平潟漁港との間にある。
  • 大津岬灯台 - 小五浦の南の岬にある。
  • 野口雨情記念館 - 北茨城生まれで「七つの子」「赤い靴」などで知られる童謡詩人野口雨情の記念館。五浦海岸の南、JR常磐線磯原駅との間にある。

名物

近辺の名物アンコウ(鮟鱇)料理(茨城県の風物詩)。「東のあんこう、西のフグ」と称される。水戸、大洗海岸、阿字ヶ浦海岸、北茨城一帯(五浦、平潟、湯の網)の名物であり、茨城県海岸寄り全般の名物である。

温泉

  • 大津港

交通

脚注

テンプレート:Reflist

参考文献

  • 「日研」新聞編集委員会 編『茨城108景をめぐる』川崎松濤 監修、筑波書林、平成3年9月20日、219pp.

関連項目

外部リンク

  • 「日研」新聞編集委員会 編(1991):4ページ
  • "被災地文化財300件 あぁ松島、六角堂消失"産経新聞2011年3月26日付朝刊、12版17ページ